『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

10.ホール・カード(11)

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「う、課長……何ですかいきなり、聞いてたんですか? 人が悪いなあ」
「そりゃこういう部署の課長をやってれば、多少人も悪くなるよ」
 真崎が冷ややかに言い放ったのに振り向き、見上げる。
 まっすぐに高崎を見つめている顔、厳しい顎の線、勘違いしての騎士道精神というよりは放って置かれた子どもの駄々こね、それでも。
 突っ込んできてくれるんだ。
 何だろう、胸の底がじんわりと、いや切ないような苦しいような。
「志賀さんでしょ」
「げ」
「君と同じ出身校だ。それぐらいは知ってるよ」
「あ、隠すつもりじゃなかったんすけど…手加減するつもりとか思われるの癪だったし」
「手加減なんてしないでしょ、君なら。それに僕は目はそれほど悪くないよ、眼鏡かけてるけどね」
 多分普段の真崎京介はやらないだろう、あからさまな絡み口調に高崎が困り果てる。
 可愛い、なあ?
 ああ、どうしたもんだろう、本当に、この男は人の惚れるツボを心得てくれている。
 では美並もまた、今できることに全力を注ごう。
 起こるかもしれない不安な未来ばかり見つめていないで。
「ただ」
「婚約者が他の男と話してるのにむかついてるだけ」
「っ」
 なおも言葉を継ごうとした真崎に向き直った。
「そうですよね?」
「……」
「だから、高崎さん、行っていいですよ、これは私と京介の問題ですから」
 戸惑って、それでもいつも通りにみえる真崎に、泣き濡れた夜を思い出す。
 そうだ、美並は怒っている、あんな無茶苦茶な状況を納得しろと宥められて。
 恵子のことが解決できていないのなら、この先も同じことがあるのだろう。
 それを受け入れるのか否かと問われているのなら、否と言い続けるしかないのだろう、まだ京介と居たいなら。
「すげー、伊吹さん課長呼び捨てー」
 高崎がくすくす笑いながら去っていくのに、もう一度かっとなりかけた頭が冷やされた気がした。
 巻き込まれないで、自分が何をしたいのか、何を望んでいるのか、それをちゃんと伝えよう。
「伊吹さん、あの」
「課長」
「はい」
「職場ですよ」
「はい…」
「プライベートを持ち込まないで下さい。仕事にならないでしょう。
「、だって……だって、美並」
 不安げに瞬いた京介は陽射しに溶けそうなほど儚げに見えた。こんな状態で『ニット・キャンパス』を仕切れるのか。大石率いる『Brechen』と張り合えるのか。大輔や恵子の目論見に屈せず、孝の死に向かえるのか。
「だって、美並」
「課長」
「だって美並」
「か…」
 呼びかけて、ふいに、もう一つ、気づく。
『羽鳥』が孝を殺した犯人ならば、美並だけの問題ではない。真崎もまた、その犯人を探しているのだから。孝の死の真相を知りたがっているのだから。そして『羽鳥』は桜木通販に居るのだから。
 ああ、そうだ。
 美並は呆然とする。
 隠しておけるはずがなかったじゃないか。
 なのになぜ、美並は自分一人で追うと決め、自分一人で動き始めてしまったのだろう。
 簡単だ。
「嫌いに……ならないで」
「……課長」
「……僕を……捨てないで…」
「………京介」
「…………いっそ……殺して…」
 目の前でぽろぽろ涙を流し始める真崎にのろのろと口を閉める。顔が熱くなって来るのがわかった。
 同じだ。
 美並もまた、この儚げで可愛らしく自分を頼ってくれる存在が欲しかったからだ。
 自分の攻撃に大義名分が欲しかったからだ。
 曖昧模糊とした正義や真実などのためではなく、誰かを守るために力を奮うしかなかったと、そう言い訳したかったからだ。
 そして何より単純な簡単なただ一つの理由。
 真崎に嫌われたくなかったからだ。
 恥ずかしい。みっともない。
 職場で好きな女に罵られてボロボロ泣いている真崎の方が、よっぽどまっすぐではっきりしている。
 深く溜息をついた。
 完敗だ、仕切り直そう。
 右手を上げる。
「見えますか?」
「うん」
「指輪、つけてきましたよ?」
「…うん」
「…………今夜忙しい?」
「え…?」
「映画、一緒に見に行きましょうか」
 見損ねた部分はもうわかったような気がした。けれど、今、美並に嫌われたと思い込んで落ち込んでしまった真崎を放っておくことはできなかった。それに、『BLUES RAIN』を真崎がどう見るのか、知りたかった。
 内容はネットで調べて知っている。
 俯き加減に呟く真崎にどんな想いで調べたのかと、また切なく苦しい気持ちになって微笑む。
「どうします?」
「行く」
「じゃあ仕事終わったら携帯に連絡して下さいね?」
「うん」
「待ち合わせして行きましょう?」
「うん」
「………それから」
 ぐすん、と目元を擦りつつ髪をくしゃくしゃにする真崎を見つめる。
 やばくない?
 苦笑いして付け加える。
「顔洗ってから商談に出かけたほうがいいですよ……そんな顔で出かけたら襲われそうですから」
 みるみる耳まで真っ赤になった真崎が洗面所へ走るのを、美並は優しく見送った。
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