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3.武士と僧侶(4)
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城山先生が靴を脱がせて布団をかけてくれ、僕の手首を握った。
「うん、脈はしっかりしてるし、大丈夫そうね、顔色もましになってきてるね」
「ぼく、鞄取ってきます。同じ方向なんで、場合によっては一緒に帰ります」
春日の声。
「そう? そうね、そのほうがいいかもね」
何が同じ方向だ、と胸の中で毒づいた。駅三つは離れてるほど、方向が違うじゃないか。
けれど、口を開くと、また悲鳴がこぼれそうで、僕は唇を強く引き締めた。
春日は出て行き、すぐに戻って来た。待っていたように、城山先生が、
「職員会議があるから、妹尾君、見ててあげてくれる? 何かあったら、呼びに来てくれるとありがたいんだけど」
「わかりました。帰れるようなら言いに行きます」
「察しがよくて助かるわ」
城山先生は、くすくすとまた笑った。
そうなんです、こいつは本当に化け物かもしれないんです。そう言って、城山先生を引き留めたかった。
本当は僕は貧血なんかじゃなくて、こいつが変なことを言って、あんなものを見せて。
考えたとたんに、まためまいがして気分が悪くなり、喉を鳴らす。
「おとなしくしてろよ」
ベッドのすぐ側のパイプ椅子に春日が腰掛けた音がした。
「君には、まだ無理だ」
仕方ない奴だな、そんな気配の、小さな子どものだだを持て余したような声に、薄く目を開ける。
「何が、さ」
ようよう声を絞り出す。
春日は僕を見つめている。薄い茶色の瞳の奥、澱んだような緑色が、ふいに昏さを増した気がした。
「そのイメージは、君のネックになっているところだから、どう扱うにしても他の奴を処理してからじゃないと無理だって言ってるんだ」
「何のことさ」
僕は吐き気を堪えながら尋ねた。
「他の奴って、何だよ。おまえが僕の何を知ってるって」
「だから」
春日は珍しく苛立った表情になった。
「たとえば、今の君の人生のこと、家族とのこととか」
バチ。
体がそんな音を立てた気がした。
春日ははっとした顔で、昨日リカにとんでもないことを言った僕のように、口をつぐんだ。
「家族との……ことって?」
「なんでもない」
初めて春日が怯んだ気配があった。目を逸らせる、その瞬間に春日の目に浮かんだ表情を、僕は読み取っていた。
同情。
柔らかくて、深い、思いやりに満ちた。
「なんでもない、ことじゃない! 僕の家族がどうしたって?」
体が熱くなった。とても恥ずかしいものを容赦なく見られた、そんな気持ちが沸き起こって、二重三重にうろたえる。
「僕の家は普通だ! 父さんと母さんとばーさんがいて、みんなうまくやってるんだ!」
喚いてしまった。けれど、喚きながら、わかってしまった。
僕の家族はうまくやってなんかいない。仲がいいわけでもない。そして、それは僕のせいなのだ。僕が『おかしくて変な子ども』だから、家族もリカも僕と関わった人間はみんなうまくいかなくなるんだ。
けれど。
けれど。
僕は布団を引き上げ、吐き気もかまわず、寝返って春日に背中を向けた。止めようもなくあふれ始めた涙を、こともあろうに春日などに見られたくなかった。
涙は隠せたけど、胸に吹き上げた悲鳴は止まらなかった。
けど!
何がまずいのか、わからないんだ。
何がおかしいのか、わからないんだ。
みんな、僕が『こう』じゃまずいって言う。
でも、『どう』なればいいのかは、誰も教えてくれないんだ。
僕は精一杯『こう』じゃないふうにやってきたのに、『こう』じゃないふうにやろうとしているのに、それでもみんなはお前がまずいと言い続ける。お前がやり方を変え、お前が性格を変えなくてはならないのだ、と。
お前が人から外れているのだと。
頑張っても頑張っても、なぜか『僕』はずっと『まずい』ままなんだ。
それに、何だろう、最近は、こんなふうにも思ってしまう。
僕。
『こう』じゃない僕、『こう』でしかない僕は、じゃあ、どうすればいいんだって。
変えなきゃまずいらしいのに、変えられない僕もいて、その僕が叫んでる。死んじゃうよ、って。
とってもか細い小さな声なのに、その声はとてもよく響いて、僕の中を一杯にする。
死んじゃう、僕。
僕、死んじゃうよ。
ぎゅっと縮められた手足。
殺せない。
僕は、そいつを殺せないんだ。
どうしたらいい?
どうしたら、少しでもいい、楽になれる?
流れ落ちる。堪え損ねた涙は苦かった。ずるずる顔を汚し、頭を混乱させ、ぐちゃぐちゃにするばかりで、どこにも行き場がない。
どこにもいけない、生きていけない。生きていけないのに、死にきれもしない。
どうして、僕はここにいる?
