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6.人魚姫(2)
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万里子との待ち合わせには、もう少し間があった。
発信器を着替えに付け直し、くれぐれも気をつけるようにと言い残してお由宇が帰ったのが2時半、待ち合わせが4時だから1時間半空いている。
「ふ、ぅ」
グレイがかった濃緑のシャツに、黒の合成皮革のネクタイを締めながら溜息をつく。鏡の中に写っている、かなり軽薄そうな前髪に金メッシュを入れた男が自分だと言うことが、未だにぴんと来ない。
まあ、この格好も、この一件さえ片付けば終わりだ。金メッシュを掻き回し、掛けたサングラスをまじまじと眺めた。これで凄んでみせたら、あの大家はコートを返してくれるだろうか?
「……」
頭の中に有名な格言が通り過ぎて行く。『触らぬ大家に祟りなし』『君子、大家に近づかず』『墓穴に入らずんばコートを得ず』……やめておこう。
時間はまだまだあったが、ネクタイと同色のジャケットを羽織りながら部屋を出る。これ以上うだうだ考えていると、『改訂ことわざ辞典』でも作りそうだ。
エレベーターに乗り込み、1人なのにほっとして1階のボタンを押す。変わってゆく数字を見ながら、自分があつしとは血が繋がっていないのだ、と言った万里子の後ろ姿を思い出していた。
(一体マイクロフィルムはどこにあるんだ? なぜ、あつしは父親に逆らってまで持ち出したんだ?)
あつしは穏やかな人間だった。見かけ通りの坊っちゃん坊っちゃんした男で、女にはもてていたが、男には敬遠されているところがなきにしもあらずだった。そう言う男のあつしに対しての評価は決まって『いい奴すぎる』。あんまり『いい奴』なんでこっちが息苦しくなると、あの宮田がこぼしていたし、山根も似たようなことを言っていたと思う。山根なんか、女の子の何人かをあつしにひっ攫われたにも関わらず、だ。
そんなあつしに、お由宇が話した、父親に反発してマイクロフィルム云々と言う話は、いささか激しすぎるような気がする。たとえそうだったとしても、そこには、あつしをそんな激しい行動に駆り立てるものが何かあったはずだ。
チンと軽い音がして、俺は我に返った。1階で閉まろうとするドアに慌てて飛び出す。管理人がいつものようにじろりと睨め付け、俺は早々にその場を退散し、万里子との待ち合わせ場所、喫茶店『ラズーン』へ向かった。
「お兄ちゃんから?」
万里子はきょとんと俺を見返した。
暮れ始めた陽は、彼女の甘い茶色の、つい今まで夢見るような柔らかい色をたたえていた瞳を、淡く翳らせている。
「うん…それは…いっぱいもらったけど…」
お兄さんから何か受け取ったものはないかと言う質問に、考え考え応じる。続いて訝るように眉を寄せ指を組み、ソーダ水の向こうから俺を透かし見るようにして尋ねてくる。
「どうして?」
「うん…」
少し迷って前髪を掻き回した。メッシュを入れてから、人の視線がこの辺りに止まるたびにくすぐったくなる。
「ひょっとしたら、何かのきっかけになるかも知れないんだ」
「え…」
「うん」
万里子のまっすぐな視線にたじろぎながら頷く。
「お兄さんが何に巻き込まれたのか、もっと詳しくわかるだろうし」
「木田さん…どうして、そんなことを?」
不審げに重ねて聞いてくる。そりゃそうか。
「どうしてって…」
「まるで、警察の人みたい」
「まさか!」
思わず椅子から滑り落ちそうになって引きつり笑いをした。
「そう見えるかい?」
