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第2章
5.上司と部下(1)
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「…ん…」
遠いところでかたかたとリズミカルな音が空気を刻んでいるのに気付き、美並は目を開けた。
「…課長? あれ……か…っ」
側にくっついて眠っていた真崎の姿はない。そのかわり。
「……おい」
真崎の代わりに美並を抱き寄せるようにくっついていたのは、一抱えもある茶色のくまのぬいぐるみで、御丁寧にプラスチックの眼鏡を掛けている。
「なんだ、これは」
唸りながらそれを引き起こしてみると、見覚えのある真崎のネクタイが首に巻きついている。
「か~ちょ~~」
いつこんなものを買ってきたんだ。
ってか、どう見たってこれは大石のくまの対抗版、けれど異常にでかい。一体幾らしたんだろう。
真崎がデパートでこれを指差して買う場面を想像して頭が痛くなる。
張り合ったんだよね。きっと張り合ったんだ、うん。
それより、風邪で寝込んでたはずの相手はどこに行ったんだ。
苛立ちながらベッドを降り、引きずりかけそうなくまの首を抱えて寝室のドアを開けると、まばゆい日射しが一杯に差し込んだダイニングのテーブルで真崎がノートパソコンに向かっている。休日仕様のふわっとしたタートルネックのグレイのセーター、同系色だが濃いグレイのスラックスと、どこかへ出かけるつもりなのか、髪の毛も整えられている。
「課長、起きてて大丈夫なんですか」
「うん、おはよう、いぶき……さ…ん…」
振り向いて笑いかけた真崎が寝室のドアを押し開けたままの美並に固まった。眼鏡の奥でびっくりしたような目を見開いて、キーボードの上に手を浮かせたまま凍っている。
「なんですか、自分が買ってきたくまでしょうに」
確かに凄く大きいけれど、驚いたのはこっちですよ、そう続けると、呪縛を解かれたみたいにはっとして、瞬きしながら目を逸らせる。
「あ、あ、うん、そ、う、なんだけど」
「だけど?」
「……なんで抱えてくるかなあ」
「え?」
「………それも……片方の手で抱えたままなんて……」
ぶつぶつ言いながら、慌てたように口元を押さえて俯いた。
「両手で抱えて、脚でドアを蹴り開けた方がよかったですか」
「や、そういう意味じゃなくて」
むー、と妙な唸り声を上げながら、真崎が立ち上がった。
「あー、もう、駄目かも」
「何が」
「我慢の限界かも」
「だから、何が」
「伊吹さん」
テーブルを回ってきて、真崎が美並の手からくまをひったくる。
「おい」
そのままぽとんと側に落としたばかりか、軽く脚で蹴飛ばして寝室に蹴り込む。
「おいおい」
「こいつはいいから」
僕を抱いてよ。
言うや否や抱きついてくるのに、今度は美並が固まる。
「……元気ですね」
「うん、元気でしょ」
「……そっちのことは言ってない」
「や、だから」
身体が元気だから、こっちも元気なんじゃない、とへらりと笑った相手を急いで押し遣る。
「風邪はっ」
「治った」
「嘘つけ」
「ほんと」
知らないの、伊吹さん。
真崎は嬉しそうに目を細める。
「人肌っていいんだよ~」
「ひとはだ…っ」
誤解を招くような言い方は止めて下さい。
思わず赤くなった美並に、真崎がくすくす笑う。
「あったかくてしっとりしてて気持ちよかったよ。ごちそうさま」
「っ、まさかっ」
ぎょっとして思わず美並は自分の体を抱えて洗面所に走った。
「……あ~~」
予想に違わずというか、そこまで考えなかったのがおかしいというか、真崎と同じ場所にくっきりついた赤い跡。しかも、何度か吸いついたのを示すように、幾重にもずれたクレヨンの線のように重なっている。
いつこんなことをされたんだろう。
……いや、こんなことをされて起きなかったのは、美並も疲れていたせいだろうか。
「意外と残らないんだね」
鏡の中からひょいと覗き込んできた真崎が目を細める。
「伊吹さん、どうやって僕のをつけたのか、今度やり方教えてね?」
「うっ」
「それから、はい、これ」
後ろからくしゃくしゃの髪にかぶせられたのは黒いシンプルなニット帽。
「? 何ですか、これ」
「今度桜木通販で売り出すはずだった新商品……『Brechen』にしてやられたけど」
「ああ…」
で、これをどうするの?
