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第2章
7.彼女と彼(3)
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「着きました」
「…ありがとう」
運転手の声に京介は目を開けた。
「……真っ青ですよ」
もう降りるとわかった客だからか、相手が心配そうに声をかけてくるのに、ゆっくりと目を細めて笑った。
「帰って休むよ」
そうなさった方がいいですね、と続けた運転手に胸の中でことばを返す。
永遠に休んでみようか?
ずるずると座席を滑り降りながら、その端が口から零れた。
「……その方が楽、かな」
声に不穏なものを感じ取ったのだろうか、背後でドアが勢いよく閉まり、慌ただしくタクシーが離れていく。
怯えさせちゃった。
エントランスを通っていく間、体を起こすのも苦しいのに、たびたび顔を上げて周囲を見回す。無意識に繰り返している動きはなぜだろう、と他人事のように考えながら、エレベーターのボタンを押し、また一瞬『開』のボタンを押そうとして、自分の指先を凝視する。
「……そうか…」
伊吹さんを、待っているんだ。
いつかの夜のように来てくれないか、と。
崩れそうになっている京介の側に走り寄ってきて抱き締めてくれないか、と。
閉まりかけた扉の向こうに駆け込んでくる幻が見えた気がして、急いで『開』のボタンを押す。だが、がたり、と音をたてて急に開いた扉の外には人影一つない。
「……やっぱり、ね」
苦笑しながら、今度はなかなか閉じない扉に焦れて『閉』を押す。ぐうっとかかる圧力にめまいが激しくなって吐きそうになり、喉を鳴らして堪えた。よろめいて壁にもたれる。冷えた金属が気持ちいい。
目を閉じていると今度は電車の中のことが蘇った。
伊吹の丸くて小さな肩に頭を預けてほっとした瞬間、微かに視線を感じて薄目を開けて見つけたのは、同じ車両に居た男。どこかで見た顔だ、そう思って頭の中で検索を始め、すぐに名前を弾き出す。
高崎純。
桜木通販、品質管理課のぶっ飛び新人、今回の騒動の元ネタだ。
なぜこんなところに、と思うまでもなく、鳴海工業のことが頭を掠める。
そうか、彼も一応鳴海をあたっていたのか、道理で正三郎がえらく喧嘩腰だったわけだ、と嘆息した。
高崎が相手を納得させられるものを持っていたとは思えない。新人特有の理想論とデータ不十分の熱意を押し付けようとして、見事に玉砕したって顔だ。
駅を越えるうちに乗り込んでくる人に押されるように京介の前にやってくる。微妙な顔をして目を逸らせたところを見ると、京介のことを知っている様子だ。細田のことだ、新しく動く開発管理課で京介の下に入るかもしれない、ぐらいはほのめかしていたかもしれない。
上司になるかもしれない男の明らかにプライベートとわかる時に、声を掛けて来ないのは褒めてもいい。
ただ。
また薄く目を開けて、高崎が京介から目を逸らしたものの、その視線をそのまま隣の伊吹に降ろしたのに気付く。始めは伊吹の被っていたニット帽を見て、自分の提案したものだとわかったらしく、訝しげに京介と交互にニット帽を見ていたが、やがて、注意深い視線でニット帽の下の伊吹を見つめ出した。
その視線は、不愉快だ。
「…ありがとう」
運転手の声に京介は目を開けた。
「……真っ青ですよ」
もう降りるとわかった客だからか、相手が心配そうに声をかけてくるのに、ゆっくりと目を細めて笑った。
「帰って休むよ」
そうなさった方がいいですね、と続けた運転手に胸の中でことばを返す。
永遠に休んでみようか?
ずるずると座席を滑り降りながら、その端が口から零れた。
「……その方が楽、かな」
声に不穏なものを感じ取ったのだろうか、背後でドアが勢いよく閉まり、慌ただしくタクシーが離れていく。
怯えさせちゃった。
エントランスを通っていく間、体を起こすのも苦しいのに、たびたび顔を上げて周囲を見回す。無意識に繰り返している動きはなぜだろう、と他人事のように考えながら、エレベーターのボタンを押し、また一瞬『開』のボタンを押そうとして、自分の指先を凝視する。
「……そうか…」
伊吹さんを、待っているんだ。
いつかの夜のように来てくれないか、と。
崩れそうになっている京介の側に走り寄ってきて抱き締めてくれないか、と。
閉まりかけた扉の向こうに駆け込んでくる幻が見えた気がして、急いで『開』のボタンを押す。だが、がたり、と音をたてて急に開いた扉の外には人影一つない。
「……やっぱり、ね」
苦笑しながら、今度はなかなか閉じない扉に焦れて『閉』を押す。ぐうっとかかる圧力にめまいが激しくなって吐きそうになり、喉を鳴らして堪えた。よろめいて壁にもたれる。冷えた金属が気持ちいい。
目を閉じていると今度は電車の中のことが蘇った。
伊吹の丸くて小さな肩に頭を預けてほっとした瞬間、微かに視線を感じて薄目を開けて見つけたのは、同じ車両に居た男。どこかで見た顔だ、そう思って頭の中で検索を始め、すぐに名前を弾き出す。
高崎純。
桜木通販、品質管理課のぶっ飛び新人、今回の騒動の元ネタだ。
なぜこんなところに、と思うまでもなく、鳴海工業のことが頭を掠める。
そうか、彼も一応鳴海をあたっていたのか、道理で正三郎がえらく喧嘩腰だったわけだ、と嘆息した。
高崎が相手を納得させられるものを持っていたとは思えない。新人特有の理想論とデータ不十分の熱意を押し付けようとして、見事に玉砕したって顔だ。
駅を越えるうちに乗り込んでくる人に押されるように京介の前にやってくる。微妙な顔をして目を逸らせたところを見ると、京介のことを知っている様子だ。細田のことだ、新しく動く開発管理課で京介の下に入るかもしれない、ぐらいはほのめかしていたかもしれない。
上司になるかもしれない男の明らかにプライベートとわかる時に、声を掛けて来ないのは褒めてもいい。
ただ。
また薄く目を開けて、高崎が京介から目を逸らしたものの、その視線をそのまま隣の伊吹に降ろしたのに気付く。始めは伊吹の被っていたニット帽を見て、自分の提案したものだとわかったらしく、訝しげに京介と交互にニット帽を見ていたが、やがて、注意深い視線でニット帽の下の伊吹を見つめ出した。
その視線は、不愉快だ。
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