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91.『翼を選ぶなかれ』
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「何つーか…」
一旦網の上に戻ったカザルに導かれて、蔦垂れ下がる広大な空間に脚を踏み入れたトラスフィは、しみじみと溜め息をついた。
「もう嗤うしかねえな」
「だろ? 何考えてんだろうね、神様って」
カザルのことばにトラスフィがぎょっとした顔になる。
「お前」
「不敬罪? まさかね?」
「いや、お前が神様なんてことばを使った方がびっくりだ」
「そっち?」
ひどいなあもう、とぼやきながら、カザルは腰のロープを手近でしっかりしていそうな蔦に括り直す。
時間はかかったが、垂れ下がる蔦を伝って何とかマイルを回収し、それでも部隊は一カ所に荷重をかけないように分散しつつ、じりじりと底を目指している。
「発光シート、まだ保ちそう?」
「時間的にはな」
何でも準備しておくもんだよなあ、とトラスフィは溜め息をついて眼下を眺める。
「まあ、足りるかっつーと微妙だがな」
「だよね」
カザルは手首と足首に巻いたシートを見やり、周囲を見回しゆっくり見下ろす。
「…こっちは駄目だな、トラスフィ!」
離れたところからミントの声が響いた。
「アルンド、そっちは?」
「こっちは…もう…少し…行けそうだ…」
掠れた声に続いてぜいぜいと喘ぐ声が聞こえる。
「上の部隊を回収する?」
カザルはトラスフィを振り返る。
「かなり分散してきちゃってるけど、底はまだまだみたいだし」
網の上に数人残し、残りは発光シートを巻いて、ロープ一本を命綱に蔦で編まれた闇の虚空に挑んでいる。点々と浮かぶ発光シートの明かりは、夜を漂う蛍に似ている。ふわふわと頼りなく伸ばされて、何かに引っ掛かっては止まり、時に体重をかけ損ねがくりと落ちて冷えた恐怖を醸し出す。
「見えそうにねえか」
「っていうか、このまま降りると戻る体力はないだろうね」
見上げた裂け目は薄明るく照らされているが、既に豆粒ほどの大きさにしか見えない。
「想像もしなかったな、海じゃねえのに、こんな光景見るなんてな」
トラスフィが同じように仰ぎ見ながら目を細めた。無精髭のはえた顎に汗が伝い落ちる。
「竜って、ここよりもでっかいのか」
「うーん」
煙草欲しいな。
カザルは指先をひらひらさせて唇をなぞり、諦める。
「でっかいんじゃない? 人間ひと呑みにできんでしょ?」
ざっと見ただけでも、この空間に『塔京』の中央庁は楽に建てられる。それどころか、周囲のビル群、いやひょっとすると『塔京』そのものも落とし込めるかもしれない。
「……そっか」
腑に落ちた。
『塔京』ではない、ここに落とし込まれたのはきっと『南京』だ。
「ここから先、俺が行こうかな」
「え?」
「二つに一つしか選べない感じだけどさ、装備とか捨てちゃうわけに行かないでしょ?」
「ああ?」
「でも、照明弾とか持って、ここ降りられない」
「だな」
「これ、クエストみたい」
「は?」
「体一つで来いって感じ」
わかんないけどさ、とカザルは再び足元を見下ろす。さすがに疲れ切ったのか、周囲の発光シートの動きは最初ほど素早くなく、中には全く止まっているものもある。
「武器とか仲間とか、庇ったり守ったりしてくれるもの、全部捨てて来いって感じ」
ちかっと頭の隅に何かが閃いて口を噤んだ。
「あれ?」
「どうした?」
「何だろ、これ」
「何が」
「…尾っぽの先にロープ…」
「は?」
「…へ、へへ…」
「カザル?」
「マジかよ…」
脳裏に広がった映像にぞっとしてのろのろと上を見上げた。裂け目の近くに確かにあった、尖った岩。なぜ、そんなところに周囲の岩と全く違った造形があるのかと気にはなっていた。尖っているのにしっかりしていて、ロープを括り付け、どれほど引っ張っても崩れる気配一つもなかったのはきっと。
「中身があったのか」
「どうしたんだ?」
「トラスフィ、竜探す必要ないかも」
「どういうことだ?」
「てか、俺達とっくに囲まれちゃってたのかも」
「え」
ぎょっとしたようにトラスフィが周囲を素早く見回す。
「けど、何で動かないんだろ」
いつだって、とっくに俺達なんて屠れたのに。
「…死んでんじゃねえのか」
「ううん、違う。視線を感じるもん」
空中にぶら下がっている体の下から、冷ややかに見上げてくる巨大な気配。
「下に…居るのか」
「下っていうか……ここら一帯にっていうか…」
でも、本体はこの下だ。
目を閉じてイメージを探る。
巨大な目が見上げている。見えるのは薄明るい空間に今にも切れそうな糸に吊られてふらふら動く小さな生物だ。絡み合った蔦は確かにあるところまでは彼らを降ろしてくれるだろうが、一番下まで降り切っても、まだ遠い。
