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第3章
11.刑罰(3)
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難波孝は結局自殺した、そういうことなのだろうか。
去っていく明に手を振って、美並は喫茶店の前で向きを変え、ゆっくりと歩き出す。
『で、ここまで来れば想像つくだろうけど』
明の声が脳裏に繰り返す。
『その万引きした男と仲間っていうのが、あの時のやつらで』
だから有沢さんが担当したらしいんだけど。
『こういうのって運命って言うのかな』
遠い遥かな場所で絡み合って解れた糸が、時間を越えてもう一度縺れあってくる。
「いらっしゃいませ~」
真崎のマンションの近くのコンビニで昼用のサンドイッチか調理パンを、と見て回ってレジへ差し出し、笑いながら手を伸ばしてくる店員を凝視した。
「温めます?」
「いえ」
頷く男はあの頃と同じ24、5歳、あの頃は結構な大人に見えたのに今の美並からは年下になる。視線をずらせていって腹のあたりを見たが、相手にいつかのような曇りはない。
あの時だって、見るつもりなどなかったのだ。
高校2年の春。
冬に抱えた傷みがまだ癒えてはなくて、けれど次は引くまいと覚悟を決めていた美並の気持ちを試すように、それは起こった。
「はい、347円になります」
にっこりとこちらを見たレジの青年の腹のあたりに、鈍く澱む靄。
学校帰りにたまたま立ち寄ったコンビニだった。好きなマンガを探して帰ろうと思い付き、コンビニで菓子パンとカフェラテを買って公園ででも食べよう、そう思っていた。
「ありがとう」
お礼を告げると相手はちょっと驚いたような顔になったが、次の瞬間一瞬目を細め、やがてにこりと笑って会釈した。
お釣りを受け取ろうと手を開いたら、硬貨を置くときにちょっと指先で掌に触れてきて、視線を上げた美並にもう一度微笑む。
「またどうぞ」
「…」
今度は美並が会釈だけ返して、パンとカフェラテを手提げ袋に入れて店を出る。
出て行くときに振り返ると、青年は次のお客の相手をしていたが、その腹のあたりに漂う靄はやはりコンビニの制服の汚れのように、けれどゆらゆらと揺れながらまとわりついている。
「……」
どうしよう。
コンビニの近くの駅前ロータリーについている小さな公園で、美並はベンチに腰を降ろしてパンを取り出した。いちごクリームふわふわパン、と表示された袋を開く。ぱくり、と噛むと甘酸っぱいクリームが舌に広がる。
どうする。
美並はもう自分の感覚を疑っていない。冬の辛い経験から、あの靄は「よくないもの」がそこにあることを示しているとわかっている。それを告げるのを恐れて美並は酷く後悔した。だから今度は告げるべきだろうとは思う。
でも、どうやって。
「……」
パンをもぐもぐ噛み締めながらぼんやりと公園の景色を見る。
春先の柔らかで綺羅らかな空気、緑が次第に鮮やかさを取り戻してくるこの季節の浮き立つ気配は好きだ。厳しく体を竦めていた木々がゆっくりと鎧を切り解き、花開く時のために準備をしているのが、膨らんだ芽やあちこちの伸び始めた若い枝に見てとれる。
「ん……っ」
パンを食べ終わり、両手を上げて伸びをした。
遠くの方に居た親子連れが不審そうな顔で見ているが、別に曇りも澱みもないから気にならない。高校生が、しかも女の子一人で公園でパンを食べてるなんて違和感のある光景だろう。
「は…ぁ」
そのままたらん、とベンチにもたれて目を閉じると日射しがちらちらと目蓋に踊る。制服に温かな光、柔らかく包まれて気持ちがいい。ふ、と何か唇に触れた気がして目を開けると、散り落ちてきていた桜の花びらが視界を舞っていた。
キスされた、みたい。
マンガや小説や友達の話、キスされたり抱き締められたり、好きだと囁かれたり肩を並べて歩いたり、きっと楽しいだろう。わくわくして、嬉しいだろう。好きな人と一緒に居るなら、見慣れた景色が別のものに見えるかもしれない。通い慣れた道も知らない場所に思えたり、初めて行くところも不安よりは楽しみが先に来るかもしれない。
「…ないない」
小さく苦笑して、また目を閉じる。
いいなと思う人がいないわけじゃない。街中ですれ違った男の人にどきりとしたりもする。さっきのコンビニの人だって、結構イイ。
それでも。
「……」
ゆっくり目を開ける。
それでも、美並が真っ先にに気付くのは、ああいうもの、なのだ。
学校でいいと思った同級生が実は嘘ばかりついて何人かの相手を掛け持ちして付き合っていることを気付いてしまう。街中ですれ違ったすっきりした男性が後ろ暗い仕事に手を出しているらしいとわかってしまう。さっきのコンビニの人だって「よくないもの」を抱えてる。
見えてくるものを知らん顔をしていられるほど、まだ美並は大人になり切れていない。動揺し、怯み、妙な言動で相手に気付いたと知らせてしまう。
そうして、自分のまずいところを見せて平然としていられる相手、それも自分が付き合っている相手に心の底まで見抜かれて平気な人間というのは、まずいない。
それでも。
「…んっ」
