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第3章
2.バックドア(4)
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翌朝、ベッドから真崎がいなくなっているのを確認した後、美並はおにぎりを作った。
ちょっと固めに炊き上げた飯を塩を手につけて握って海苔を巻いたのと、ふりかけを混ぜ込んで握ったのを二種類。
丁寧に丁寧にいつもより多めに握っているところへ、電話がかかる。
『もしもし、姉ちゃん?』
「明……何、朝から」
『いやちょっと、今日会えるかなあと思って』
相手が照れた声になって、あいつと今日は、と尋ねられたから、今日は約束していないと答えた。
朝、なぜ急に居なくなってしまったのか。
夕べなぜ唐突に美並のベッドで眠っていたのか。
なぜいきなり、何もかもすっとばして抱いて、になってしまったのか。
気にかかる、でもそれは夕方まで待っていられるようなことじゃない気もするから、昼御飯一緒に食べましょう、と誘ってみるつもりだった。
何かあったのだ、京介に。
我を失って、ひたすら求めることしかできなくなるほど、衝撃を受けるようなことが。
しかも、いつもなら朝まで居るはず、最低でも美並が目覚めるのを待っているはずなのに、居た気配さえ残さずに消えてしまったのが気にかかる。
携帯もまた繋がらなかった。
話し中ではなくて電源が切られている気配、それも真崎京介にしてはありえない状況、各種連絡は管理課だけではなく、真崎の携帯にも頻繁に入るはずなのに。
『姉ちゃん?』
「あ、ごめん。それでどうしたの、急に?」
明の不審そうな声に意識を戻した。
土曜日に真崎を伴って実家に戻ることになっている。一晩泊まっていってもいいと両親は諸手を上げて待っている、とさすがにそこまでは話していないが、土曜日の時間もまだ打ち合わせていない。
それを理由にお昼を誘おう、そう決めた。
『今度、七海がホールのイベントに出るんだけど、その時のワンピースを姉ちゃんに見立ててもらえないかって』
「ホールのイベント?」
七海はハープ奏者だ。結婚式や、新しいビルのオープンイベントなどに呼ばれて演奏することも多い。
BGM代わりにと気軽に頼まれることもあるが、それで少しでもハープや視覚障害について興味をもってくれるならと、仕事を選り好みしないこともあって、あちらこちらに出かけるようだ。
『「ニット・キャンパス」って知ってる?』
明の口から聞き慣れてきたことばが飛び出して、思わず美並は微笑んだ。
「知ってる。芸術系の学校や企業が集まって、新しい創造を考えようっていうやつでしょ」
『12月の10日ぐらいからあちこちの大学とかでイベントが始まるんだけど、メインのやつは12月の23、24日二日続きのホール・イベントで、向田市役所のイベント・ホールでファッションショーとか演劇とか、そういうのがあるんだけど、演奏を頼まれてるんだよ』
だから、その時の服を一緒に選んでほしいって。
『今日の夕方、そっちへ出るんだって。俺も一緒に行くから』
「わかった。じゃあ、夕方……18時ぐらい?」
『うん。じゃあ向田駅の改札で』
明が嬉しそうに電話を切る。
状況次第だけど、真崎も誘ってみようか、そう思った。
「おはよ~~!」
「おはようございます」
「お、おはようございます…?」
「何、伊吹さん、その疑問型は?」
いつもは一番に来ている真崎が、今日は少し遅れた。
じわっと不安になったあたりでやってきたのはやってきたが、満面の笑み、華やいだ気配をそこら中に放射していて、異常にテンションが高い。
「朝だから、おはよう、に決まってるでしょう」
にこにこしながら覗き込んできた顔は、少し白いかもしれないが、夕べの切羽詰まった焦りは見られない。
「元気ですね、課長」
「や、昨日の打ち合わせがうまく行ってさ」
ぱあっと真崎は笑み綻んだ。
「『ニット・キャンパス』、桜木通販、開発管理課の参加が決まりました!」
にこやかに宣言する。
「……うまくいったんですか」
ちょっと呆気にとられた顔で石塚が突っ込み、思わず何、と目で訪ねると、ほら、ここ、とパソコンで『ニット・キャンパス』のHPを開いてくれた。
「……締め切り……7日?」
「何かいろいろあったらしくて、急遽早まったみたいよ。準備していたけれど参加できなくなった企業もあるみたいだし」
「ふぅん?」
覗き込んでみると、更新は昨日、お詫びと理由が並んでいる。
「企画本部事務局の不手際により……か」
「そこを通したんだから、凄いですよね」
「でしょう」
石塚の声に真崎がまたにこにこする。
おかしい、と美並は眉を寄せた。
これがうまく進んでいるなら、夕べの真崎は何なんだ? 幻? 美並の妄想?
