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第4章
2.ビハインド(3)
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「僕ってこんなに意気地なしだっけ」
他の女性に対してはもう少し強気だったと思うけど。
自宅に向かうエレベーター内で、京介はこちん、と額を壁に当てる。
ああ、でもそれは理由としては簡単だよね、とすぐに思った。
「失っても平気だったし」
何を目当てに近付いてきているのか、相手の心など透けて見えた。表面は優しく付き合っても、決して深みに入ってこない京介を、大抵は不安がって苛立って、そのうち責めたり落ち込んだり。それでも京介が態度を変えないとなると、熱が引いたように一気に離れていく。
しつこいのは自分が男全てに求められていないと気が済まない恵子と。
「……あ、薬、あるかも」
相子のことを思い出して、同時にどこかの引き出しに突っ込んだ薬袋の記憶が蘇った。
京介がそっけないのに不安になって眠れなくなって、ねえほら、お医者さんにまで行ってきたのよ、と見せた袋の中に、確か軽い安定剤と睡眠導入剤があったはずだ。
「結局あれはポーズだったし」
泊まっていった時、本当に夜中眠れなくて薄目を開けていた京介と違い、健やかに気持ちよさそうに眠っていたのも知っている。結局呑み切らないままに、それでもこれみよがしに放置してあったから、引き出しに突っ込んだはずだ。
「女なんてみんなそんなもんだと思ってたけど」
ゆら、と揺れてエレベーターが止まり、のろのろと京介は開いた扉を通り抜けた。
今、そういう女達の気持ちが満更わからなくもない、と思う。
伊吹が居なくなるかもしれない。
指に嵌めているこの約束が、意味を為さなくなるかもしれない。
どうなるかわからない未来の可能性に不安がるんじゃなくて、すぐそこに見えている終わりを感じて怯えている。それを見ないためには、何でもしそうな自分が不安なんだ。
「……仕事がなかったら…やばかったな」
京介の場合はまだ押し迫った案件があり、動くべき事業があり、してなくてはならないこと、会わなくてはならない相手、進めなくてはならないステップがある。
もしそれが何もなくて、京介一人の自由があって、何をしても構わない、何をしても終わるまで咎められないとなったら。
「……何しちゃうんだろ」
現に今、職場に戻ってもいいはずなのに、打ち合わせと調整、その後直帰、などと口実をつけて伊吹を避けて逃げている。
「ちゃんと、話すって」
いつだろう。
どんなふうに。
「っ」
考えた瞬間、胸元で携帯が振動してどきりとした。
「……伊吹さん」
掌の中で数回震えて止まった携帯は伊吹からの着信を知らせている。きっと石塚あたりから何か聞いてかけてくれたのだろう。それとも。
「今夜話しましょう、とか?」
思わず携帯を閉じる。
内ポケットに滑り込ませて、そのまま上着を脱いでソファに投げた。
冷え切った部屋でまっすぐ机に向かってパソコンを立ち上げ、側に持ち帰った書類を積む。
「こういうところは便利だよね」
書類仕事だけなら家でも事足りる。緊急の連絡は細田に振ったし、どうしても判断がつきかねる時は自宅に戻ってると知らせているから、細田から連絡が入るだろう。
京介は軽く眼鏡を押し上げ、キーボードに指を走らせ始めた。
携帯はその後何度か振動した。
集中していても、その振動だけは確実に耳が拾う。時にうんと長く振動している時もあって、メールだけではなく、電話してきているのだとも気付いた。
水を飲み、トイレに行った時にさすがにチェックして、高崎から入っていた明後日の源内との打ち合わせの件は連絡を取ったけれど、後数件入っていた伊吹からのものは、メールも電話も応じることができず、しばらく見つめた後に携帯を閉じた。
頭の中が空回りして過熱している、そんな感覚になって眼鏡を外した時、時計はもう23時を回っていた。
「………あいつと、一緒なのかな」
ぼんやり呟いて、胸が痛くなった。
これだけ連絡が取れないなら、伊吹ならば訪ねてくれるんじゃないか。
そんな風に自分が思っていたとふいに気付いて苦笑する。
「…甘えてるな」
だから伊吹さんはもう嫌になったのかな。
僕よりあいつ、有沢とかいうやつに守られる方がいいって思うようになったのかな。
「…………いっぱい無理させた、よね」
いつも怯んでいつも脅えていつも閉じこもって、そうして伊吹が包んで温めて飛び込んできてくれた。
