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第1章
6.月の下(1)
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「わぁ…」
「気に入った?」
「いや、気に入ったというか、なんて言うか」
ゆっくり足下に気をつけながら歩いたから、結構な時間が立ったはずだ。
美並が額にうっすら汗を感じたのを拭った矢先、ほらここだよ、と示されたのは、そこだけ樹木が切り倒されたのか、ぽかりと開いた場所だった。
昇った月が白々と照らす。
深く濃い山の空の下、黒々とした針葉樹に囲まれて、広場だけが明るく仄白く光っている。
小さな苗木や草の類はあるけれどみんな足首から膝下の高さで、それらの淡い緑が月光の中では銀色がかって見えた。
「……綺麗なところですね」
「綺麗? ここが?」
寂しいところじゃないの?
尋ねてくる真崎に思わず笑顔で、ううん、凄く綺麗です、と美並は応えた。
自然の中には禍々しいところも多いけれど、この場所は驚くほど清冽で気配が澄んでいる。美並には白銀の淡い波が波打ちながら広がって、そこここに仄かに光る薄緑の炎が揺らめいて見える。
「伊吹さんには僕と違うものが見えてるんだね」
「……誰でもそうじゃないですか」
「そう、なのかな」
「そうですよ」
けれど、ここの綺麗さはちょっと見せてあげたいな。
そう言うと、真崎は目を見開いて美並を見下ろした。
「僕に?」
戸惑った声で尋ねてくる。
「はい」
「……なんで?」
「え? 綺麗だから」
「綺麗だから……?」
繰り返した真崎が、ふぅん、と小さく頷いて照れくさそうに唇を綻ばせた。
「何?」
「いや……なんか嬉しいなあと思って」
「そうですか?」
「うん」
何が嬉しいのかまでは話さないが、真崎を覆っていた半透明の殻が微かに散った。
「ちょっと見回ってきていいですか?」
「うん」
「………手、離してもらえます?」
「…そうだね」
名残惜しそうに掌を開くと、美並が手を引くのをどこか眩しそうな目で見る。
まるで子どもが手に囲っていた蝶を離すような仕草だと思いながら、美並は真崎の手から自分の手を抜いた。
広場を歩いていくと、足下で夜露に湿った草が踏みしだかれて薫りを放つ。
やがて、美並は広場の隅の方に大小の石が並べられているところを見つけた。
『しろ』
『あずさ』
『まつたろ』
石には薄れかけた文字で名前が書かれている。
「……ぼ……?」
最後の一番右端のものがよく読めない。
かなり薄れているというのもあったし、書かれた線が歪んでいびつに妙なところでうねっていて読みづらい。幼い子どもが初めて書いた文字のようだ。
「ぼけ」
ゆっくり後ろからやってきた真崎が静かに教えた。
「ぼけ?」
「うん。僕が初めて飼った猫」
「そうなんですか」
死んじゃったからね、と頷く真崎に、
「全部課長が飼ってた動物ですか?」
「まつたろ、は犬。あずさは猫。しろはハムスター」
一つ一つ教えてくれる。
「課長、動物好きなんですか?」
「何、その意外そうな顔は」
「や、だって」
あんまりきちんと世話するようには見えないし、と続けると、苦笑しながら、
「正直苦手だね。全部義姉さんの飼ってたのだよ」
「え、でも」
イブキはちゃんと飼っていたんじゃ。
言いかけて美並は口を閉じた。
義姉の。
そうか。
イブキは恵子からのものだとすれば、辻褄があうか。
動物が苦手な真崎がイブキを大切にしていたのも、失ってパニックになったのも、それをわざわざここまで連れ戻ってきて埋めたのも。
大事な人の大事な猫だから。
苦手でも、側に置いて世話をしていた。
「ふぅ」
なかなか切ないな。
美並は吐息をついた。
「気に入った?」
「いや、気に入ったというか、なんて言うか」
ゆっくり足下に気をつけながら歩いたから、結構な時間が立ったはずだ。
美並が額にうっすら汗を感じたのを拭った矢先、ほらここだよ、と示されたのは、そこだけ樹木が切り倒されたのか、ぽかりと開いた場所だった。
昇った月が白々と照らす。
深く濃い山の空の下、黒々とした針葉樹に囲まれて、広場だけが明るく仄白く光っている。
小さな苗木や草の類はあるけれどみんな足首から膝下の高さで、それらの淡い緑が月光の中では銀色がかって見えた。
「……綺麗なところですね」
「綺麗? ここが?」
寂しいところじゃないの?
尋ねてくる真崎に思わず笑顔で、ううん、凄く綺麗です、と美並は応えた。
自然の中には禍々しいところも多いけれど、この場所は驚くほど清冽で気配が澄んでいる。美並には白銀の淡い波が波打ちながら広がって、そこここに仄かに光る薄緑の炎が揺らめいて見える。
「伊吹さんには僕と違うものが見えてるんだね」
「……誰でもそうじゃないですか」
「そう、なのかな」
「そうですよ」
けれど、ここの綺麗さはちょっと見せてあげたいな。
そう言うと、真崎は目を見開いて美並を見下ろした。
「僕に?」
戸惑った声で尋ねてくる。
「はい」
「……なんで?」
「え? 綺麗だから」
「綺麗だから……?」
繰り返した真崎が、ふぅん、と小さく頷いて照れくさそうに唇を綻ばせた。
「何?」
「いや……なんか嬉しいなあと思って」
「そうですか?」
「うん」
何が嬉しいのかまでは話さないが、真崎を覆っていた半透明の殻が微かに散った。
「ちょっと見回ってきていいですか?」
「うん」
「………手、離してもらえます?」
「…そうだね」
名残惜しそうに掌を開くと、美並が手を引くのをどこか眩しそうな目で見る。
まるで子どもが手に囲っていた蝶を離すような仕草だと思いながら、美並は真崎の手から自分の手を抜いた。
広場を歩いていくと、足下で夜露に湿った草が踏みしだかれて薫りを放つ。
やがて、美並は広場の隅の方に大小の石が並べられているところを見つけた。
『しろ』
『あずさ』
『まつたろ』
石には薄れかけた文字で名前が書かれている。
「……ぼ……?」
最後の一番右端のものがよく読めない。
かなり薄れているというのもあったし、書かれた線が歪んでいびつに妙なところでうねっていて読みづらい。幼い子どもが初めて書いた文字のようだ。
「ぼけ」
ゆっくり後ろからやってきた真崎が静かに教えた。
「ぼけ?」
「うん。僕が初めて飼った猫」
「そうなんですか」
死んじゃったからね、と頷く真崎に、
「全部課長が飼ってた動物ですか?」
「まつたろ、は犬。あずさは猫。しろはハムスター」
一つ一つ教えてくれる。
「課長、動物好きなんですか?」
「何、その意外そうな顔は」
「や、だって」
あんまりきちんと世話するようには見えないし、と続けると、苦笑しながら、
「正直苦手だね。全部義姉さんの飼ってたのだよ」
「え、でも」
イブキはちゃんと飼っていたんじゃ。
言いかけて美並は口を閉じた。
義姉の。
そうか。
イブキは恵子からのものだとすれば、辻褄があうか。
動物が苦手な真崎がイブキを大切にしていたのも、失ってパニックになったのも、それをわざわざここまで連れ戻ってきて埋めたのも。
大事な人の大事な猫だから。
苦手でも、側に置いて世話をしていた。
「ふぅ」
なかなか切ないな。
美並は吐息をついた。
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