『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

4.アングルシューター(7)

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「…ん……は…っ」
『京ちゃん……いいわ……ねえもっと…』
「っ…」
 ふいに意識が醒めかけてかろうじて堪えた。
 本当は恵子に喋らないで欲しいけど、そういう訳にもいかない。
 一度大輔に対して似たようなことを仕掛けた。あの時は大輔側から誘ってきた。けれども今度は意図的に、恵子を煽り誘い込む。
 いつだって反撃できたはずだ、こんな風に。
 けれど今までしなかった。
 簡単だ、自分が快楽に弱くて煽られればすぐに崩れるどうしようもない身体を持っているなんて思いたくなかったからだ。嫌がっても抱かれれば感じてしまう、大輔だろうと恵子だろうと、自分の意志を明け渡してしまう弱さを認められなかったからだ。
 その弱さに付け込まれ利用されていた。
 でももう伊吹が居る。どれほど京介が壊れても愛してくれる人がいるから。
「…あ…あ…っ」
 伊吹の顔を思った瞬間に落ちかけた熱が戻った。キスの感触を思い出した。微笑みながら京介に触れる意地悪な指先を、望んだ通りに深く入り込まれる感覚を、包まれて滑りながら吸い込まれるのを思い返した。
「は……っ」
 呼吸が上がる。視界が眩む。限界が近い。
 もうすぐそこで、そう、たぶん恵子が、来る、から。
 薄く目を開き、ぎりぎりまで堪える。
『ああ、もう、京ちゃん……私……だ、め…』
「っく」
 恵子が囁くのに合わせて駆け上がりながら口を開いた。
「……いか、せてっ……」
 快感を極め、一番欲しいものが満たされて、なおまだ飢え渇くように叫ぶ。
「もっと…っ………い…ぶき、さんっ……っ…」
 ようやくの開放感。伊吹と一緒の時よりも、うんと薄くて味気なくて頼りないけど。
『っっ!』
 携帯の向こうが凍りついた。
 沈黙が続くが、切られてはいない。
 京介には見える、目の前ですり抜けた幻を、どんな顔で恵子が睨みつけているのか。
「……ふ、ぅ…う…っ」
 すぐに息が整わなくて、それも一呼吸も余さずに携帯に吹き込んでやる。
「は……ふ…っ」
 気持ちいい。快楽ではなく、黙り込んでいる恵子の憎悪が。
『……何よ…』
 やがて押し殺したような声が聞こえてきた。
「……何が……?」
 京介はゆっくりと尋ねた。
『…どういうことなの』
「だから、何が」
 ああいっぱい出ちゃった。伊吹さん帰って来るまでに洗濯しとかなくちゃ。
 平然と答えながら薄笑みを浮かべる。
『何をしてたの』
「恵子さんこそ、何してたの?」
 地獄の底のような唸り声にくすくす笑う。
「僕は伊吹さんが帰って来るのが待ちきれなくて、一人エッチしてたんだけど……?」
 恵子さんは誰と何をしていたの?
『っ、バカっ、最低っ、死んじまえっ!』
 思わず携帯を耳から外したほどの罵声、すぐに切れた通話に笑いながら携帯を放り投げた。
「あははははっ」
 あー面白かった。
「酷いなあ、僕」
 込み上げる笑いをしばらく楽しんでから、溜め息を一つつき、のそのそ起き上がる。
「……ほんと、どこまでやっちゃうんだろうね…伊吹さんがいなかったら」
 ぼやきながら浴室に向かう。無茶苦茶になったスラックスは一旦洗濯してクリーニング行き、他の衣類も一緒に洗濯機を回して、シャワーを浴びた。
「…元気いいなあ…」
 伊吹に会うまでが嘘みたい、と見下ろしながら独り言ち、
「…ちょっとは自己対処しないと、それこそ伊吹さんに迷惑かな」
 汗臭いのも嫌われちゃうかも、とごしごし体を擦りながら、伊吹に冷たい目で見られながら、随分節操なしなんですねとか詰られたりして、と想像してしまい。
「あ」
 これはまずいなあ、でも。
 収まりそうになくなったのに溜め息をついた。
「伊吹さんなしだったんだもの、仕方ないよね」
 満足なんてできないし。
 せめて電話の向こうにいたのが伊吹だったなら、もう少し満たされただろうけど。
「……今度お願いしてみようかな」
 小さく笑って、なお切なくなりながらもう一度、伊吹の指と唇、柔らかな部分を思い返しなが終わらせる。
「ふう……」
『見ろよ、こいつ、際限なしだぜ』
 蘇った大輔のことばを、今度は吐き気を催さずに聞き取った。
「際限なし、か」
 飢え渇いている体は容易く欲望に支配される。けれど。
『相手が握って引き寄せてきたら、その動きを利用して、プラスこっちの動きを加えてすり抜ける』
 あの道場で、源内はそう教えた。
 どんな攻撃がどこへ来る。その攻撃に何を乗せるどう乗せる。
 京介は『羽鳥』と赤来について、何を知っている何ができる。
 考えろ、全てが伊吹の鎧になる。
「馬になるのと餌になるのは……ご褒美にもらうことにして」
 微笑みながら、再びシャワーを浴び始め、もう一つ源内とのやりとりを思い出す。
『俺の師匠が使っていた場所で、今は誰も使っていない。あえて言えば、俺が継いだことになってるんだが』
『亡くなったよ、胃がんで』
『まあいろいろあって。自分にも人にも厳しい人で、厳しすぎて誰もついてこれなくなったというか。家族ともそりが合わなくて、いつだったかな、大事にしてた孫娘が亡くなってからは家を出て、寺に住み込んでた。自分が全部間違ったんだって、そう言ってたかな』
 余りにも似ていないか?
 大事にしていた孫娘が死んで、悔いて寺住まいを始めた老人、亡くなった原因は胃がん。
 そんなに偶然が重なるものだろうか?
「寺の名前を確認して」
 きゅ、とコックを捻って湯を止めた。
「師匠の名前と家を確かめる」
 もし、それが予想通りなら。
 京介は唇を引き結んで、バスタオルを掴んだ。
 
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