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89.『過去を尋ねるなかれ』(2)
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汗と血で汚れたタオルを振り落とす。生臭くて唾を吐く。濁った目を見開いている毛むくじゃらの顔に落ちたのを冷ややかに眺める。
懐かしい光景だった。
『塔京』で体に集る屑を叩きのめして転がした。何人もの男が通り過ぎ、そのうち九割は屠ったか。
冷たく固くなった屍体に腰を降ろし、汚れた体をシャツで拭い、次はどこへ行くかと考えていた。
考えても仕方がないことだったのに、そう考えるのは楽しかった。一つ体を屠ったから、それだけ自由を得た気がしていた。幻の自由。体に埋め込まれたセンサーで行き先は把握され、やることも全て決められて、『塔京』の殺人機械でしかないのに、それ以外の何者かになった気がした。
毎日、何の意味もなかった。
生き延びていただけだった。
死ななかっただけだった。
けれど今。
「おらよ」
「ありがと」
差し伸べた手にちゃらちゃらと金属製のタグが落とされる。南で果てる志願者は全て銀色のタグを渡されている。表面には蝶の図柄、裏には思い思いに彫り込んだ文字や絵が入っている。
「『ばかがいます』オック。『愛情』シロン。『くまさんくれよ』パストーリア」
タグを眺めつつ名前を思い出す。
「なんだこれ、凄いね、花火が彫り込んである。リックだ。それに」
「『グナドルンガ』」
覗き込んだトラスフィが読み上げる。
いつの間にか周囲に遠征隊が集まってきていた。
「どういう意味?」
「『先で会おうや』…ビーンだ」
「…『斎京』のことば?」
カザルの問いかけにトラスフィが苦笑いしながら首を振る。
「ビーンの造語だ」
「そうでもないぜ」
後ろから声が上がって振り返る。
「そりゃまあ、繰り返し挨拶みたいにグナドルンガ、グナドルンガって言ってたけど」
丸い目のツォイだ。
「ちゃんとしたことばだって」
「俺は知らねえぞ?」
「あ、そうか、グ・ナドル・ンガか!」
別の方向から声が上がる。
「何?」
カザルはそちらへ振り向いた。
「おれ・死ぬ・ぞ、だ」
カザルの見覚えのない顔だった。
「あんた誰?」
「ミグ・シモンズ。俺らの地方の古いことばだよ。死んで行くやつが、ちゃんとそう言えたらあっちで楽に暮らせるんだと」
「おれ・死ぬ・ぞ、か」
くすりとカザルは笑った。
「いいね、そのまんまで」
タグを五つ握り込む。物問いたげなトラスフィに、服のポケットに入れてきちんとボタンを留める。
「トラスフィ」
「何だ」
「これからタグ、全部俺にちょうだい」
「なんで」
「だってさ、この先最後まで生き残るの、俺だけだろうし」
薄笑いをして周囲を見回す。
怒り狂われても仕方のない台詞だったのに、誰一人怒りも笑いもしなかった。生真面目にカザルを見つめる目を見返していく。ひょいとミグが手を上げた。
「何?」
「わかった。俺のタグをよろしく頼む」
「うん、任せて」
笑み返す。血と汗に塗れた笑顔は凄絶だろうが、怯む顔はいなかった。一人また一人と手が挙がる。やがて、全員の手が…いや、トラスフィの手が挙がっていない。
「トラスフィ?」
「ふざけんな」
「あれ、怒ってる?」
「てめえ一人を残してたまるか」
唸ったトラスフィの目が底光りしている。
「俺ぁ、生き残って、てめえがオウライカさんに叱り飛ばされるところを嗤ってみてやるぜ!」
「オーライ、じゃあ、トラスフィのだけ預からないからね」
わっと笑い声が上がった。
「頑張って下さいよ、トラスフィさん!」「カザルに負けねえで下さい!」
「おうよ、任せろ!」
「…じゃ、行こっか」
立ち上がり、わいわいと洞窟の奥へ歩き出す遠征隊に取り囲まれながら、カザルは呟く。
「…ありがと…トラスフィ…」