まさか。
「さて、これで忙しくなってきたなあ。高崎くんにも繋ぎはつけたし」
「もうつけたんですか?」
石塚がえらく手早いですね、と苦笑する。
「だってさ」
机の上の書類をいつも通りに確認し片付けていきながら、真崎はキーボードを叩く。
「僕もいろいろ忙しくなるし、サブで動ける人材は欲しいしね」
眼鏡がパソコンの画面を反射して、表情が消えた。
「明日からこっちに移ってもらう。今日の午後からデスク動かして、内線周知して、名実ともに開発管理課、始動」
たん、と鋭い音をたててエンターを叩いた真崎が、またにこっと笑って美並を見返す。
「伊吹さん、石塚さん、よろしくね」
「了解」
「はい」
まずは何をするんです、と尋ねる石塚にデータ表を持ち出してきた真崎は、確かに元気そうで楽しそうで嬉しそうだ。新しい課に新しい人材、新しい企画が動き出して、いよいよ自分の実力を発揮できる、そう張り切っているように見える。
けれど。
美並の脳裏に元子の顔が過る。
『誰か助けて、そう思わないことだ、って』
『何とか、なんて誰にもできない』
自分しかいない。
誰も助けてくれない。
だから、真崎は誰にも何も望まない。
そう元子は言っていた。
その記憶が、なぜ今、美並の頭に蘇ってくる?
簡単だ。
偶然はありえない。感覚は必然で呼び起こされてくる。
何か通じるもの、同じものがあるから連想されてくるのだ。
そして、理由が見つからないということは、美並には共通点が見えていないということだ。
夕べの真崎と別人のように明るい真崎、それは何かが見えないところで起こっているからではないのか。
「さて、伊吹さんです」
データの束で石塚にうんざりさせた後、真崎は違う書類を手に美並に向き直った。
その瞬間、美並の感覚が『異常』を訴える。
シャツが、同じだ。
ちょっと固めに炊き上げた飯を塩を手につけて握って海苔を巻いたのと、ふりかけを混ぜ込んで握ったのを二種類。
丁寧に丁寧にいつもより多めに握っているところへ、電話がかかる。
『もしもし、姉ちゃん?』
「明……何、朝から」
『いやちょっと、今日会えるかなあと思って』
相手が照れた声になって、あいつと今日は、と尋ねられたから、今日は約束していないと答えた。
朝、なぜ急に居なくなってしまったのか。
夕べなぜ唐突に美並のベッドで眠っていたのか。
なぜいきなり、何もかもすっとばして抱いて、になってしまったのか。
気にかかる、でもそれは夕方まで待っていられるようなことじゃない気もするから、昼御飯一緒に食べましょう、と誘ってみるつもりだった。
何かあったのだ、京介に。
我を失って、ひたすら求めることしかできなくなるほど、衝撃を受けるようなことが。
しかも、いつもなら朝まで居るはず、最低でも美並が目覚めるのを待っているはずなのに、居た気配さえ残さずに消えてしまったのが気にかかる。
携帯もまた繋がらなかった。
話し中ではなくて電源が切られている気配、それも真崎京介にしてはありえない状況、各種連絡は管理課だけではなく、真崎の携帯にも頻繁に入るはずなのに。
『姉ちゃん?』
「あ、ごめん。それでどうしたの、急に?」
明の不審そうな声に意識を戻した。
土曜日に真崎を伴って実家に戻ることになっている。一晩泊まっていってもいいと両親は諸手を上げて待っている、とさすがにそこまでは話していないが、土曜日の時間もまだ打ち合わせていない。
それを理由にお昼を誘おう、そう決めた。
『今度、七海がホールのイベントに出るんだけど、その時のワンピースを姉ちゃんに見立ててもらえないかって』
「ホールのイベント?」
七海はハープ奏者だ。結婚式や、新しいビルのオープンイベントなどに呼ばれて演奏することも多い。
BGM代わりにと気軽に頼まれることもあるが、それで少しでもハープや視覚障害について興味をもってくれるならと、仕事を選り好みしないこともあって、あちらこちらに出かけるようだ。
『「ニット・キャンパス」って知ってる?』
明の口から聞き慣れてきたことばが飛び出して、思わず美並は微笑んだ。
