『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

文字の大きさ
21 / 31

6.人魚姫(2)

しおりを挟む
 万里子との待ち合わせには、もう少し間があった。
 発信器を着替えに付け直し、くれぐれも気をつけるようにと言い残してお由宇が帰ったのが2時半、待ち合わせが4時だから1時間半空いている。
「ふ、ぅ」
 グレイがかった濃緑のシャツに、黒の合成皮革のネクタイを締めながら溜息をつく。鏡の中に写っている、かなり軽薄そうな前髪に金メッシュを入れた男が自分だと言うことが、未だにぴんと来ない。
 まあ、この格好も、この一件さえ片付けば終わりだ。金メッシュを掻き回し、掛けたサングラスをまじまじと眺めた。これで凄んでみせたら、あの大家はコートを返してくれるだろうか?
「……」
 頭の中に有名な格言が通り過ぎて行く。『触らぬ大家に祟りなし』『君子、大家に近づかず』『墓穴に入らずんばコートを得ず』……やめておこう。
 時間はまだまだあったが、ネクタイと同色のジャケットを羽織りながら部屋を出る。これ以上うだうだ考えていると、『改訂ことわざ辞典』でも作りそうだ。
 エレベーターに乗り込み、1人なのにほっとして1階のボタンを押す。変わってゆく数字を見ながら、自分があつしとは血が繋がっていないのだ、と言った万里子の後ろ姿を思い出していた。
(一体マイクロフィルムはどこにあるんだ? なぜ、あつしは父親に逆らってまで持ち出したんだ?)
 あつしは穏やかな人間だった。見かけ通りの坊っちゃん坊っちゃんした男で、女にはもてていたが、男には敬遠されているところがなきにしもあらずだった。そう言う男のあつしに対しての評価は決まって『いい奴すぎる』。あんまり『いい奴』なんでこっちが息苦しくなると、あの宮田がこぼしていたし、山根も似たようなことを言っていたと思う。山根なんか、女の子の何人かをあつしにひっ攫われたにも関わらず、だ。
 そんなあつしに、お由宇が話した、父親に反発してマイクロフィルム云々と言う話は、いささか激しすぎるような気がする。たとえそうだったとしても、そこには、あつしをそんな激しい行動に駆り立てるものが何かあったはずだ。
 チンと軽い音がして、俺は我に返った。1階で閉まろうとするドアに慌てて飛び出す。管理人がいつものようにじろりと睨め付け、俺は早々にその場を退散し、万里子との待ち合わせ場所、喫茶店『ラズーン』へ向かった。

「お兄ちゃんから?」
 万里子はきょとんと俺を見返した。
 暮れ始めた陽は、彼女の甘い茶色の、つい今まで夢見るような柔らかい色をたたえていた瞳を、淡く翳らせている。
「うん…それは…いっぱいもらったけど…」
 お兄さんから何か受け取ったものはないかと言う質問に、考え考え応じる。続いて訝るように眉を寄せ指を組み、ソーダ水の向こうから俺を透かし見るようにして尋ねてくる。
「どうして?」
「うん…」
 少し迷って前髪を掻き回した。メッシュを入れてから、人の視線がこの辺りに止まるたびにくすぐったくなる。
「ひょっとしたら、何かのきっかけになるかも知れないんだ」
「え…」
「うん」
 万里子のまっすぐな視線にたじろぎながら頷く。
「お兄さんが何に巻き込まれたのか、もっと詳しくわかるだろうし」
「木田さん…どうして、そんなことを?」
 不審げに重ねて聞いてくる。そりゃそうか。
「どうしてって…」
「まるで、警察の人みたい」
「まさか!」
 思わず椅子から滑り落ちそうになって引きつり笑いをした。
「そう見えるかい?」
「……」
 万里子はしばらく俺をまじまじと眺めていたが、やがてきっぱりと、
「ううん」
 首を振った。
 半分はほっとしながらも、半分はそこまできっぱり否定する理由ってのは抜けてるからかそうなのか、といじけかける。まあとにかく、早く元の姿に戻るためにも、万里子の身の危険を減らすためにも、少しでも早くマイクロフィルムの在処を探らなくてはならない。
「うん、わかった」
 万里子は目を輝かせてこっくりと頷いた。
「この際だもの、木田さんが何者なのかは後回しにするわ」
「はは…」
 本当に最近の女の子っていうのはしっかりしてる。
「と言ってもね、お兄ちゃんからもらった物って、本当にたくさんあるのよね」
 万里子はソーダの中の赤いサクランボをストローで追い回しながら、考え込んだ口調になった。
「誕生日ごとにプレゼントはもらってたでしょ。クリスマスにもプレゼントもらってたし、可愛いぬいぐるみを見つけたらすぐ買ってきちゃうし…」
「それほど前のことじゃないと思うんだ」
 お由宇のことばを思い出す。少なくともあつしが動き始めたのは、ここ1、2ヶ月のはずだった。
「それほど前のことじゃないって言っても……」
 万里子は眉を寄せ、ソーダ水を吸い上げた。
「1ヶ月前に猫のぬいぐるみでしょ、半月前に人魚姫のぬいぐるみで、事故の直前に……」
 万里子は辛い思い出を見つけてしまったと言いたげに寂しく笑った。
「ぶたのぬいぐるみ……でも、もう、あの子達の仲間は増えないんだよね」
「猫に人魚姫にぶた、ねえ…」
 溜息をついた。マイクロフィルムと言うぐらいだから、ぬいぐるみになんか、どこにでも隠せるだろう。
「ぬいぐるみって多いのか?」
「うん、私、ぬいぐるみ好きだから。部屋にいっぱい。30個以上あると思うけど」
「もらったのは、ぬいぐるみだけ?」
「うん……あ、2ヶ月前ぐらいなら、ブックスタンドがあった」
「ブックスタンド…」
 確かにマイクロフィルムを隠せないこともないだろう。
 俺の困惑に気づいたのか、万里子は小首を傾げて尋ねた。
「わかりそう?」
「それが全く……実物見れば探しようがあるかも………っ」
 口走ってからしまったと思ったが後の祭りだった。パッと顔を輝かせた万里子が席を立ち、片腕を抱え込んできながら嬉々として見下ろす。
「わ、木田さん、来てくれるの?!  嬉しい!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

翡翠の歌姫-皇帝が封じた声【中華サスペンス×切ない恋】

雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に巻き込まれる【詳細⬇️】 陽国には、かつて“声”で争い事を鎮めた者がいた。田舎の雪国で生まれ育った翠蓮(スイレン)。幼くして両親を亡くし孤児となった彼女に残されたのは、翡翠の瞳と、母が遺した小さな首飾り、そして歌への情熱だった。 宮廷歌姫に憧れ、陽華宮の門を叩いた翠蓮だったが、試験の場で早くもあらぬ疑いをかけられる。 その歌声が秘める力を、彼女はまだ知らない。 翠蓮に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。 誰が味方で、誰が“声”を利用しようとしているのか。歌声に導かれ、三人は王家が隠し続けてきた運命へと引き寄せられていく。 【中華サスペンス×切ない恋】 ミステリー要素あり/ドロドロな重い話あり/身分違いの恋あり 旧題:翡翠の歌姫と2人の王子

処理中です...