「……」
万里子はしばらく俺をまじまじと眺めていたが、やがてきっぱりと、
「ううん」
首を振った。
半分はほっとしながらも、半分はそこまできっぱり否定する理由ってのは抜けてるからかそうなのか、といじけかける。まあとにかく、早く元の姿に戻るためにも、万里子の身の危険を減らすためにも、少しでも早くマイクロフィルムの在処を探らなくてはならない。
「うん、わかった」
万里子は目を輝かせてこっくりと頷いた。
「この際だもの、木田さんが何者なのかは後回しにするわ」
「はは…」
本当に最近の女の子っていうのはしっかりしてる。
「と言ってもね、お兄ちゃんからもらった物って、本当にたくさんあるのよね」
万里子はソーダの中の赤いサクランボをストローで追い回しながら、考え込んだ口調になった。
「誕生日ごとにプレゼントはもらってたでしょ。クリスマスにもプレゼントもらってたし、可愛いぬいぐるみを見つけたらすぐ買ってきちゃうし…」
「それほど前のことじゃないと思うんだ」
お由宇のことばを思い出す。少なくともあつしが動き始めたのは、ここ1、2ヶ月のはずだった。
「それほど前のことじゃないって言っても……」
万里子は眉を寄せ、ソーダ水を吸い上げた。
「1ヶ月前に猫のぬいぐるみでしょ、半月前に人魚姫のぬいぐるみで、事故の直前に……」
万里子は辛い思い出を見つけてしまったと言いたげに寂しく笑った。
「ぶたのぬいぐるみ……でも、もう、あの子達の仲間は増えないんだよね」
「猫に人魚姫にぶた、ねえ…」
溜息をついた。マイクロフィルムと言うぐらいだから、ぬいぐるみになんか、どこにでも隠せるだろう。
「ぬいぐるみって多いのか?」
「うん、私、ぬいぐるみ好きだから。部屋にいっぱい。30個以上あると思うけど」
「もらったのは、ぬいぐるみだけ?」
「うん……あ、2ヶ月前ぐらいなら、ブックスタンドがあった」
「ブックスタンド…」
確かにマイクロフィルムを隠せないこともないだろう。
俺の困惑に気づいたのか、万里子は小首を傾げて尋ねた。
「わかりそう?」
「それが全く……実物見れば探しようがあるかも………っ」
口走ってからしまったと思ったが後の祭りだった。パッと顔を輝かせた万里子が席を立ち、片腕を抱え込んできながら嬉々として見下ろす。
「わ、木田さん、来てくれるの?! 嬉しい!」
発信器を着替えに付け直し、くれぐれも気をつけるようにと言い残してお由宇が帰ったのが2時半、待ち合わせが4時だから1時間半空いている。
「ふ、ぅ」
グレイがかった濃緑のシャツに、黒の合成皮革のネクタイを締めながら溜息をつく。鏡の中に写っている、かなり軽薄そうな前髪に金メッシュを入れた男が自分だと言うことが、未だにぴんと来ない。
まあ、この格好も、この一件さえ片付けば終わりだ。金メッシュを掻き回し、掛けたサングラスをまじまじと眺めた。これで凄んでみせたら、あの大家はコートを返してくれるだろうか?
「……」
頭の中に有名な格言が通り過ぎて行く。『触らぬ大家に祟りなし』『君子、大家に近づかず』『墓穴に入らずんばコートを得ず』……やめておこう。
時間はまだまだあったが、ネクタイと同色のジャケットを羽織りながら部屋を出る。これ以上うだうだ考えていると、『改訂ことわざ辞典』でも作りそうだ。
エレベーターに乗り込み、1人なのにほっとして1階のボタンを押す。変わってゆく数字を見ながら、自分があつしとは血が繋がっていないのだ、と言った万里子の後ろ姿を思い出していた。
(一体マイクロフィルムはどこにあるんだ? なぜ、あつしは父親に逆らってまで持ち出したんだ?)
