『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

1.白黒(7)

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「おいしいです、が」
「が?」
 元子は笑みを深めた。
 ひょっとしたら、答えを間違ったら料理は出て来ないのかもしれないな、と白いテーブルクロスを見つめながら美並は思う。待ち合わせ時刻よりも早く始まったこのやりとりは、つまりは元子が時間を費やすのに価するかどうか、一緒に食事をする価値がある相手かどうかの見極めなのかもしれない。
 とすると、元子が行動に出てくる理由が一つ思いつく。
 真崎京介という男は、元子にとってそれほど貴重な手駒だということだ。
 女一人で人生を誤る男、潰れてしまう男は星の数ほどいるし、そんな男を元子はたくさん見てきているのだろう。
 真崎を使えなくしてしまうような女では困る、そういう頭だということだ。
 だからこその時間外、真崎抜きのこの会合。
 きっと会議上で、真崎は彼らしくない不安定さを見せたのだ、美並のことで「やりあった」ときに。その真崎の変化に元子は警戒した。自分の有能な部下がまずい方向へ転がり落ちる危険性を感じた。
 だからまず自分単独で美並を確かめることにしたに違いない。
 とすると。
「課長は知らないんですね?」
 こちらも多少したたかにやるしかない、と踏む。
「え?」
 元子が僅かに眉を上げる。
「今夜会うことは急に決められたことなんですね」
「……気紛れにね」
 うふ、と嬉しそうに元子は笑った。
「真崎くんが急に綺麗になったもんだから」
 グラスを取り上げ、いとしむようにじっくり中身を揺らせて眺めた。
「これにそっくりな子だったのに」
 村野さん、と元子は呼び掛けた。
「あれを持ってきて」
「かしこまりました」
 村野がすぐに応じて、もう一つ、同じグラスによく似た色合いの酒を入れて持ってきた。
「どうぞ」
 村野が、料理は、と催促しないあたり、これはますます今夜の食事はここで食べられない可能性がでてきた、と美並は少し吐息をつく。できればコンビニにまともなものが残ってる時間に終えて欲しいな、ちらりと思ったのが伝わったのか、元子が顔を引き締めた。
「なかなか、見かけ通りじゃないってことね、あなたも」
「はい?」
「たいした余裕よ」
 微かに滲んだ悔しそうな気配、とっさに苦笑しかけるのを美並はかろうじて制した。
 そんなもの。
 酒の見極めなど、わからなければ美並が愚か、で済む話だ。万が一職を失ったとしても殺されるわけじゃない。真崎との仲を引き裂かれようが、真崎を死なせることにくらべれば傷みの内に入らない。
 自分の手で大事な相手を殺す羽目になる状況を思えば、今のこのテーブルなど戯れ言だ。
 ふいに、自分の中にも砕けたガラスがある、と感じた。
 ただし、このガラスは人を傷つけるためのものじゃない。人を傷つけさせようとする見えない力に抵抗して、自分の命を消すためのものだ。そこまで踏み込む決意をした瞬間に、美並に未練があるわけがない、ためらいを持つわけもない。
「頂きます」
 味わえばいい、運ばれてきたものを、自分自身の舌で。そうして答えを出せばいい。その答えに後悔しなければ、それでいい。
「…っ」
 口にして驚いた。
 いきなり広がった華やかな香りは鮮烈だ。視界を薔薇で覆われたような衝撃、しかもその余韻が緩やかに甘やかに変わっていく。
 飲む、というより口にしみ込むようなその感覚に、唐突に重なったのは流通管理課でコーヒーカップから視線をあげてはにかんだ真崎の眼。甘えるように煽るように濡れた唇から舌を覗かせて誘う笑み。絡みつく視線は切ないほどに餓えている、満たされることをただ望んで。
 誘惑と、懇願と。
 声が掠れて囁く。
 見て。
 もっと、僕を。
 全部、見て。
 くらっと視界が揺れて、思わず瞬きした。
「これは…」
「……」
 ごくり、と元子がその酒を容赦なく飲み下して、じっと美並を見つめた。
「これは?」
「さきほどのも食前酒には甘すぎると思いましたが、これは、無理です」
「無理?」
「………これは料理を、消してしまいそう」
「似てるでしょう」
 元子が満足そうに、今度はゆっくりと酒を舐めた。
「鋭くて有能で、けれど中身はゼンマイ仕掛け、作りさえ知っていれば簡単だった。そこまで覗き込んで、構造さえ確認すれば怪我をすることもなく扱える」
 にこやかに、けれど猛々しい冷酷さをたたえて笑う。
「あそこが満たされるなんて不可能だと思ってたのよ。けれど、いつの間にか、あの子の中に何かが満たされて、発酵し密度をあげ、薫りを放って人を魅きつけるようになっていた」
 始めのグラスを取り上げて、眺める。
「今までは、見かけだけの綺麗さだったから、大抵は鮮やかだなと通りすがるだけで済んでいたのに、今のあの子は内側まで踏み込みたいと思わせてしまうのよね。底に隠された蜜を暴いて零させたい、と」
 ちらりと美並を見た眼が冷えている。
「本人はあなただけに開いているつもりなんだろうけれど、妙なちょっかいが増えているのも事実よ。そのうち牟田さんどころじゃないトラブルになるかもしれない」
「ちょっかい?」
「男女問わず誘われてるみたい。本人には自覚がないけれど」
「男女……問わず…ですか」
「あなた達、結婚するんでしょう?」
「はい」
「形だけでも早く済ませられない?」
「は?」
 ようやく元子が何を言いたいのかわかってきた。
「えーと、それはつまり、課長を制御してほしい、ってことですか」
「色気のない台詞ね」
 元子はひょいと顔を上げて村野に料理を運ぶように命じた。
「ウチは流通産業なのよ、商品を動かすのが商売、人を集めるバーじゃない」
「はい」
「好きな女を欲しがって、フェロモン垂れ流しにされても困るの。ホストは要らない」
「……あの」
 ふぅ、とうっとうしそうに溜め息をついた元子が、綺麗になったってからかわれてるのに、あなたに捨てられるのが怖いなんて言い出したのよ、あの男は、とぼやく。
「あ~」
 何とか元子のテストはパスしたらしい、と緩んだ相手の気配にほっとしながら、美並は居ない真崎に眉を寄せる。
 あんたは一体、誰に何をぶちまけてるんだか。
「えーと」
 すみません、とやっぱりここは謝っておくべきなんだろうか。
 考え込んでいると、元子がぼそりと唸る。
「さっさとヤっちゃって、って頼んでるの、傍迷惑だから」
 残った酒を含んでいた美並は危うく中身を吹き出しそうになった。
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