『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

9.オープン・ザ・ゲイト(10)

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 京介のことばが途切れたのに、伊吹がのろのろと顔を上げてくる。
 思った通り潤んだ瞳の幼い顔、しがみついているから動きがたどたどしくて、あどけないほど可愛い、そうぼんやりと見愡れて、やがて気付く。
 優しい虚ろな視線。
 京介は映っていない、唐突にそう理解した。
 ただ、側に居たからしがみついただけ。
 ただ駆け付けたから慰めに抱いただけ。
 大輔と、同じように。
「この先、何度でも逢うチャンスはある」
「課長…」
「大丈夫だよ」
 抱いた腕に力を込めないまま、続けた。
「誠実そうないい人だった。仕事内容もよかった」
 大石の今のことを、きっと伊吹は知りたいだろうから。
 今腕にしている京介の気持ちよりも知りたいだろうから。
 覚えていることを一つ一つ伝えていく。
「顔色もよかったし、どこも悪くなさそうだった」
「元気、でしたか」
「うん」
「胃とか庇ってませんでしたか」
「うん」
「笑ってましたか」
 そんなことを心配するんだ?
 あんなに心配して苦しんだ相手が、幸せかどうかって、気にするんだ?
「うん」
 頷いたけど、胸の底が引きちぎられるように痛くて。
「なら…いいです」
 笑っているなら、いい、のか。
 そういうふうに、好きなのか。
 それはきっと、好き、を超えている。
「うん」
 ちゃんと声が出ているだろうか、と京介は思った。身体が辛くて痛くて、何だか倒れそうな気がしてくる。
 おかしいよね、たったそれだけのこと、ことばだけのことなのに。
 けれどことばは、真実を、語る。
「課長?」
 力が抜けたのに気付いたのか、伊吹がもう一度見上げてきた。意志力が戻ったその瞳に、自分が映っているのかどうか、ほとんど自信がない。
「伊吹さん、あの…」
 何を言おうとしている?
「はい」
「僕は」
 何を言っても意味はないだろうに?
「はい?」
 全て、幻だと思えばいい。
 あの時のように、どんな辛くて苦しいことも、痛くて悲しいことも、記憶を閉じてしまえば生きてはいける。そうやってきたのだから、そうやっていけるだろう。そんなことは慣れているから。
 さあ、得意な仕事だ。
 それでも、ぎゅううっと抱き締めることから始めたのは、未練から。これでほんとに最後かもしれないから。
「かっ、課長っ」
「嬉しいなあ、こんな公衆の面前で甘えてくれるなんて」
 小さくて温かい頭を抱える。きっともう、こんなことなんてできない。じたばた伊吹がもがくのを少し頑張って、それからようやく手を離す。
「何するんですか!」
「えー、抱きついてくれたのは伊吹さんなのに」
 ほら、ね。
 からっぽの両手。
 始めみたいに。始めから。ずっと前から、ずっと先まで、きっともう、からっぽで。
「勢いです」
「じゃあ、その勢いをもう一度」
「壊れてんのか、あんたはっ」
 一番痛い部分を、伊吹は平然と突き刺してきた。
 何を今さら。
 弱くて脆くてきつくてしんどい部分。それを壊れてる、そう突き放されるのも慣れてるけれど。
「壊れてるよ」
「は?」
「知ってると、思ってたけど」
 君まで、そう言うんだ。
「壊れてるんだよ」
「課長…」
 伊吹が少し青くなった。
 でももう遅い。本音は意外にあっさり出るものなんだなあ、と他人事のように感心した。
 そうだ、もう壊れてて、ずいぶん壊れてて、もう修復しようがないって、そういうことなんだよね。
「だからさ」
 両手がだるくなったので降ろした。自分が呼吸できてるのか、まだちゃんと笑えているのか、不安になってくる。ひょっとして、今もどんどんみっともなく壊れていってて、どんどん嫌われていっているのかもしれない、そう思うと。
「僕は、退場するね」
「え?」
「真打ちが、でてきたら……代役は、要らない」
 もう、ここに居られない。
「っ……課、」
「先に戻って、大石さんの連絡先調べておくねー。あ、それとも伊吹さん、自分で調べた方がいいかなー?」
 伊吹の顔を見ていられない、伊吹に見られていたくない。けれど、鋭い伊吹は気付いてしまうだろうから、できる限りさりげなく、自然に、何重にも気持ちを封じて閉ざして見えなくして笑って。
「あ、そーだ!」
 普通にしゃべって。いつもみたいに。元のように、せめて部下と上司のままで。せめてそれぐらいの距離は残して。そうだ、いつもみたいに。
 いつもって………どうやってたっけ。
 わからなくなってきたけど、確か真崎京介って言うのは、抜けてるところもあったはずで、だからそういうあたりで笑いをとっておけば、ほどほどの距離は残るはずで。
「僕、仕事一つ忘れてきちゃったから。先に行くね」
 頑張っているのに、駄目だ、とひやりとした。
 伊吹に気付かれている気がする。
 駄目だ、もうこれ以上ここに居ちゃ、保てない。
 必死に駆け出す自分がいつもじゃない、とどこかで思ったけれど、もうとにかく、逃げるぐらいしか思いつかなくて。
 京介は全速力で走り続けた。
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