俺、もう、思い残すことないかもしんない。
「ちっ」
「った」
ばこりと頭を殴られて、カザルは俯きながらくすくす笑った。
懐かしい光景だった。
『塔京』で体に集る屑を叩きのめして転がした。何人もの男が通り過ぎ、そのうち九割は屠ったか。
冷たく固くなった屍体に腰を降ろし、汚れた体をシャツで拭い、次はどこへ行くかと考えていた。
考えても仕方がないことだったのに、そう考えるのは楽しかった。一つ体を屠ったから、それだけ自由を得た気がしていた。幻の自由。体に埋め込まれたセンサーで行き先は把握され、やることも全て決められて、『塔京』の殺人機械でしかないのに、それ以外の何者かになった気がした。
毎日、何の意味もなかった。
生き延びていただけだった。
死ななかっただけだった。
けれど今。
「おらよ」
「ありがと」
差し伸べた手にちゃらちゃらと金属製のタグが落とされる。南で果てる志願者は全て銀色のタグを渡されている。表面には蝶の図柄、裏には思い思いに彫り込んだ文字や絵が入っている。
「『ばかがいます』オック。『愛情』シロン。『くまさんくれよ』パストーリア」
タグを眺めつつ名前を思い出す。
「なんだこれ、凄いね、花火が彫り込んである。リックだ。それに」
「『グナドルンガ』」
覗き込んだトラスフィが読み上げる。
いつの間にか周囲に遠征隊が集まってきていた。
「どういう意味?」
「『先で会おうや』…ビーンだ」
「…『斎京』のことば?」
カザルの問いかけにトラスフィが苦笑いしながら首を振る。
「ビーンの造語だ」
「そうでもないぜ」
後ろから声が上がって振り返る。
「そりゃまあ、繰り返し挨拶みたいにグナドルンガ、グナドルンガって言ってたけど」
丸い目のツォイだ。
「ちゃんとしたことばだって」
「俺は知らねえぞ?」
「あ、そうか、グ・ナドル・ンガか!」
別の方向から声が上がる。
「何?」
カザルはそちらへ振り向いた。
「おれ・死ぬ・ぞ、だ」
カザルの見覚えのない顔だった。
「あんた誰?」
「ミグ・シモンズ。俺らの地方の古いことばだよ。死んで行くやつが、ちゃんとそう言えたらあっちで楽に暮らせるんだと」
「おれ・死ぬ・ぞ、か」
くすりとカザルは笑った。
「いいね、そのまんまで」
タグを五つ握り込む。物問いたげなトラスフィに、服のポケットに入れてきちんとボタンを留める。
「トラスフィ」
「何だ」
「これからタグ、全部俺にちょうだい」
「なんで」
「だってさ、この先最後まで生き残るの、俺だけだろうし」
薄笑いをして周囲を見回す。
怒り狂われても仕方のない台詞だったのに、誰一人怒りも笑いもしなかった。生真面目にカザルを見つめる目を見返していく。ひょいとミグが手を上げた。
「何?」
「わかった。俺のタグをよろしく頼む」
「うん、任せて」
笑み返す。血と汗に塗れた笑顔は凄絶だろうが、怯む顔はいなかった。一人また一人と手が挙がる。やがて、全員の手が…いや、トラスフィの手が挙がっていない。
「トラスフィ?」
「ふざけんな」
「あれ、怒ってる?」
「てめえ一人を残してたまるか」
唸ったトラスフィの目が底光りしている。
「俺ぁ、生き残って、てめえがオウライカさんに叱り飛ばされるところを嗤ってみてやるぜ!」
「オーライ、じゃあ、トラスフィのだけ預からないからね」
わっと笑い声が上がった。
「頑張って下さいよ、トラスフィさん!」「カザルに負けねえで下さい!」
「おうよ、任せろ!」
「…じゃ、行こっか」
立ち上がり、わいわいと洞窟の奥へ歩き出す遠征隊に取り囲まれながら、カザルは呟く。
「…ありがと…トラスフィ…」
俺、もう、思い残すことないかもしんない。
「ちっ」
「った」
ばこりと頭を殴られて、カザルは俯きながらくすくす笑った。
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