「………無理…ないよね……」
そんな男とこれから一生付き合うのかと、ふいに改めて考えてしまったんじゃないだろうか。
脳裏を伊吹の父親の顔が過る。
幸せになってやってください。
娘はそれを願ってるから、そう言われて、そこに込められた気持ちの強さとか切なさとか、そういうことばに繋がってしまうしかなかった伊吹のこれまでの付き合いとか、そんなこんなを考えてみて。
「……僕が幸せになれば、いいんだけど」
京介はすぐに不安になるし、落ち込むし、伊吹を束縛しようとする。
京介の幸せは、伊吹が側に居てくれることなのだけど、そんな風に拠り所にされて伊吹は安心などできないだろう。
「鎖みたいだし」
はあ、と溜め息をついて、立ち上がる。
昨日も寝てない、今日もやっぱり眠くない。
仕事はかなり先まで手を打った。明日は会議もないし、重要な打ち合わせもない。
「休もうかな」
伊吹に「大事な話」を持ちかけられるとしたら、明日の可能性が高い。
「……卑怯だよね」
伊吹が大事ならちゃんと仕事に出て、彼女の話を聞いて、もしかしたらせっかく渡した指輪も返されるかもしれないけれど、それもちゃんと受け取るのがやっぱり男としての責任というか、大人としての対応というか。
「………少しは寝ておかなくちゃ」
パソコンの電源を落とし、書類をまとめた。
気分転換にシャワーを浴びて、きりきりした感覚のまま見下ろし、苦笑いする。
「何思い出してるんだか」
体って変だな、と少し触れてみた。
そうだこの前は伊吹が来てくれて。
しがみついて抱き締めてもらって。
それからああ、まだ昨日とか一昨日とかのレベルなんだよね、伊吹さんを抱き締めてたの。
「天国と地獄がこんなに近いと思わなかったよ」
そうだね、ちょっと近いんだ。
呼吸を喘がせながら、指を動かす。
「伊吹…さ…」
なんでこんなところで独りで。
「……み…なみ……」
柔らかくて甘い温もりに触れたい。こんなにわけがわからないまま煽られてる代物じゃなくて。
「みなみ…っ」
入りたい。
抱き締めてほしい。
深くまで包んでほしい。
「…っ、」
溶けてしまいたい、このまま全部。
「…っ、は」
頼りない空っぽの場所に解き放っていくものは、どこにも受け止められなくて流れ落ちていくだけだ。
「…は、……は、はっ」
乱れた呼吸に嘲った。
他の女性に対してはもう少し強気だったと思うけど。
自宅に向かうエレベーター内で、京介はこちん、と額を壁に当てる。
ああ、でもそれは理由としては簡単だよね、とすぐに思った。
「失っても平気だったし」
何を目当てに近付いてきているのか、相手の心など透けて見えた。表面は優しく付き合っても、決して深みに入ってこない京介を、大抵は不安がって苛立って、そのうち責めたり落ち込んだり。それでも京介が態度を変えないとなると、熱が引いたように一気に離れていく。
しつこいのは自分が男全てに求められていないと気が済まない恵子と。
「……あ、薬、あるかも」
相子のことを思い出して、同時にどこかの引き出しに突っ込んだ薬袋の記憶が蘇った。
京介がそっけないのに不安になって眠れなくなって、ねえほら、お医者さんにまで行ってきたのよ、と見せた袋の中に、確か軽い安定剤と睡眠導入剤があったはずだ。
「結局あれはポーズだったし」
泊まっていった時、本当に夜中眠れなくて薄目を開けていた京介と違い、健やかに気持ちよさそうに眠っていたのも知っている。結局呑み切らないままに、それでもこれみよがしに放置してあったから、引き出しに突っ込んだはずだ。
「女なんてみんなそんなもんだと思ってたけど」
ゆら、と揺れてエレベーターが止まり、のろのろと京介は開いた扉を通り抜けた。
今、そういう女達の気持ちが満更わからなくもない、と思う。
伊吹が居なくなるかもしれない。
指に嵌めているこの約束が、意味を為さなくなるかもしれない。
どうなるかわからない未来の可能性に不安がるんじゃなくて、すぐそこに見えている終わりを感じて怯えている。それを見ないためには、何でもしそうな自分が不安なんだ。
「……仕事がなかったら…やばかったな」
京介の場合はまだ押し迫った案件があり、動くべき事業があり、してなくてはならないこと、会わなくてはならない相手、進めなくてはならないステップがある。
もしそれが何もなくて、京介一人の自由があって、何をしても構わない、何をしても終わるまで咎められないとなったら。
「……何しちゃうんだろ」
