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第5章
10.アウト・ドロー(5)
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「なぜあなたはそれを調べたのですか」
美並の問いに赤来は薄く笑った。唇の片端を上げる皮肉な笑み、桜木通販の経理課長としては見せなかった冷ややかな微笑だった。
「…わかっているんじゃない?」
ここね、監視カメラ、ないよ。
「…」
「台数と場所、知ってるんだ。第2会議室には設置されなかった」
だから何を話しても構わない。
「扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ」
赤来は楽しそうだった。
「誰か助けて下さい、赤来課長がおかしいんですって」
少し間を置く。美並の反応を確かめるように。絶体絶命の危機に垂らされた糸を教えるように。
だが。
「誰が信じるだろうね」
丁寧に希望を断ち切った。
「入ったのは君だ。僕は強制していない」
腕に手さえ掛けていない。
「ここには何もない。君を傷つけるものは一切ない。居酒屋のパンフレットぐらいだよ」
そうか、こんな風に。
美並は『羽鳥』に誘い込まれた女性達に自分が重なっていくのを感じた。
赤来の評価は良い。会社でも好人物で、傾きかけた桜木通販の経理課長として十二分に働いている。阿倍野のことは秘密の付き合いで、しかも真崎を襲った一件で彼女は会社を離れてしまった。傷つけられた彼女の訴えは、どこにも届いていない。
赤来の言う通り、第2会議室に連れ込まれたわけではない。今も縛られてもいないし、椅子から立ち上がって身を翻し、扉を開け放てば逃げられるだろう。だが、その椅子は赤来の座る目の前にあり、立とうとした矢先に腕を掴まれひねり倒される距離にある。背後に逃げたくても、椅子があっては逃げられない。扉の近くに居るのに、赤来と椅子に挟まれて動けない。
このまま襲われてしまえば、世間が美並にどんな目を向けるかは明らかだ。
疑いを持った人物になぜついていった。
不安な話題を出されたのになぜ離れなかった。
黙っていないでなぜ声を上げなかった。
なぜ。
なぜ、自分を襲う運命に抗わなかったのか。
安全圏に居る強者の理屈で裁かれる。
「…」
美並は第2会議室に入った時からスイッチを入れているボイスレコーダーの熱を感じ取流、その途端。
「ボイスレコーダー」
ぼそりと赤来が呟いた。
「無駄だよ」
小さな笑い声の後、
「だって、僕に奪われるからね」
確実に美並がそれを収めている場所へ視線を投げた。口調も巧みだ。奪う、ではなく、奪われる、と美並の無力を暗示し、逃げ場のない未来を提示して見せる。
「気づかない奴らは居るだろうけど……大輔とか」
にい、と笑った唇が赤い靄の彼方に透ける。
「僕は気づく」
確かに気づいただろう、襲った女性から身の証を立てられる全てのものを奪っただろう。
逃げても無駄だ、抵抗しても無駄だ、無駄だ、無駄だ、無駄だ。
繰り返し叩き込まれれば、人は誰でも意思を失う、持っているのは苦痛でしかないから。
「伊吹さんは賢い子だよね」
宥めるように赤来は笑った。
「僕の何を知っているのかな」
なおも美並の無力を『確かめさせよう』とする。それともこれは、純粋な『興味』か。あるいは、自分の勝利を完全にするために、小さな穴まで潰そうとする『手配り』か。
「小学生の頃、万引きを仕切っていました」
「…それで」
「ハルくんの絵を引き裂きました」
「それから」
「コンビニ強盗を組織し、孝さんを巻き込みました」
「……それから」
「大輔さんと多くの女性を傷つけました」
「……まだあるのかい」
「孝さんを殺しました」
赤来が動きを止めた。
金曜日、真崎が泣きじゃくって抱き締めてきた時、美並は初めて『難波孝』の色を見た。
緑がかったアイスブルーの儚げな色。
柔らかくて優しい声が重なる。
出会えて、幸福だった。
真崎の中の孝の色は綺麗だった。幾度苦しい思い出を塗り重ねても、なお煌めくような色だった。同じものを、あの山の中で見ていた。静謐で綺麗な光。明の姿の奥にも淡く霞みながらも見えていたとわかった。
そうして今、美並は『羽鳥』の赤い靄の向こうに、全く同じ色を見ていた。
「…なぜ?」
「…見えるんです」
「…は?」
「私には、あなたの色が見える」
ぎくりと『羽鳥』の体が強張り、一瞬赤い靄を透かして、大きく見開いた赤来の目が見えた。
「タイル…?」
「あなたの中に、赤来課長と関わるはずのない、孝さんの色が見える」
ボイスレコーダーは動き続けている。
美並が今までずっと隠していた現実を冷酷に記録し続けている。
息を吸い込む。
自分の中に紅がある。雪を抉り、傷みをあからさまにする非情の赤が。