「知ってる。芸術系の学校や企業が集まって、新しい創造を考えようっていうやつでしょ」
『12月の10日ぐらいからあちこちの大学とかでイベントが始まるんだけど、メインのやつは12月の23、24日二日続きのホール・イベントで、向田市役所のイベント・ホールでファッションショーとか演劇とか、そういうのがあるんだけど、演奏を頼まれてるんだよ』
だから、その時の服を一緒に選んでほしいって。
『今日の夕方、そっちへ出るんだって。俺も一緒に行くから』
「わかった。じゃあ、夕方……18時ぐらい?」
『うん。じゃあ向田駅の改札で』
明が嬉しそうに電話を切る。
状況次第だけど、真崎も誘ってみようか、そう思った。
「おはよ~~!」
「おはようございます」
「お、おはようございます…?」
「何、伊吹さん、その疑問型は?」
いつもは一番に来ている真崎が、今日は少し遅れた。
じわっと不安になったあたりでやってきたのはやってきたが、満面の笑み、華やいだ気配をそこら中に放射していて、異常にテンションが高い。
「朝だから、おはよう、に決まってるでしょう」
にこにこしながら覗き込んできた顔は、少し白いかもしれないが、夕べの切羽詰まった焦りは見られない。
「元気ですね、課長」
「や、昨日の打ち合わせがうまく行ってさ」
ぱあっと真崎は笑み綻んだ。
「『ニット・キャンパス』、桜木通販、開発管理課の参加が決まりました!」
にこやかに宣言する。
「……うまくいったんですか」
ちょっと呆気にとられた顔で石塚が突っ込み、思わず何、と目で訪ねると、ほら、ここ、とパソコンで『ニット・キャンパス』のHPを開いてくれた。
「……締め切り……7日?」
「何かいろいろあったらしくて、急遽早まったみたいよ。準備していたけれど参加できなくなった企業もあるみたいだし」
「ふぅん?」
覗き込んでみると、更新は昨日、お詫びと理由が並んでいる。
「企画本部事務局の不手際により……か」
「そこを通したんだから、凄いですよね」
「でしょう」
石塚の声に真崎がまたにこにこする。
おかしい、と美並は眉を寄せた。
これがうまく進んでいるなら、夕べの真崎は何なんだ? 幻? 美並の妄想?
まさか。
「さて、これで忙しくなってきたなあ。高崎くんにも繋ぎはつけたし」
「もうつけたんですか?」
石塚がえらく手早いですね、と苦笑する。
「だってさ」
机の上の書類をいつも通りに確認し片付けていきながら、真崎はキーボードを叩く。
「僕もいろいろ忙しくなるし、サブで動ける人材は欲しいしね」
眼鏡がパソコンの画面を反射して、表情が消えた。
「明日からこっちに移ってもらう。今日の午後からデスク動かして、内線周知して、名実ともに開発管理課、始動」
たん、と鋭い音をたててエンターを叩いた真崎が、またにこっと笑って美並を見返す。
「伊吹さん、石塚さん、よろしくね」
「了解」
「はい」
まずは何をするんです、と尋ねる石塚にデータ表を持ち出してきた真崎は、確かに元気そうで楽しそうで嬉しそうだ。新しい課に新しい人材、新しい企画が動き出して、いよいよ自分の実力を発揮できる、そう張り切っているように見える。
けれど。
美並の脳裏に元子の顔が過る。
『誰か助けて、そう思わないことだ、って』
『何とか、なんて誰にもできない』
自分しかいない。
誰も助けてくれない。
だから、真崎は誰にも何も望まない。
そう元子は言っていた。
その記憶が、なぜ今、美並の頭に蘇ってくる?
簡単だ。
偶然はありえない。感覚は必然で呼び起こされてくる。
何か通じるもの、同じものがあるから連想されてくるのだ。
そして、理由が見つからないということは、美並には共通点が見えていないということだ。
夕べの真崎と別人のように明るい真崎、それは何かが見えないところで起こっているからではないのか。
「さて、伊吹さんです」
データの束で石塚にうんざりさせた後、真崎は違う書類を手に美並に向き直った。
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