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第4章
9.五人と六人(6)
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「商談出てきます」
「はい、いつ頃戻られますか」
問いかけてきたのは石塚、伊吹は高崎に何か頼まれたらしく、書類の束を抱えて高崎の後について部屋を出ていく。
「そう、だな」
昼も外で食べるから。
「夕方まで、戻らないかも」
「わかりました。お電話は」
「急ぎは携帯にお願いします。一度は戻ってくるから、それ以外はメモに残しておいて」
「わかりました、いってらっしゃい」
「いってきます」
笑い返して部屋を出て、廊下を玄関に向かっていくと、印刷機の前で伊吹と高崎が向かい合っている。
「ああ、そうなんですか」
「そうなんだよ」
高崎は大きな身振りで楽しそうだ。
「で、そいつ、今『Brechen』に居て、あ、これ課長に内緒な」
「どうして?」
「だって知り合いがあっちに居るってさ」
やばくない?
肩を竦める高崎の朗らかな笑顔がうっとうしい。
「大丈夫ですよ」
伊吹が微笑んで安心させるように付け加える。
「課長はそんなことであれこれ引っ掛かる人じゃないですし」
「違うことじゃ、引っ掛かるけどね」
そちらの出口から出る必要はなかったけれど、気がつけば二人の側に近づいていた。
「う、課長」
何ですかいきなり、聞いてたんですか?
人が悪いなあと笑う高崎を目を細めて迎え撃つ。
「そりゃこういう部署の課長をやってれば、多少人も悪くなるよ」
「……」
何か言いたげに見上げてきた伊吹を無視する。
「志賀さんでしょ」
「げ」
「君と同じ出身校だ」
それぐらいは知ってるよ。
「あ、隠すつもりじゃなかったんすけど」
手加減するつもりとか思われるの癪だったし。
「手加減なんてしないでしょ、君なら」
それぐらいはわかってる。
「それに」
僕は目はそれほど悪くないよ。
「眼鏡かけてるけどね」
「あ、えーと、課長?」
高崎がへらっと笑って頭をかいた。
「なんか俺、絡まれてる感じがしたりして」
「絡んでないよ?」
じろりと今度は正面から相手を見つめた。
「ただ」
「婚約者が他の男と話してるのにむかついてるだけ」
「っ」
ばさりと伊吹が切って、思わず口をつぐんだ。
「い、伊吹さん」
そういう言い方しちゃ課長の立場ってものがないんじゃないすか。
高崎がひきつるのに、伊吹が冷ややかに京介をみやる。
「そうですよね?」
「……」
「だから、高崎さん、行っていいですよ、これは私と京介の問題ですから」
「あーはいはい」
じゃあお願いします、それ。
高崎が、すげー、伊吹さん課長呼び捨てーとくすくす笑いをしながら去っていくのに、京介は無言で立ち竦む。
伊吹は沈黙したまま京介を見つめている。きららかに晴れた日差しの中、容赦のない表情に京介は追い詰められる。
とうとう堪えきれなくて、口を開いた。
「伊吹さん、あの」
「課長」
「はい」
びしりと遮られて黙る。
「職場ですよ」
「はい…」
「プライベートを持ち込まないで下さい」
仕事にならないでしょう。
「、だって」
まっすぐに見つめられて、自分が乾き切っていると感じた。
「だって、美並」
足りない。
「課長」
全然足りない。
「だって美並」
眠れない。
食べられない。
水を飲むのが精一杯で。
「か…」
言いかけた伊吹がぽかんとした顔で口を開いたまま固まる。
視界が歪んだ。ぼたぼたと零れ落ちる涙に我ながら呆気にとられる。けれど。開いた口からも言葉が溢れてとまらない。
「嫌いに……ならないで」
「……課長」
「……僕を……捨てないで…」
「………京介」
「…………いっそ……殺して…」
「………」
伊吹がじわじわと赤くなった。
やがて静かに深く溜め息をついて、右手を上げてみせる。
「見えますか?」
「うん」
「指輪、つけてきましたよ?」
「…うん」
「…………今夜忙しい?」
「え…?」
「映画、一緒に見に行きましょうか」
この前、ハルくんと行った映画です。
「『BLUES RAIN』…?」
「知ってたの?」
「ネットで調べた…」
京介の応えに、伊吹は奇妙な表情になった。今にも泣き出しそうな、今にも笑い出しそうな、やがてふわりと温かな微笑に変わって、京介はほっとする。
「どうします?」
「行く」
「じゃあ仕事終わったら携帯に連絡して下さいね?」
「うん」
「待ち合わせして行きましょう?」
「うん」
「………それから」
顔洗ってから商談に出かけたほうがいいですよ。
「そんな顔で出かけたら襲われそうですから」
言われた瞬間、京介は全身を覆った熱に慌てて洗面所を目指して走った。
「はい、いつ頃戻られますか」
問いかけてきたのは石塚、伊吹は高崎に何か頼まれたらしく、書類の束を抱えて高崎の後について部屋を出ていく。
「そう、だな」
昼も外で食べるから。
「夕方まで、戻らないかも」
「わかりました。お電話は」
「急ぎは携帯にお願いします。一度は戻ってくるから、それ以外はメモに残しておいて」
「わかりました、いってらっしゃい」
「いってきます」
笑い返して部屋を出て、廊下を玄関に向かっていくと、印刷機の前で伊吹と高崎が向かい合っている。
「ああ、そうなんですか」
「そうなんだよ」
高崎は大きな身振りで楽しそうだ。
「で、そいつ、今『Brechen』に居て、あ、これ課長に内緒な」
「どうして?」
「だって知り合いがあっちに居るってさ」
やばくない?