「お尋ねします。なぜ、赤来課長は難波孝さんを知っているのですか」
美並の問いに赤来は薄く笑った。唇の片端を上げる皮肉な笑み、桜木通販の経理課長としては見せなかった冷ややかな微笑だった。
「…わかっているんじゃない?」
ここね、監視カメラ、ないよ。
「…」
「台数と場所、知ってるんだ。第2会議室には設置されなかった」
だから何を話しても構わない。
「扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ」
赤来は楽しそうだった。
「誰か助けて下さい、赤来課長がおかしいんですって」
少し間を置く。美並の反応を確かめるように。絶体絶命の危機に垂らされた糸を教えるように。
だが。
「誰が信じるだろうね」
丁寧に希望を断ち切った。
「入ったのは君だ。僕は強制していない」
腕に手さえ掛けていない。
「ここには何もない。君を傷つけるものは一切ない。居酒屋のパンフレットぐらいだよ」
そうか、こんな風に。
美並は『羽鳥』に誘い込まれた女性達に自分が重なっていくのを感じた。
赤来の評価は良い。会社でも好人物で、傾きかけた桜木通販の経理課長として十二分に働いている。阿倍野のことは秘密の付き合いで、しかも真崎を襲った一件で彼女は会社を離れてしまった。傷つけられた彼女の訴えは、どこにも届いていない。
赤来の言う通り、第2会議室に連れ込まれたわけではない。今も縛られてもいないし、椅子から立ち上がって身を翻し、扉を開け放てば逃げられるだろう。だが、その椅子は赤来の座る目の前にあり、立とうとした矢先に腕を掴まれひねり倒される距離にある。背後に逃げたくても、椅子があっては逃げられない。扉の近くに居るのに、赤来と椅子に挟まれて動けない。
このまま襲われてしまえば、世間が美並にどんな目を向けるかは明らかだ。
疑いを持った人物になぜついていった。
不安な話題を出されたのになぜ離れなかった。
黙っていないでなぜ声を上げなかった。
なぜ。
なぜ、自分を襲う運命に抗わなかったのか。
安全圏に居る強者の理屈で裁かれる。
「…」
美並は第2会議室に入った時からスイッチを入れているボイスレコーダーの熱を感じ取流、その途端。
「ボイスレコーダー」
ぼそりと赤来が呟いた。
「無駄だよ」
小さな笑い声の後、
「だって、僕に奪われるからね」
確実に美並がそれを収めている場所へ視線を投げた。口調も巧みだ。奪う、ではなく、奪われる、と美並の無力を暗示し、逃げ場のない未来を提示して見せる。
「気づかない奴らは居るだろうけど……大輔とか」
にい、と笑った唇が赤い靄の彼方に透ける。
「僕は気づく」
確かに気づいただろう、襲った女性から身の証を立てられる全てのものを奪っただろう。
逃げても無駄だ、抵抗しても無駄だ、無駄だ、無駄だ、無駄だ。
繰り返し叩き込まれれば、人は誰でも意思を失う、持っているのは苦痛でしかないから。
「伊吹さんは賢い子だよね」
宥めるように赤来は笑った。
「僕の何を知っているのかな」
なおも美並の無力を『確かめさせよう』とする。それともこれは、純粋な『興味』か。あるいは、自分の勝利を完全にするために、小さな穴まで潰そうとする『手配り』か。
「小学生の頃、万引きを仕切っていました」
「…それで」
「ハルくんの絵を引き裂きました」
「それから」
「コンビニ強盗を組織し、孝さんを巻き込みました」
「……それから」
「大輔さんと多くの女性を傷つけました」
「……まだあるのかい」
「孝さんを殺しました」
赤来が動きを止めた。
金曜日、真崎が泣きじゃくって抱き締めてきた時、美並は初めて『難波孝』の色を見た。
緑がかったアイスブルーの儚げな色。
柔らかくて優しい声が重なる。
出会えて、幸福だった。
真崎の中の孝の色は綺麗だった。幾度苦しい思い出を塗り重ねても、なお煌めくような色だった。同じものを、あの山の中で見ていた。静謐で綺麗な光。明の姿の奥にも淡く霞みながらも見えていたとわかった。
そうして今、美並は『羽鳥』の赤い靄の向こうに、全く同じ色を見ていた。
「…なぜ?」
「…見えるんです」
「…は?」
「私には、あなたの色が見える」
ぎくりと『羽鳥』の体が強張り、一瞬赤い靄を透かして、大きく見開いた赤来の目が見えた。
「タイル…?」
「あなたの中に、赤来課長と関わるはずのない、孝さんの色が見える」
ボイスレコーダーは動き続けている。
美並が今までずっと隠していた現実を冷酷に記録し続けている。
息を吸い込む。
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「お尋ねします。なぜ、赤来課長は難波孝さんを知っているのですか」
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