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第5章
11.天に還る(3)
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赤来を桜木通販第2会議室で確保した夜、疲れ切った伊吹は起きなかったが、京介は携帯のバイブレーションに気が付いた。
深夜2時。
番号を見るまでもなく、相手はわかっていた。
「…有沢さん?」
胸に甘えている伊吹を名残惜しくベッドに残し、眼鏡を掛け、携帯を耳に当てながら寝室を出る。
『…赤来は殺さなかったんだな』
低く笑う声に笑み返す。
「おかげさまで」
檜垣さんが予想以上に早く来られましたね。
『こっちの手配じゃない』
見張りをつけていたのかと揶揄すると、苦笑まじりに返される。
『檜垣が心配していたんだ』
君の、伊吹さんを。
静かな声音に居住まいを正した。
リビングの仄かな常夜灯、暖房をつけてソファに沈む。
『オカルト巫女さんはきっと「羽鳥」を追い込むはずだ、ってな』
ここしばらくずっと彼女と赤来をマークしていた。
『俺から聞いただけじゃなく、関わる過去を一つ一つ全部調べ上げて』
京介は吐息する。
伊吹の事件だけではないだろうに。
『羽鳥』事件は有沢単独で追うしかないほど野放しにされていた案件だ。向田市社会福祉協議会が関わり、市を挙げてのイベントを汚す大輔の醜聞に、なお致命傷を与えかねないほどの内容、内密に処理するには刺激的すぎる展開、手を出す方がおかしいだろう。なのに、それに関わり、日常の仕事と他の事件を背負ったまま、檜垣は赤来に食らいついた。
「伊吹さんに魅かれた、と?」
『いや』
くつくつ、と有沢は笑った。
『警戒しなくていい。檜垣がハマったのは、伊吹さんじゃない、彼女が導いた事件の展開だ』
事件が動いていく光景、と言うか。
『伊吹さんがいなければ、この事件は成り立たなかったし、解決もしなかった。それぞれの断片が小さな事件として放置されて、赤来には辿り着かなかっただろう』
「幻のような、『羽鳥』と言う男の事件として」
『そうだ』
有沢はしばらく押し黙った。
京介はスピーカーに変えて立ち上がり、湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
『…真崎』
「聞いてますよ」
『…俺はもう、保たない』
「……はい」
注がれる細い湯にふつふつと膨らむ粉、立ち上る香りに京介は目を細める。
ふいに気がついた。
このコーヒーはずっと縛られ続けた夜の準備のためのものではない。
京介は今初めて、自分が寛ぐためにコーヒーを淹れている。
『…彼女は一体、何、なんだろうな』
「…どう言う意味ですか」
何となく思い立って、別のカップにもう一杯コーヒを淹れ、テーブルに置いた。自分のカップを持ってソファに戻る。
『もう死ぬんだなと思ったのは初めてじゃない。刑事だからな』
「…はい」
『いろんな死に様を見て来た。自分もいつかどこかで、みっともなく死ぬんだろうと思ってた』
「…はい」
テーブルに置いたコーヒーは冷えていきながら香りを広がらせる。
『まさか…こんな風に……暖かい部屋で柔らかいベッドで死ぬとは思ってなかった』
「……」
こくりとコーヒーを飲み込む。
スピーカーにしたせいか、目の前の暗がり、もう一つのカップの湯気の向こうに、苦笑いしながら有沢が座っているような気がした。
『こんな風に…安心して逝けるとは思ってなかった』
数日内に死ぬってことが、ごくごく当たり前で、疑っていない自分が居る。
『そうやって見ると…彼女は…伊吹さんは、一体何だろうって、繰り返し考えている』
事件の端々に関わって、一番酷い結末をぎりぎりのところで食い止めて来たような。
「天使ですよ」
京介の即答に有沢が吹き出す。
『そう来るか』
「…僕らが拘りや傷みで無茶苦茶にしてしまった運命の糸を解きほぐして、本来の姿に戻してくれる存在」
『……そんな風に扱うのか』
有沢が鼻白む。
京介は苦笑する。
バレバレじゃないか、この男もまだ伊吹を熱望し続けていると。
「ご安心なさい。僕にとっては、彼女は愛しくて守りたい、ただの一人の女ですよ」
『…そうか』
有沢が溜め息をつく。
「檜垣さんはそこまで伊吹さんに傾倒してるんですか」
『…わかるか』
有沢は溜め息を重ねる。
『過去を当たれば当たるほど、こいつは何だって思うようになったみたいでな』
ひょっとすると、これからも事件に引っ張り出そうとするかもしれない。
『そうなれば、伊吹さんは安全じゃなくなる、わかるな?』
「わかります」
もう一口コーヒーを飲み、少し苦味が増して来たと舌を出す。その舌に伊吹の感触を蘇らせて、今優しくキスして欲しいと思った。
「…あなたはもう伊吹さんを守れない」
『……ああ』
「けれど、伊吹さんが伊吹さんである限り、同じ輩は現れるかも知れない」
『有栖川って言うのが檜垣に付いてる。檜垣に似た突っ走りタイプだが、昇格に未練のないやつでな』
有沢はくすりと笑った。
『カッコよく死にたいらしい』
「…」
『檜垣が暴走したら伊吹さんを守って死ねと命じてある』
「おい」