崩壊とはこういうことなのだ、と溜め息が出る。
誰の手も届かない。
どんな道も繋がっていない。
「っ」
ぴりっと体に傷みが走った。
「?」
「カザル? おい、一体何を」
手首の発光シートを外した。眼下へ投げ捨てる。ひゅお、と微かな音が聴こえた気がしたが気のせいだろう。見る見る遠ざかって行くシートに周囲が息を呑む気配が伝わってくる。
けれど、カザルが見つけたのは、発光シートを外しても薄く光る躯。コートは上に置いてきたが、着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
「お、い」
隣のトラスフィがごくりと唾を呑むのがわかった。
カザルの左脚から巻き上がる龍の彫り物は『闇飾り』を施され、右の乳首を銜え込もうとしながら、片手に蝶を握り潰している。白く輝くその贄にトラスフィが目を見張る。
「そいつ…」
「呼ばれてる…」
自分で乳首に触れたカザルは小さく喘いだ。張りつめていく股間が痛い。ベルトを外し、下着と一緒にズボンを脱ぎながら、開放感と同時に震える。触れる蔦。絡み付くように動いた気がして顔を歪める。
忘れるはずもない、飢峡に弄ばれた夜、けれど今度はオウライカはいない。
「お前…」
「約束済みってことだよね…」
息を吐いた。
「トラスフィ、ここから先は俺の仕事みたい」
コートのポケットのタグを想った。
「俺のタグ、よろしく」
「嘘つきめ」
カザルが首から外したタグをトラスフィが受け取る。
「あいつらにどう言い訳する気だ」
「だって『塔京』ものだもん」
嘘と裏切りは基本ライン。色と欲はお楽しみ。
「だけど信じて。俺が何とかするから、洞窟から出ないで」
もし考えが正しければ、この空間にさえ居れば守れるはず。
「…じゃあ、こいつは受け取れねえ」
「…、あっ」
体を屈めたトラスフィが、寒さと緊張に勃った乳首にキスし、元通り、タグをカザルの首にかけ直した。
「お前がちゃんと渡しに来い。ここにいる奴ら全員回収して上に戻って待っててやる」
挑戦的な視線を周囲の蔦に飛ばした。
「クソ植物にいいようにされてよがってんじゃねえぞ」
ゆらゆらと妙な動きをし始めた蔦に唾を吐く。
「唇熱いね、トラスフィ」
カザルは胸に触れた。
一瞬だけ与えられた感覚を忘れないよう目を閉じて噛み締める。
「人には熱があるんだ」
声に眼を開ける。
与えた快感と裏腹に、重く暗い瞳を向けてトラスフィは唸った。
「忘れんな」
一旦網の上に戻ったカザルに導かれて、蔦垂れ下がる広大な空間に脚を踏み入れたトラスフィは、しみじみと溜め息をついた。
「もう嗤うしかねえな」
「だろ? 何考えてんだろうね、神様って」
カザルのことばにトラスフィがぎょっとした顔になる。
「お前」
「不敬罪? まさかね?」
「いや、お前が神様なんてことばを使った方がびっくりだ」
「そっち?」
ひどいなあもう、とぼやきながら、カザルは腰のロープを手近でしっかりしていそうな蔦に括り直す。
時間はかかったが、垂れ下がる蔦を伝って何とかマイルを回収し、それでも部隊は一カ所に荷重をかけないように分散しつつ、じりじりと底を目指している。
「発光シート、まだ保ちそう?」
「時間的にはな」
何でも準備しておくもんだよなあ、とトラスフィは溜め息をついて眼下を眺める。
「まあ、足りるかっつーと微妙だがな」
「だよね」
カザルは手首と足首に巻いたシートを見やり、周囲を見回しゆっくり見下ろす。
「…こっちは駄目だな、トラスフィ!」
離れたところからミントの声が響いた。
「アルンド、そっちは?」
「こっちは…もう…少し…行けそうだ…」
掠れた声に続いてぜいぜいと喘ぐ声が聞こえる。
「上の部隊を回収する?」
カザルはトラスフィを振り返る。
「かなり分散してきちゃってるけど、底はまだまだみたいだし」
網の上に数人残し、残りは発光シートを巻いて、ロープ一本を命綱に蔦で編まれた闇の虚空に挑んでいる。点々と浮かぶ発光シートの明かりは、夜を漂う蛍に似ている。ふわふわと頼りなく伸ばされて、何かに引っ掛かっては止まり、時に体重をかけ損ねがくりと落ちて冷えた恐怖を醸し出す。
「見えそうにねえか」
「っていうか、このまま降りると戻る体力はないだろうね」
見上げた裂け目は薄明るく照らされているが、既に豆粒ほどの大きさにしか見えない。
「想像もしなかったな、海じゃねえのに、こんな光景見るなんてな」
トラスフィが同じように仰ぎ見ながら目を細めた。無精髭のはえた顎に汗が伝い落ちる。
「竜って、ここよりもでっかいのか」
「うーん」
煙草欲しいな。
カザルは指先をひらひらさせて唇をなぞり、諦める。
「でっかいんじゃない? 人間ひと呑みにできんでしょ?」