荒れ狂う嵐みたいに体の内側が尖った針でかき回されてずたずたになり千切れ飛び、自分がどこにいるのか、何をしていたのかさえわからなくなってしまう。
春日は何も言わなかった。
何も言わず、けれど部屋から出ていく気配もなかった。
ずいぶん時間がたった。
保健室は静まり返っている。
城山先生は帰ってくるふうもないし、人の気配もない。
たった一人取り残された不安に怯えて、僕はそっと呼んでみた。
「春日?」
「うん、脈はしっかりしてるし、大丈夫そうね、顔色もましになってきてるね」
「ぼく、鞄取ってきます。同じ方向なんで、場合によっては一緒に帰ります」
春日の声。
「そう? そうね、そのほうがいいかもね」
何が同じ方向だ、と胸の中で毒づいた。駅三つは離れてるほど、方向が違うじゃないか。
けれど、口を開くと、また悲鳴がこぼれそうで、僕は唇を強く引き締めた。
春日は出て行き、すぐに戻って来た。待っていたように、城山先生が、
「職員会議があるから、妹尾君、見ててあげてくれる? 何かあったら、呼びに来てくれるとありがたいんだけど」
「わかりました。帰れるようなら言いに行きます」
「察しがよくて助かるわ」
城山先生は、くすくすとまた笑った。
そうなんです、こいつは本当に化け物かもしれないんです。そう言って、城山先生を引き留めたかった。
本当は僕は貧血なんかじゃなくて、こいつが変なことを言って、あんなものを見せて。
考えたとたんに、まためまいがして気分が悪くなり、喉を鳴らす。
「おとなしくしてろよ」
ベッドのすぐ側のパイプ椅子に春日が腰掛けた音がした。
「君には、まだ無理だ」
仕方ない奴だな、そんな気配の、小さな子どものだだを持て余したような声に、薄く目を開ける。
「何が、さ」
ようよう声を絞り出す。
春日は僕を見つめている。薄い茶色の瞳の奥、澱んだような緑色が、ふいに昏さを増した気がした。
「そのイメージは、君のネックになっているところだから、どう扱うにしても他の奴を処理してからじゃないと無理だって言ってるんだ」
「何のことさ」
僕は吐き気を堪えながら尋ねた。
「他の奴って、何だよ。おまえが僕の何を知ってるって」
「だから」
春日は珍しく苛立った表情になった。
「たとえば、今の君の人生のこと、家族とのこととか」
バチ。
体がそんな音を立てた気がした。
春日ははっとした顔で、昨日リカにとんでもないことを言った僕のように、口をつぐんだ。
「家族との……ことって?」
「なんでもない」
初めて春日が怯んだ気配があった。目を逸らせる、その瞬間に春日の目に浮かんだ表情を、僕は読み取っていた。
同情。
柔らかくて、深い、思いやりに満ちた。
「なんでもない、ことじゃない! 僕の家族がどうしたって?」
体が熱くなった。とても恥ずかしいものを容赦なく見られた、そんな気持ちが沸き起こって、二重三重にうろたえる。
「僕の家は普通だ! 父さんと母さんとばーさんがいて、みんなうまくやってるんだ!」
喚いてしまった。けれど、喚きながら、わかってしまった。
僕の家族はうまくやってなんかいない。仲がいいわけでもない。そして、それは僕のせいなのだ。僕が『おかしくて変な子ども』だから、家族もリカも僕と関わった人間はみんなうまくいかなくなるんだ。
けれど。
けれど。
僕は布団を引き上げ、吐き気もかまわず、寝返って春日に背中を向けた。止めようもなくあふれ始めた涙を、こともあろうに春日などに見られたくなかった。
涙は隠せたけど、胸に吹き上げた悲鳴は止まらなかった。
けど!
何がまずいのか、わからないんだ。
何がおかしいのか、わからないんだ。
みんな、僕が『こう』じゃまずいって言う。
でも、『どう』なればいいのかは、誰も教えてくれないんだ。
僕は精一杯『こう』じゃないふうにやってきたのに、『こう』じゃないふうにやろうとしているのに、それでもみんなはお前がまずいと言い続ける。お前がやり方を変え、お前が性格を変えなくてはならないのだ、と。
お前が人から外れているのだと。
頑張っても頑張っても、なぜか『僕』はずっと『まずい』ままなんだ。
それに、何だろう、最近は、こんなふうにも思ってしまう。
僕。
『こう』じゃない僕、『こう』でしかない僕は、じゃあ、どうすればいいんだって。
変えなきゃまずいらしいのに、変えられない僕もいて、その僕が叫んでる。死んじゃうよ、って。
とってもか細い小さな声なのに、その声はとてもよく響いて、僕の中を一杯にする。
死んじゃう、僕。
僕、死んじゃうよ。
ぎゅっと縮められた手足。
殺せない。
僕は、そいつを殺せないんだ。
どうしたらいい?
どうしたら、少しでもいい、楽になれる?
流れ落ちる。堪え損ねた涙は苦かった。ずるずる顔を汚し、頭を混乱させ、ぐちゃぐちゃにするばかりで、どこにも行き場がない。
どこにもいけない、生きていけない。生きていけないのに、死にきれもしない。
どうして、僕はここにいる?
荒れ狂う嵐みたいに体の内側が尖った針でかき回されてずたずたになり千切れ飛び、自分がどこにいるのか、何をしていたのかさえわからなくなってしまう。
春日は何も言わなかった。
何も言わず、けれど部屋から出ていく気配もなかった。
ずいぶん時間がたった。
保健室は静まり返っている。
城山先生は帰ってくるふうもないし、人の気配もない。
たった一人取り残された不安に怯えて、僕はそっと呼んでみた。
「春日?」
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