現に今、職場に戻ってもいいはずなのに、打ち合わせと調整、その後直帰、などと口実をつけて伊吹を避けて逃げている。
「ちゃんと、話すって」
いつだろう。
どんなふうに。
「っ」
考えた瞬間、胸元で携帯が振動してどきりとした。
「……伊吹さん」
掌の中で数回震えて止まった携帯は伊吹からの着信を知らせている。きっと石塚あたりから何か聞いてかけてくれたのだろう。それとも。
「今夜話しましょう、とか?」
思わず携帯を閉じる。
内ポケットに滑り込ませて、そのまま上着を脱いでソファに投げた。
冷え切った部屋でまっすぐ机に向かってパソコンを立ち上げ、側に持ち帰った書類を積む。
「こういうところは便利だよね」
書類仕事だけなら家でも事足りる。緊急の連絡は細田に振ったし、どうしても判断がつきかねる時は自宅に戻ってると知らせているから、細田から連絡が入るだろう。
京介は軽く眼鏡を押し上げ、キーボードに指を走らせ始めた。
携帯はその後何度か振動した。
集中していても、その振動だけは確実に耳が拾う。時にうんと長く振動している時もあって、メールだけではなく、電話してきているのだとも気付いた。
水を飲み、トイレに行った時にさすがにチェックして、高崎から入っていた明後日の源内との打ち合わせの件は連絡を取ったけれど、後数件入っていた伊吹からのものは、メールも電話も応じることができず、しばらく見つめた後に携帯を閉じた。
頭の中が空回りして過熱している、そんな感覚になって眼鏡を外した時、時計はもう23時を回っていた。
「………あいつと、一緒なのかな」
ぼんやり呟いて、胸が痛くなった。
これだけ連絡が取れないなら、伊吹ならば訪ねてくれるんじゃないか。
そんな風に自分が思っていたとふいに気付いて苦笑する。
「…甘えてるな」
だから伊吹さんはもう嫌になったのかな。
僕よりあいつ、有沢とかいうやつに守られる方がいいって思うようになったのかな。
「…………いっぱい無理させた、よね」
いつも怯んでいつも脅えていつも閉じこもって、そうして伊吹が包んで温めて飛び込んできてくれた。
「………無理…ないよね……」
そんな男とこれから一生付き合うのかと、ふいに改めて考えてしまったんじゃないだろうか。
脳裏を伊吹の父親の顔が過る。
幸せになってやってください。
娘はそれを願ってるから、そう言われて、そこに込められた気持ちの強さとか切なさとか、そういうことばに繋がってしまうしかなかった伊吹のこれまでの付き合いとか、そんなこんなを考えてみて。
「……僕が幸せになれば、いいんだけど」
京介はすぐに不安になるし、落ち込むし、伊吹を束縛しようとする。
京介の幸せは、伊吹が側に居てくれることなのだけど、そんな風に拠り所にされて伊吹は安心などできないだろう。
「鎖みたいだし」
はあ、と溜め息をついて、立ち上がる。
昨日も寝てない、今日もやっぱり眠くない。
仕事はかなり先まで手を打った。明日は会議もないし、重要な打ち合わせもない。
「休もうかな」
伊吹に「大事な話」を持ちかけられるとしたら、明日の可能性が高い。
「……卑怯だよね」
伊吹が大事ならちゃんと仕事に出て、彼女の話を聞いて、もしかしたらせっかく渡した指輪も返されるかもしれないけれど、それもちゃんと受け取るのがやっぱり男としての責任というか、大人としての対応というか。
「………少しは寝ておかなくちゃ」
パソコンの電源を落とし、書類をまとめた。
気分転換にシャワーを浴びて、きりきりした感覚のまま見下ろし、苦笑いする。
「何思い出してるんだか」
体って変だな、と少し触れてみた。
そうだこの前は伊吹が来てくれて。
しがみついて抱き締めてもらって。
それからああ、まだ昨日とか一昨日とかのレベルなんだよね、伊吹さんを抱き締めてたの。
「天国と地獄がこんなに近いと思わなかったよ」
そうだね、ちょっと近いんだ。
呼吸を喘がせながら、指を動かす。
「伊吹…さ…」
なんでこんなところで独りで。
「……み…なみ……」
柔らかくて甘い温もりに触れたい。こんなにわけがわからないまま煽られてる代物じゃなくて。
「みなみ…っ」
入りたい。
抱き締めてほしい。
深くまで包んでほしい。
「…っ、」
溶けてしまいたい、このまま全部。
「…っ、は」
頼りない空っぽの場所に解き放っていくものは、どこにも受け止められなくて流れ落ちていくだけだ。
「…は、……は、はっ」
乱れた呼吸に嘲った。
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