ざっと見ただけでも、この空間に『塔京』の中央庁は楽に建てられる。それどころか、周囲のビル群、いやひょっとすると『塔京』そのものも落とし込めるかもしれない。
「……そっか」
腑に落ちた。
『塔京』ではない、ここに落とし込まれたのはきっと『南京』だ。
「ここから先、俺が行こうかな」
「え?」
「二つに一つしか選べない感じだけどさ、装備とか捨てちゃうわけに行かないでしょ?」
「ああ?」
「でも、照明弾とか持って、ここ降りられない」
「だな」
「これ、クエストみたい」
「は?」
「体一つで来いって感じ」
わかんないけどさ、とカザルは再び足元を見下ろす。さすがに疲れ切ったのか、周囲の発光シートの動きは最初ほど素早くなく、中には全く止まっているものもある。
「武器とか仲間とか、庇ったり守ったりしてくれるもの、全部捨てて来いって感じ」
ちかっと頭の隅に何かが閃いて口を噤んだ。
「あれ?」
「どうした?」
「何だろ、これ」
「何が」
「…尾っぽの先にロープ…」
「は?」
「…へ、へへ…」
「カザル?」
「マジかよ…」
脳裏に広がった映像にぞっとしてのろのろと上を見上げた。裂け目の近くに確かにあった、尖った岩。なぜ、そんなところに周囲の岩と全く違った造形があるのかと気にはなっていた。尖っているのにしっかりしていて、ロープを括り付け、どれほど引っ張っても崩れる気配一つもなかったのはきっと。
「中身があったのか」
「どうしたんだ?」
「トラスフィ、竜探す必要ないかも」
「どういうことだ?」
「てか、俺達とっくに囲まれちゃってたのかも」
「え」
ぎょっとしたようにトラスフィが周囲を素早く見回す。
「けど、何で動かないんだろ」
いつだって、とっくに俺達なんて屠れたのに。
「…死んでんじゃねえのか」
「ううん、違う。視線を感じるもん」
空中にぶら下がっている体の下から、冷ややかに見上げてくる巨大な気配。
「下に…居るのか」
「下っていうか……ここら一帯にっていうか…」
でも、本体はこの下だ。
目を閉じてイメージを探る。
巨大な目が見上げている。見えるのは薄明るい空間に今にも切れそうな糸に吊られてふらふら動く小さな生物だ。絡み合った蔦は確かにあるところまでは彼らを降ろしてくれるだろうが、一番下まで降り切っても、まだ遠い。
崩壊とはこういうことなのだ、と溜め息が出る。
誰の手も届かない。
どんな道も繋がっていない。
「っ」
ぴりっと体に傷みが走った。
「?」
「カザル? おい、一体何を」
手首の発光シートを外した。眼下へ投げ捨てる。ひゅお、と微かな音が聴こえた気がしたが気のせいだろう。見る見る遠ざかって行くシートに周囲が息を呑む気配が伝わってくる。
けれど、カザルが見つけたのは、発光シートを外しても薄く光る躯。コートは上に置いてきたが、着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
「お、い」
隣のトラスフィがごくりと唾を呑むのがわかった。
カザルの左脚から巻き上がる龍の彫り物は『闇飾り』を施され、右の乳首を銜え込もうとしながら、片手に蝶を握り潰している。白く輝くその贄にトラスフィが目を見張る。
「そいつ…」
「呼ばれてる…」
自分で乳首に触れたカザルは小さく喘いだ。張りつめていく股間が痛い。ベルトを外し、下着と一緒にズボンを脱ぎながら、開放感と同時に震える。触れる蔦。絡み付くように動いた気がして顔を歪める。
忘れるはずもない、飢峡に弄ばれた夜、けれど今度はオウライカはいない。
「お前…」
「約束済みってことだよね…」
息を吐いた。
「トラスフィ、ここから先は俺の仕事みたい」
コートのポケットのタグを想った。
「俺のタグ、よろしく」
「嘘つきめ」
カザルが首から外したタグをトラスフィが受け取る。
「あいつらにどう言い訳する気だ」
「だって『塔京』ものだもん」
嘘と裏切りは基本ライン。色と欲はお楽しみ。
「だけど信じて。俺が何とかするから、洞窟から出ないで」
もし考えが正しければ、この空間にさえ居れば守れるはず。
「…じゃあ、こいつは受け取れねえ」
「…、あっ」
体を屈めたトラスフィが、寒さと緊張に勃った乳首にキスし、元通り、タグをカザルの首にかけ直した。
「お前がちゃんと渡しに来い。ここにいる奴ら全員回収して上に戻って待っててやる」
挑戦的な視線を周囲の蔦に飛ばした。
「クソ植物にいいようにされてよがってんじゃねえぞ」
ゆらゆらと妙な動きをし始めた蔦に唾を吐く。
「唇熱いね、トラスフィ」
カザルは胸に触れた。
一瞬だけ与えられた感覚を忘れないよう目を閉じて噛み締める。
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