あつしは穏やかな人間だった。見かけ通りの坊っちゃん坊っちゃんした男で、女にはもてていたが、男には敬遠されているところがなきにしもあらずだった。そう言う男のあつしに対しての評価は決まって『いい奴すぎる』。あんまり『いい奴』なんでこっちが息苦しくなると、あの宮田がこぼしていたし、山根も似たようなことを言っていたと思う。山根なんか、女の子の何人かをあつしにひっ攫われたにも関わらず、だ。
そんなあつしに、お由宇が話した、父親に反発してマイクロフィルム云々と言う話は、いささか激しすぎるような気がする。たとえそうだったとしても、そこには、あつしをそんな激しい行動に駆り立てるものが何かあったはずだ。
チンと軽い音がして、俺は我に返った。1階で閉まろうとするドアに慌てて飛び出す。管理人がいつものようにじろりと睨め付け、俺は早々にその場を退散し、万里子との待ち合わせ場所、喫茶店『ラズーン』へ向かった。
「お兄ちゃんから?」
万里子はきょとんと俺を見返した。
暮れ始めた陽は、彼女の甘い茶色の、つい今まで夢見るような柔らかい色をたたえていた瞳を、淡く翳らせている。
「うん…それは…いっぱいもらったけど…」
お兄さんから何か受け取ったものはないかと言う質問に、考え考え応じる。続いて訝るように眉を寄せ指を組み、ソーダ水の向こうから俺を透かし見るようにして尋ねてくる。
「どうして?」
「うん…」
少し迷って前髪を掻き回した。メッシュを入れてから、人の視線がこの辺りに止まるたびにくすぐったくなる。
「ひょっとしたら、何かのきっかけになるかも知れないんだ」
「え…」
「うん」
万里子のまっすぐな視線にたじろぎながら頷く。
「お兄さんが何に巻き込まれたのか、もっと詳しくわかるだろうし」
「木田さん…どうして、そんなことを?」
不審げに重ねて聞いてくる。そりゃそうか。
「どうしてって…」
「まるで、警察の人みたい」
「まさか!」
思わず椅子から滑り落ちそうになって引きつり笑いをした。
「そう見えるかい?」
「……」
万里子はしばらく俺をまじまじと眺めていたが、やがてきっぱりと、
「ううん」
首を振った。
半分はほっとしながらも、半分はそこまできっぱり否定する理由ってのは抜けてるからかそうなのか、といじけかける。まあとにかく、早く元の姿に戻るためにも、万里子の身の危険を減らすためにも、少しでも早くマイクロフィルムの在処を探らなくてはならない。
「うん、わかった」
万里子は目を輝かせてこっくりと頷いた。
「この際だもの、木田さんが何者なのかは後回しにするわ」
「はは…」
本当に最近の女の子っていうのはしっかりしてる。
「と言ってもね、お兄ちゃんからもらった物って、本当にたくさんあるのよね」
万里子はソーダの中の赤いサクランボをストローで追い回しながら、考え込んだ口調になった。
「誕生日ごとにプレゼントはもらってたでしょ。クリスマスにもプレゼントもらってたし、可愛いぬいぐるみを見つけたらすぐ買ってきちゃうし…」
「それほど前のことじゃないと思うんだ」
お由宇のことばを思い出す。少なくともあつしが動き始めたのは、ここ1、2ヶ月のはずだった。
「それほど前のことじゃないって言っても……」
万里子は眉を寄せ、ソーダ水を吸い上げた。
「1ヶ月前に猫のぬいぐるみでしょ、半月前に人魚姫のぬいぐるみで、事故の直前に……」
万里子は辛い思い出を見つけてしまったと言いたげに寂しく笑った。
「ぶたのぬいぐるみ……でも、もう、あの子達の仲間は増えないんだよね」
「猫に人魚姫にぶた、ねえ…」
溜息をついた。マイクロフィルムと言うぐらいだから、ぬいぐるみになんか、どこにでも隠せるだろう。
「ぬいぐるみって多いのか?」
「うん、私、ぬいぐるみ好きだから。部屋にいっぱい。30個以上あると思うけど」
「もらったのは、ぬいぐるみだけ?」
「うん……あ、2ヶ月前ぐらいなら、ブックスタンドがあった」
「ブックスタンド…」
確かにマイクロフィルムを隠せないこともないだろう。
俺の困惑に気づいたのか、万里子は小首を傾げて尋ねた。
「わかりそう?」
「それが全く……実物見れば探しようがあるかも………っ」
口走ってからしまったと思ったが後の祭りだった。パッと顔を輝かせた万里子が席を立ち、片腕を抱え込んできながら嬉々として見下ろす。
「わ、木田さん、来てくれるの?! 嬉しい!」
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