京介は有沢の幻を睨んだ。
「僕の役目を奪う気か」
くすくすと笑う声が返った。
「…楽しいなあ」
「何が」
「お前と話すのは楽しい。どうやって伊吹さんとの仲を邪魔してやろうかと考えるのが、とんでもなく楽しい」
深夜2時。
番号を見るまでもなく、相手はわかっていた。
「…有沢さん?」
胸に甘えている伊吹を名残惜しくベッドに残し、眼鏡を掛け、携帯を耳に当てながら寝室を出る。
『…赤来は殺さなかったんだな』
低く笑う声に笑み返す。
「おかげさまで」
檜垣さんが予想以上に早く来られましたね。
『こっちの手配じゃない』
見張りをつけていたのかと揶揄すると、苦笑まじりに返される。
『檜垣が心配していたんだ』
君の、伊吹さんを。
静かな声音に居住まいを正した。
リビングの仄かな常夜灯、暖房をつけてソファに沈む。
『オカルト巫女さんはきっと「羽鳥」を追い込むはずだ、ってな』
ここしばらくずっと彼女と赤来をマークしていた。
『俺から聞いただけじゃなく、関わる過去を一つ一つ全部調べ上げて』
京介は吐息する。
伊吹の事件だけではないだろうに。
『羽鳥』事件は有沢単独で追うしかないほど野放しにされていた案件だ。向田市社会福祉協議会が関わり、市を挙げてのイベントを汚す大輔の醜聞に、なお致命傷を与えかねないほどの内容、内密に処理するには刺激的すぎる展開、手を出す方がおかしいだろう。なのに、それに関わり、日常の仕事と他の事件を背負ったまま、檜垣は赤来に食らいついた。
「伊吹さんに魅かれた、と?」
『いや』
くつくつ、と有沢は笑った。
『警戒しなくていい。檜垣がハマったのは、伊吹さんじゃない、彼女が導いた事件の展開だ』
事件が動いていく光景、と言うか。
『伊吹さんがいなければ、この事件は成り立たなかったし、解決もしなかった。それぞれの断片が小さな事件として放置されて、赤来には辿り着かなかっただろう』
「幻のような、『羽鳥』と言う男の事件として」
『そうだ』
有沢はしばらく押し黙った。
京介はスピーカーに変えて立ち上がり、湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
『…真崎』
「聞いてますよ」
『…俺はもう、保たない』
「……はい」
注がれる細い湯にふつふつと膨らむ粉、立ち上る香りに京介は目を細める。
ふいに気がついた。
このコーヒーはずっと縛られ続けた夜の準備のためのものではない。
京介は今初めて、自分が寛ぐためにコーヒーを淹れている。
『…彼女は一体、何、なんだろうな』
「…どう言う意味ですか」
何となく思い立って、別のカップにもう一杯コーヒを淹れ、テーブルに置いた。自分のカップを持ってソファに戻る。
『もう死ぬんだなと思ったのは初めてじゃない。刑事だからな』
「…はい」
『いろんな死に様を見て来た。自分もいつかどこかで、みっともなく死ぬんだろうと思ってた』
「…はい」
テーブルに置いたコーヒーは冷えていきながら香りを広がらせる。
『まさか…こんな風に……暖かい部屋で柔らかいベッドで死ぬとは思ってなかった』
「……」
こくりとコーヒーを飲み込む。
スピーカーにしたせいか、目の前の暗がり、もう一つのカップの湯気の向こうに、苦笑いしながら有沢が座っているような気がした。
『こんな風に…安心して逝けるとは思ってなかった』
数日内に死ぬってことが、ごくごく当たり前で、疑っていない自分が居る。
『そうやって見ると…彼女は…伊吹さんは、一体何だろうって、繰り返し考えている』
事件の端々に関わって、一番酷い結末をぎりぎりのところで食い止めて来たような。
「天使ですよ」
京介の即答に有沢が吹き出す。
『そう来るか』
「…僕らが拘りや傷みで無茶苦茶にしてしまった運命の糸を解きほぐして、本来の姿に戻してくれる存在」
『……そんな風に扱うのか』
有沢が鼻白む。
京介は苦笑する。
バレバレじゃないか、この男もまだ伊吹を熱望し続けていると。
「ご安心なさい。僕にとっては、彼女は愛しくて守りたい、ただの一人の女ですよ」
『…そうか』
有沢が溜め息をつく。
「檜垣さんはそこまで伊吹さんに傾倒してるんですか」
『…わかるか』
有沢は溜め息を重ねる。
『過去を当たれば当たるほど、こいつは何だって思うようになったみたいでな』
ひょっとすると、これからも事件に引っ張り出そうとするかもしれない。
『そうなれば、伊吹さんは安全じゃなくなる、わかるな?』
「わかります」
もう一口コーヒーを飲み、少し苦味が増して来たと舌を出す。その舌に伊吹の感触を蘇らせて、今優しくキスして欲しいと思った。
「…あなたはもう伊吹さんを守れない」
『……ああ』
「けれど、伊吹さんが伊吹さんである限り、同じ輩は現れるかも知れない」
『有栖川って言うのが檜垣に付いてる。檜垣に似た突っ走りタイプだが、昇格に未練のないやつでな』
有沢はくすりと笑った。
『カッコよく死にたいらしい』
「…」
『檜垣が暴走したら伊吹さんを守って死ねと命じてある』
「おい」
京介は有沢の幻を睨んだ。
「僕の役目を奪う気か」
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