『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
134 / 503
第2章

6.バッド・ビート(8)

しおりを挟む
 きっとそうだろう、京介では駄目なのだ。伊吹を幸せにしてやれない、恵子が言った通りなのかもしれない。
 それでも。
 それなら。
 せめて、君が一番綺麗に見えるように。
 それがたとえ、他の男の手によったとしても。
「じゃあ、これ、下さい。両方、帽子もセットで」
 僕は伊吹が大事だから。
 切ない思いで、その揃いを頼んだとたん、
「か……、京介」
 伊吹が名前を呼んでくれて思わず振り向く。首を傾げてしまったのは、胸に広がった疑問から。
 まだ、僕でもいいの?
「何? 他の色がいい?」
「あ、いえ」
 違うのか、と揺れた気持ちがまた沈む。
 伊吹は『Brechen』を買うのを拒まなかった。
 京介は唇を噛んだ。
 自分がどんどん思いつめていってしまうのがわかって、やたらと喉が渇いてくる。
「課長?」
「何、伊吹さん」
「今の、あれ、計算ずく、ですか?」
 計算ずく。
 そうやって落ちてくれるなら、どんな手だって使うけれど、君はきっと落ちてくれない。
 歩きながら真崎は微かに笑う。
 むしろその計算を感じて、京介を拒む可能性の方が遥かに高い。
 店から出て、また少し歩いてから一休みしてカフェでコーヒーとカフェラテを頼んで向き合った。
 ほっとした顔でカフェラテを口にする伊吹の、唇についた甘い色の泡を舐めて、そのまま中まで舌を押し込みたい。
 危ない発想をよそに伊吹と普通の会話をしている自分に呆れる。
「もうしばらく付き合ってね」
「それはいいですけど……課長こそ大丈夫ですか」
「週明けにはプランを示さなくちゃならない」
 その結果如何で本当に伊吹を失ってしまうかもしれないから。
 気を抜くわけにはいかないよね、しかもこちらが圧倒的不利、そう自分に言い聞かせて立ち上がると、
「私は? 被らなくていいんですか?」
 京介の被った『Brechen』に伊吹が不審そうに尋ねてきた。
 そんなこと、言うんだ。
 肩越しに見遣った伊吹はきょとんとしている。また思う、きっと伊吹には『Brechen 』がよく似合う、と。
「いいよ、そのままで」
 背中を向けながら言い放つと、伊吹がなおもことばを重ねてくる。
「じゃあ、何でペアで買ったんですか?」
 鈍感。
 舌打ちしそうになって、京介は答える。
「商品研究のためだから」
 わからないの、本当に。僕がそんなことを許すとでも?
「大石がデザインしたものを君に着せるわけがないでしょう」
 背中を向けたまま呟いて、競り上がってくる疼きを踏み降ろすように歩き出す。
 欲しい。欲しい。欲しい。
 けれど伊吹は京介を欲しがってくれない。
 伊吹が欲しい。全部欲しい。隅々まで欲しい。大石が知らないところ、大石が触れていないところ、大石がこの先も辿りつけない部分まで伊吹を。
 暴きたい。
「っ」
 身体の内側に溢れた声に京介は息を呑んだ。
しおりを挟む

処理中です...