少し気合いを入れて体を起こし、カフェラテのストローを刺す。
それでも。
誰かを、好きに、なりたい。
去っていく明に手を振って、美並は喫茶店の前で向きを変え、ゆっくりと歩き出す。
『で、ここまで来れば想像つくだろうけど』
明の声が脳裏に繰り返す。
『その万引きした男と仲間っていうのが、あの時のやつらで』
だから有沢さんが担当したらしいんだけど。
『こういうのって運命って言うのかな』
遠い遥かな場所で絡み合って解れた糸が、時間を越えてもう一度縺れあってくる。
「いらっしゃいませ~」
真崎のマンションの近くのコンビニで昼用のサンドイッチか調理パンを、と見て回ってレジへ差し出し、笑いながら手を伸ばしてくる店員を凝視した。
「温めます?」
「いえ」
頷く男はあの頃と同じ24、5歳、あの頃は結構な大人に見えたのに今の美並からは年下になる。視線をずらせていって腹のあたりを見たが、相手にいつかのような曇りはない。
あの時だって、見るつもりなどなかったのだ。
高校2年の春。
冬に抱えた傷みがまだ癒えてはなくて、けれど次は引くまいと覚悟を決めていた美並の気持ちを試すように、それは起こった。
「はい、347円になります」
にっこりとこちらを見たレジの青年の腹のあたりに、鈍く澱む靄。
学校帰りにたまたま立ち寄ったコンビニだった。好きなマンガを探して帰ろうと思い付き、コンビニで菓子パンとカフェラテを買って公園ででも食べよう、そう思っていた。
「ありがとう」
お礼を告げると相手はちょっと驚いたような顔になったが、次の瞬間一瞬目を細め、やがてにこりと笑って会釈した。
お釣りを受け取ろうと手を開いたら、硬貨を置くときにちょっと指先で掌に触れてきて、視線を上げた美並にもう一度微笑む。
「またどうぞ」
「…」
今度は美並が会釈だけ返して、パンとカフェラテを手提げ袋に入れて店を出る。
出て行くときに振り返ると、青年は次のお客の相手をしていたが、その腹のあたりに漂う靄はやはりコンビニの制服の汚れのように、けれどゆらゆらと揺れながらまとわりついている。
「……」
どうしよう。
コンビニの近くの駅前ロータリーについている小さな公園で、美並はベンチに腰を降ろしてパンを取り出した。いちごクリームふわふわパン、と表示された袋を開く。ぱくり、と噛むと甘酸っぱいクリームが舌に広がる。
どうする。
美並はもう自分の感覚を疑っていない。冬の辛い経験から、あの靄は「よくないもの」がそこにあることを示しているとわかっている。それを告げるのを恐れて美並は酷く後悔した。だから今度は告げるべきだろうとは思う。
でも、どうやって。
「……」
パンをもぐもぐ噛み締めながらぼんやりと公園の景色を見る。
春先の柔らかで綺羅らかな空気、緑が次第に鮮やかさを取り戻してくるこの季節の浮き立つ気配は好きだ。厳しく体を竦めていた木々がゆっくりと鎧を切り解き、花開く時のために準備をしているのが、膨らんだ芽やあちこちの伸び始めた若い枝に見てとれる。
「ん……っ」
パンを食べ終わり、両手を上げて伸びをした。
遠くの方に居た親子連れが不審そうな顔で見ているが、別に曇りも澱みもないから気にならない。高校生が、しかも女の子一人で公園でパンを食べてるなんて違和感のある光景だろう。
「は…ぁ」
そのままたらん、とベンチにもたれて目を閉じると日射しがちらちらと目蓋に踊る。制服に温かな光、柔らかく包まれて気持ちがいい。ふ、と何か唇に触れた気がして目を開けると、散り落ちてきていた桜の花びらが視界を舞っていた。
キスされた、みたい。
マンガや小説や友達の話、キスされたり抱き締められたり、好きだと囁かれたり肩を並べて歩いたり、きっと楽しいだろう。わくわくして、嬉しいだろう。好きな人と一緒に居るなら、見慣れた景色が別のものに見えるかもしれない。通い慣れた道も知らない場所に思えたり、初めて行くところも不安よりは楽しみが先に来るかもしれない。
「…ないない」
小さく苦笑して、また目を閉じる。
いいなと思う人がいないわけじゃない。街中ですれ違った男の人にどきりとしたりもする。さっきのコンビニの人だって、結構イイ。
それでも。
「……」
ゆっくり目を開ける。
それでも、美並が真っ先にに気付くのは、ああいうもの、なのだ。
学校でいいと思った同級生が実は嘘ばかりついて何人かの相手を掛け持ちして付き合っていることを気付いてしまう。街中ですれ違ったすっきりした男性が後ろ暗い仕事に手を出しているらしいとわかってしまう。さっきのコンビニの人だって「よくないもの」を抱えてる。
見えてくるものを知らん顔をしていられるほど、まだ美並は大人になり切れていない。動揺し、怯み、妙な言動で相手に気付いたと知らせてしまう。
そうして、自分のまずいところを見せて平然としていられる相手、それも自分が付き合っている相手に心の底まで見抜かれて平気な人間というのは、まずいない。
それでも。
「…んっ」
少し気合いを入れて体を起こし、カフェラテのストローを刺す。
それでも。
誰かを、好きに、なりたい。
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