肩を竦める高崎の朗らかな笑顔がうっとうしい。
「大丈夫ですよ」
伊吹が微笑んで安心させるように付け加える。
「課長はそんなことであれこれ引っ掛かる人じゃないですし」
「違うことじゃ、引っ掛かるけどね」
そちらの出口から出る必要はなかったけれど、気がつけば二人の側に近づいていた。
「う、課長」
何ですかいきなり、聞いてたんですか?
人が悪いなあと笑う高崎を目を細めて迎え撃つ。
「そりゃこういう部署の課長をやってれば、多少人も悪くなるよ」
「……」
何か言いたげに見上げてきた伊吹を無視する。
「志賀さんでしょ」
「げ」
「君と同じ出身校だ」
それぐらいは知ってるよ。
「あ、隠すつもりじゃなかったんすけど」
手加減するつもりとか思われるの癪だったし。
「手加減なんてしないでしょ、君なら」
それぐらいはわかってる。
「それに」
僕は目はそれほど悪くないよ。
「眼鏡かけてるけどね」
「あ、えーと、課長?」
高崎がへらっと笑って頭をかいた。
「なんか俺、絡まれてる感じがしたりして」
「絡んでないよ?」
じろりと今度は正面から相手を見つめた。
「ただ」
「婚約者が他の男と話してるのにむかついてるだけ」
「っ」
ばさりと伊吹が切って、思わず口をつぐんだ。
「い、伊吹さん」
そういう言い方しちゃ課長の立場ってものがないんじゃないすか。
高崎がひきつるのに、伊吹が冷ややかに京介をみやる。
「そうですよね?」
「……」
「だから、高崎さん、行っていいですよ、これは私と京介の問題ですから」
「あーはいはい」
じゃあお願いします、それ。
高崎が、すげー、伊吹さん課長呼び捨てーとくすくす笑いをしながら去っていくのに、京介は無言で立ち竦む。
伊吹は沈黙したまま京介を見つめている。きららかに晴れた日差しの中、容赦のない表情に京介は追い詰められる。
とうとう堪えきれなくて、口を開いた。
「伊吹さん、あの」
「課長」
「はい」
びしりと遮られて黙る。
「職場ですよ」
「はい…」
「プライベートを持ち込まないで下さい」
仕事にならないでしょう。
「、だって」
まっすぐに見つめられて、自分が乾き切っていると感じた。
「だって、美並」
足りない。
「課長」
全然足りない。
「だって美並」
眠れない。
食べられない。
水を飲むのが精一杯で。
「か…」
言いかけた伊吹がぽかんとした顔で口を開いたまま固まる。
視界が歪んだ。ぼたぼたと零れ落ちる涙に我ながら呆気にとられる。けれど。開いた口からも言葉が溢れてとまらない。
「嫌いに……ならないで」
「……課長」
「……僕を……捨てないで…」
「………京介」
「…………いっそ……殺して…」
「………」
伊吹がじわじわと赤くなった。
やがて静かに深く溜め息をついて、右手を上げてみせる。
「見えますか?」
「うん」
「指輪、つけてきましたよ?」
「…うん」
「…………今夜忙しい?」
「え…?」
「映画、一緒に見に行きましょうか」
この前、ハルくんと行った映画です。
「『BLUES RAIN』…?」
「知ってたの?」
「ネットで調べた…」
京介の応えに、伊吹は奇妙な表情になった。今にも泣き出しそうな、今にも笑い出しそうな、やがてふわりと温かな微笑に変わって、京介はほっとする。
「どうします?」
「行く」
「じゃあ仕事終わったら携帯に連絡して下さいね?」
「うん」
「待ち合わせして行きましょう?」
「うん」
「………それから」
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