尋ねた美並に、真崎は自分もお揃いのニット帽を取り出して被ってみせた。
「見本で二つあったから、これを利用しようかと」
「え?」
「これを被ってデートしましょう、伊吹さん」
僕と初ペアルックだよね。
「げ」
にこやかに笑う真崎に美並は引きつった。
遠いところでかたかたとリズミカルな音が空気を刻んでいるのに気付き、美並は目を開けた。
「…課長? あれ……か…っ」
側にくっついて眠っていた真崎の姿はない。そのかわり。
「……おい」
真崎の代わりに美並を抱き寄せるようにくっついていたのは、一抱えもある茶色のくまのぬいぐるみで、御丁寧にプラスチックの眼鏡を掛けている。
「なんだ、これは」
唸りながらそれを引き起こしてみると、見覚えのある真崎のネクタイが首に巻きついている。
「か~ちょ~~」
いつこんなものを買ってきたんだ。
ってか、どう見たってこれは大石のくまの対抗版、けれど異常にでかい。一体幾らしたんだろう。
真崎がデパートでこれを指差して買う場面を想像して頭が痛くなる。
張り合ったんだよね。きっと張り合ったんだ、うん。
それより、風邪で寝込んでたはずの相手はどこに行ったんだ。
苛立ちながらベッドを降り、引きずりかけそうなくまの首を抱えて寝室のドアを開けると、まばゆい日射しが一杯に差し込んだダイニングのテーブルで真崎がノートパソコンに向かっている。休日仕様のふわっとしたタートルネックのグレイのセーター、同系色だが濃いグレイのスラックスと、どこかへ出かけるつもりなのか、髪の毛も整えられている。
「課長、起きてて大丈夫なんですか」
「うん、おはよう、いぶき……さ…ん…」
振り向いて笑いかけた真崎が寝室のドアを押し開けたままの美並に固まった。眼鏡の奥でびっくりしたような目を見開いて、キーボードの上に手を浮かせたまま凍っている。
「なんですか、自分が買ってきたくまでしょうに」
確かに凄く大きいけれど、驚いたのはこっちですよ、そう続けると、呪縛を解かれたみたいにはっとして、瞬きしながら目を逸らせる。
「あ、あ、うん、そ、う、なんだけど」
「だけど?」
「……なんで抱えてくるかなあ」
「え?」
「………それも……片方の手で抱えたままなんて……」
ぶつぶつ言いながら、慌てたように口元を押さえて俯いた。
「両手で抱えて、脚でドアを蹴り開けた方がよかったですか」
「や、そういう意味じゃなくて」
むー、と妙な唸り声を上げながら、真崎が立ち上がった。
「あー、もう、駄目かも」
「何が」
「我慢の限界かも」
「だから、何が」
「伊吹さん」
テーブルを回ってきて、真崎が美並の手からくまをひったくる。
「おい」
そのままぽとんと側に落としたばかりか、軽く脚で蹴飛ばして寝室に蹴り込む。
「おいおい」
「こいつはいいから」
僕を抱いてよ。
言うや否や抱きついてくるのに、今度は美並が固まる。
「……元気ですね」
「うん、元気でしょ」
「……そっちのことは言ってない」
「や、だから」
身体が元気だから、こっちも元気なんじゃない、とへらりと笑った相手を急いで押し遣る。
「風邪はっ」
「治った」
「嘘つけ」
「ほんと」
知らないの、伊吹さん。
真崎は嬉しそうに目を細める。
「人肌っていいんだよ~」
「ひとはだ…っ」
誤解を招くような言い方は止めて下さい。
思わず赤くなった美並に、真崎がくすくす笑う。
「あったかくてしっとりしてて気持ちよかったよ。ごちそうさま」
「っ、まさかっ」
ぎょっとして思わず美並は自分の体を抱えて洗面所に走った。
「……あ~~」
予想に違わずというか、そこまで考えなかったのがおかしいというか、真崎と同じ場所にくっきりついた赤い跡。しかも、何度か吸いついたのを示すように、幾重にもずれたクレヨンの線のように重なっている。
いつこんなことをされたんだろう。
……いや、こんなことをされて起きなかったのは、美並も疲れていたせいだろうか。
「意外と残らないんだね」
鏡の中からひょいと覗き込んできた真崎が目を細める。
「伊吹さん、どうやって僕のをつけたのか、今度やり方教えてね?」
「うっ」
「それから、はい、これ」
後ろからくしゃくしゃの髪にかぶせられたのは黒いシンプルなニット帽。
「? 何ですか、これ」
「今度桜木通販で売り出すはずだった新商品……『Brechen』にしてやられたけど」
「ああ…」
で、これをどうするの?
尋ねた美並に、真崎は自分もお揃いのニット帽を取り出して被ってみせた。
「見本で二つあったから、これを利用しようかと」
「え?」
「これを被ってデートしましょう、伊吹さん」
僕と初ペアルックだよね。
「げ」
にこやかに笑う真崎に美並は引きつった。
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