『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

4.マック(5)

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「う…っん」
 壁に押し付けられて、開いた口に深く入られ、眉をひそめる。切羽詰まった真崎に抵抗しようとして、目の前でふわりと弛んだ顔に思わず動きを止めた。
 薄赤く染まった目元、伏せられた睫が震えながら持ち上げられる。その下にあったのは潤んで微かに光を放つ瞳、煙るように蕩けた色が美並の視線を釘付けにする
「んっ…ん」
 鼻を鳴らして舌を伸ばしてくる真崎は、無意識なのだろう、身体をくねらせ擦り付けてきている。朦朧とした顔は夢中に居るような気配、全身で誘惑されて思わず無抵抗に任せた舌を、嬉しそうに吸い出されて絡められる。合わせた唇の間から濡れた音が響き、うっとりした顔で吐息を漏らした真崎が、脚の間に腰を押し込んできて、その中心に確かな存在感を知らせた。
 どうしよう。
 真崎の熱い身体に覆われて、美並は流されそうになる。
 理由はどうあれ、真崎が美並を欲しがっているのは確か、最後までなだれ込んでしまえば、それはそれで一時は真崎を慰められるのかもしれない。
 脳裏に蘇ったのは、廊下に脱ぎ散らかされた服、自分で脱いだのか、それとも誰かに脱がされたのか。
 こんなに我を失ってしまうほどの、一体何があったのか。
『今日、駄目だったのは、あいつと会うからだったの?』
 大石と会ううもりだったんじゃないのか、そう疑った真崎のことばを思い出した。
 ひょっとして、真崎はまた、美並にはわからない事情で、美並が真崎を捨てて大石を選んだと思い込んだのかもしれない。だから自暴自棄になっているのかもしれない。
 それは都合が良すぎる夢かもしれないけれど、確かめておく必要はある、だって。
 美並は真崎が大事で愛しい、それはもうはっきりしている。たとえ避けようのない何かで離れるにしても、決して真崎を拒んでのことではない、それこそかけがえなく大事だから、そうだ、それだけはちゃんと伝えたい。
 何とか口を離してことばを交わしたい、そう思って、膨れ上がるものをぐいぐいと押し付けてくる真崎の胸を押し返す。
 だが、真崎はそれを拒否と取ったのか、一層強く激しく押さえ付けられて跳ね返すことができなくなった。
 圧倒的な力の差。
 相手が敵なら相打ちにできる、けれど今覆い被さってきているのは、我を失っているだけの大切な人間。
 また、傷つけるのか。
 胸の奥で、滲む呟きが零れた。
 また、大切な相手を傷つけるのか。
 前は知らずに傷つけた、今度は傷つけるとわかっているのに拒むのか。
 美並の脳裏に返答のない携帯が、詰る奈保子の涙が、『村野』で責めた大石の顔が過る。
 何サマのつもりだ、本当に。
 何もわかっていないのかもしれないのに。
 このまま流されて抱き合ってしまえば、それでなし崩しに済むかもしれない。
 思った瞬間に、胸の内に声が響く、違う、ここで流されるな、と。
 しのげ。
 揺らいだ気持ちを立て直す。
 他の誰でもない、美並にしかできないことがあるはず、見失うな、全うしろ。
 脳裏に蘇る、雪の上の紅の花。
 落ちてもなお。
 堕ちるならなお。
 眉を寄せて相手を睨み付け、掌に意志を込めて力を入れる。
 真崎の舌を噛むことができない自分の甘さが苦い。
 この遅れがどう響く。
 このためらいが何を崩す。
 ふいに、美並の内側の呟きが聞こえたように、真崎がひくりと震えて眼を開いた。
 さっきの蕩けた瞳とは打って変わった静かな冷たい視線だった。出逢った時にも見たことのない、大輔にさえ向けたこともないように思える、冷やかな怒りをたたえた眼。
 そのまま一気に嫌われそうで、泣きそうになったけれど堪えて見返し、目で訴える。
 離して、京介。
 視線の意味に気付いただろうに、真崎は静かに微笑んだ。
 ざくざくしたガラス片のような凍てついた笑み、壁へ張りつける腕の力は緩まない。強ばった舌をなおも求めて、反応一つも見逃さずに嬲り続ける唇は執拗なほど必死なのに、揺らし始める腰の動きは機械的に動くだけ、物理的な刺激さえあればいいと思っているように熱がない。
 ばらばらだ。
 『美並』を求める上半身と、『快楽』だけを求める下半身、その狭間で、真崎が真二つに引き裂かれていくようだ。
 確かにこちらを見つめているけれど、その視界に本当に美並は映っているのか。微笑んでいるけど、端正に整ったままの表情は本当に真崎のものなのか。
 見る見る虚ろに光を失っていく瞳に、声にならない真崎の悲鳴を聞いた気がしてぞくりとした。
 私もわからなくなってる?
 自分が何をしているのかさえ理解できていない、それほど壊れてしまっている?
 タスケテ。
 微かな叫びが彼方から聞こえる。
 タスケテ、ミナミ。
 真崎を守っていたはずの半透明の繭が、今真崎を包み込んで呼吸を奪おうとしている。
 すう、と額の中央から静まっていく感覚があった。
 美並の内側で滾っていた炎に透明な冷水が注がれていくような感覚、澄み渡っていくその波紋に美並は集中した。
 そうだ、流されてはいけない。
 けれど、拒んでもいけない、きっと。
 『美並』を求める真崎も、『快楽』を追う真崎も、どちらも真崎のものならば、どちらかを選んじゃいけない。
 どちらの真崎も受け入れらるか、そう思った瞬間に、大輔に見えている真崎と美並が見ている真崎が緩やかに重なったのを感じ取った。
 ああ、そうか。
 そういうことだったのか。
 だから大輔に堕ちそうになるのだ、快感を追う真崎を誰も受け止めてくれないから。
 だから大輔から逃げたくなるのだ、快感を追う真崎しか求めてくれないから。
 ずっとどこかで不思議だった、あれほど何もかも奪われながら、どうして真崎は大輔を切り捨てきれないのか。離れて逃げて、なのに自ら罠にかかるように戻るようなことを何度もする。
 望んでいるのは全てを受け止めてもらうこと、光の部分も闇の部分も、ただ真崎であると認めてもらうこと。
 そのためには闇に堕ちる方が楽な気がする、受け入れてもらえそうな気がする。汚れた部分が平気なら、綺麗な部分は受け入れやすかろうと。
 けれど大輔はまさに、真崎のその光の部分が受け入れられない。
 おそらくはそれに刺激される自分の劣等感ゆえに。
 だから、真崎は美並に望む、イブキに絡む自分を見抜いたあの瞬間から、自分の中にある全てを、見て、と。
 ウケトメテ。
 ウケトメテ、ミナミ。
 揺さぶられながら、淡く頼りない懇願が胸の奥に染み通ってくる。
 ボクヲ、ゼンブ、ミセルカラ。
 ならば、美並のすることは。
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