『ドリーム・ウォーカー』

segakiyui

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 僕は、この家を乱す種。
 僕は、人の立場がわかってなくて、変わっていて、思いやりもない、『こもった人格』の子どもだから、この家はもめ続けて不仲で喧嘩が絶えないって、父さんも母さんも都おばあちゃんも言っている。
 僕はどうあればよかったんですか。
 僕がどういう子であれば、この家はもっと楽しく平和で穏やかで幸せな場所になったんでしょう。
 それとも僕がどうなっても、僕が僕であるかぎり、どうにもならなかったんでしょうか。
 もしそうだとしたら、今ここにこうしている僕は、どこへ行けばいいんでしょう。
 やっと高校に入ったけど、正直いって、この先何をすればいいのか、よくわかりません。
 僕は…。
 ドアにへばりついて小声でつぶやいていると、ふいにぴたりと言い争う声が止んだ。
「もう二時だよ」
 都おばあちゃんが閉会宣言のようにきっぱりといった。 
「明日…会社の会議で…早く出るんだが…」
「まあ! もっと早く、ちゃんといってくださらないと!」
 遠慮がちな父さんの声をかき消すように母さんが驚き、あわてて立ち上がったようだ。
 がさがさと冷蔵庫をかき回す音。
「ああ、よかった、お弁当の材料、ちゃんとあるわ」
 聞こえよがしの無遠慮な母さんの声。
 それには全く無関係な白々しい声で、都おばあちゃんが、
「あたしは寝るからね」
「おやすみなさい」
 ついさっきまで争っていたことなどなかったように、つるりとした声で母さんが応じた。
 都おばあちゃんの答えはない。
 ばちん、と食堂とおばあちゃんの寝る居間を隔てるふすまを勢いよく閉めた音だけ続く。
「あなたもいいかげんにしてくださいね」
 沈黙の後、母さんが冷ややかに続けた。
「いつまでも、お義母さんにハイハイ言ってばかり」
「俺がおふくろに甘えてるっていうのか!」
 父さんの声が別人のように張りを帯びて大きくなった。
「おまえが和樹をきちんとしつけとけば」
「それがお義母さんのいいなりっていうんですよ」
 どこか嘲けるような母さんの声が応じる。
 都おばあちゃんがいなくなると、とたんに怒鳴り出す父さんのことなどお見通しだ。
「おふくろのことは話してない! 和樹がちゃんとしてないからだ! 和樹にちゃんとするように言え!」
「あなたが叱ってください! 会議だの仕事だのばっかりで、和樹と話そうともしないで、何が父親ですか!」
「俺が働いてるから、和樹だって私立へ進めたんだ!」
「私が働いたっていいんですよ! 第一、私が言ったって、きかないんですよ、あの子は! 最近、ほんとに何を考えてるのか」
 ふすま一枚隔てただけで、母さん達のやりとりが都おばあちゃんに聞こえないとでも思ってるんだろうか。
 なのに、おばあちゃんがふすまの向こうへ姿を隠すと、とたんに母さんはおばあちゃんをうっとうしがっているのを隠さない。父さんは別人みたいに怒鳴り散らし、押さえつけ脅しつけるように叫び出す。そして、肝心の都おばあちゃんは、別世界に行ったみたいに出てこない。父さんと母さんは堂々巡りの話を続ける。
 やがて、時計の針がぴったりと二時十五分になると、また、信じられない場面転換。
「俺は疲れた、寝るぞ」
「明日、また話し合いましょう」
 お定まりの休戦の合図。話が続いてても、まとまってなくても。そんなことは何の不都合もないみたいに。
 毎夜繰り返される、時計とにらめっこしてでもいるような、分秒刻み、スケジュール通りに進む喧嘩。何のためにやってるんだか、僕にはいつまでたってもわからないけど。
 ほんの小さな言い争いさえなかったように、何も起こらなかった夜のように、父さんと母さんは階段を上がってきて、おやすみ、まで言いあって寝床へ入っていく。
 僕はようやく立ち上がる。
 頭が痛い。回りからゆっくりと締めつけられて、脳が絞り漬されていくみたいに。吐き気が込み上げてくる。目を閉じて、ドアにもたれて必死に堪える。体が震えて、自分の腕で強く体を抱いていないと、ぐずぐずとゾンビみたいに溶けそうだ。睡眠不足のせいだろうか。それとも、心理的ストレスって奴かな。あるいは『思春期自律神経失調シンドローム初期症状』とか。
 そんなのがあれば、だけど。
 うつむいた頭の右こめかみを、右手の親指でぐいぐい押し込みながら、目を開ける。ずきずきするほど押し込んで、それで痛みが少しましになった気がする。ひょっとして、ドリルか何かで穴を開ければ、その痛さで頭痛がわからなくなるかも知れない。
 震えながらベッドに戻ろうとして、部屋の隅の壁にかかった鏡を見つめる。
 ばさばさに乱れた中途半端な茶色がかった髪の毛。細長い卵型の顔。頬は少しそげていて、カーテンの透き間から入る街灯の光に、大きな目がぎらぎらしている。唇は真っ白で乾き切っている。
 脅えた子犬のような不安定な顔。
 これが僕、妹尾和樹。
 まるで、人生の半分以上も無駄にしたような顔。とても十五なんかには見えない。顔の造りとかじゃなくて、何だかその奥に疲れ切った老人のようなものが透ける顔。
 僕は首を振って、鏡から目を逸らせた。
 どれだけ考えてもどうしようもないんだ。ほんの小さいころは、家族の一人一人に、喧嘩しないでくれって頼んだこともあったけど、誰のせいだと思ってるんだと言われてからは、もうどうでもよくなった。
 もう、寝よう。
 僕には何もできない。
 僕には何も変えられない。
 その前に、大事な儀式を一つ。
 学生手帳の裏に隠した小さな写真を、そっと丁寧に取り出して見る。
 高校に入学してよかったのは、リカと知り合えて、付き合えたこと。
 長いさらさらのロングヘアが風になびいているのを片手で押さえて、高校の制服を着て、カメラに向かって腕を突き出し二本の指を立てているリカ。いたずらっぽい可愛い笑顔。薄茶の髪に桜のはなびらが絡んでいて、背後の桜のピンクの渦の中、リカは幻みたいにきれいだ。
 これを撮った奴に僕はきっと嫉妬している。男ならもちろん、女にだって。この写真より数倍可愛いリカの表情を、幾つだって見ていたはずだから。
 リカの全部、すべての時間を僕のものにしたい。
 僕はリカの写真を胸に押し当て抱き締めた。
 情けないことぐらいわかってる。キザったらしくて、バカバカしくて、普通の男なら、昼間なら、こんなことはしない。
 けれど、今は真夜中だから。
 僕は『変わっている』子だから。
 いいはずだ、こういっても。
 リカ。
 僕の救いは、君だけだ。
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