『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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5.舞台裏(5)

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「まだ出るんじゃないよ」
 まっすぐ前を向いたままのあきが呟き、面倒臭そうに札を片付ける。それほど待つまでもなく、椎我が戻って来た気配、
「いましたか?」
 のうのうとあきが訪ねるのに悔しそうに椎我は唸った。
「金は払ったからな!」
 言い捨てて、階段を駆け下りて行く音が続く。
「……もういいと思うけど」
 あきが覗き込み、薄く笑った。
「ごめん」
 万里子の声に目を細める。
「いいよ。ぼく、ああ言う男って嫌いでね。この間から胡散臭いのを引き連れてて、鬱陶しかったんだ」
「助かったわ」
「それで、どうする? 踊ってくかい?」
「うん!」
「え、お、おい!」
 俺はうろたえて口を挟んだ。自慢じゃないが、踊れるのはフォークダンスぐらいだし、第一そんな遊べるほどの金もない。
「いいよ」
 察したらしいあきがさらりと言った。
「商売じゃなかったのか」
「人によるのさ、おじさん」
「入ろ! ねえ、木田さん!」
 万里子の誘いに考え込む。確かに椎我も一度探したところを、もう一度探そうとは思わないだろう。ほとぼりが冷めるまで、この辺りに身を潜めておくのも得策かもしれない。
「わかった」
「うふっ」
 さっきまでのしょげた様子は何処へやら、万里子は嬉々として俺の腕を引っ張った。
 回転ドアを押して入ると、音楽が耳元で爆発する。昔懐かしいディスコナンバー風だ。
「へえ、今でもこんなのがかかるのか」
「踊ろ! 木田さん! ねえ!」
「踊れないって」
「踊れるのでいいよ」
「フォークダンスとか、ラジオ体操ぐらいだって…」
「ねえ、踊ろうよ、垣さん」
 すぐ近くのボックスから、同じような誘いの声が響いて振り向いた。万里子と同い年か1つ2つは歳上の整った顔立ちの少年が、俺と同じく席に沈み込んでいる男の手を引っ張っている。妙に人目を引く少年、天性のぱっと華やかなものが目立つ。
「あら…友樹修一だわ」
「何だ?」
「知らないの? 名子役なんだから」
 万里子は意外そうに言いながら、そちらを見つめて説明してくれた。
「あの人が、よくコンビを組んでいる垣かおるでしょ、その横が伊勢監督で、へーえ、珍しい、佐野マネージャーが来てるわ」
「佐野?」
「そう。友樹修一のマネージャーだけど、凄い切れ者なんだって」
「へえ…」
 佐野という名前にはよっぽど切れ者が多いらしい。感心しながらそちらを眺めた俺の目と、垣と言う男の目が合った。相手も友樹の誘いに困惑したような、お人好しそうな笑みを浮かべていたが、俺が自分と同じ状況なのを知ると、苦笑気味に会釈してよこした。俺も会釈を返す。お互いに大変だね…同病相憐れむと言う奴だ。
「ねえ、垣さん!」
 甘えた声でねだっていた友樹は、ふと垣の視線に気づいてこちらを見た。
(あれ?)
 どこかで見たことがあるなと一瞬思ったが、流れていた曲がスローバラードになり、友樹がちぇっと小さく舌打ちして席に着くのと同時に、その思いは消えていた。
「チークになっちゃったじゃないか。垣さんがぐずぐずしているから…」
「木田さん!」
 友樹と逆にはしゃいだ声を上げたのは万里子の方で、
「チークなら、ただ立っていてくれるだけでいいから! ね!」
 無理矢理、俺をホールへ引っ張り出してしまった。
 静かな曲の流れる中、俺の腕の中にぴったりと身を寄せ、俯き加減に音楽に揺れていた万里子は、やがて低い声で囁いた。
「おじさまだったのよ…」
「え?」
 ほとんど音楽に溶け入ってしまいそうな微かな呟きで、思わず問い返した。
「おじさまだった……やっぱり、椎我さんと鴨田のおじさまが……おとうさんを……お兄ちゃんを…」
「春日井くん…」
「っ」
 少し万里子の肩が震えたようだった。必死に涙を飲み下したような声が返ってくる。
「…許せないもん」
「……」
「許せないもん。椎我さんも……おじさまも……」
 万里子は体を固くした。
「許せないもん……私も許せないもん」
「春日井くん」
「あたしが……あたしさえしっかりしていたら……お兄ちゃん、死なずに済んだんだもん」
 ひっく、と小さなしゃくり上げる声がした。
「誰よりも好きなお兄ちゃんを死なせたのはあたしなんだもん」
 ほろ苦い想いが湧き上がって来た。スローバラード、音符一つ一つがことことと音を立てて辺りに降り積もってゆく。万里子の涙の苦さを含んで。
「あつしは、いい奴だったよ」
 唐突に口にしてしまった。
「君のやったこと全てを許せるほど、いい奴だったよ」
 ふっと万里子は顔を上げた。濡れた頬に微かな笑みを浮かべる。
「うん…」
「本当だから」
「うん……」
「嘘じゃないから」
「うん」
 俺の必死の説得に、万里子は俯いてくすくす笑い、囁いた。
「お兄ちゃんの次に、木田さん、好き……」
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