『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

8.スタック(3)

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「僕と」
 京介が振り返っているのを十分に意識した顔で、渡来が薄く笑う。たしなめる源内に動じた様子もなく、
「いつ?」
 無邪気な顔で確認して伊吹が戸惑った顔になる。
「あ、いや、あのちょっと」
 なんで?
 どうして伊吹さん、すぐに拒まないの?
 沸き起こった苛立ちに、京介は身動きできないまま、渡来をねめつける。
 やぱりそいつのほうが優先順位が上ってこと?
「マフラー」
「え」
「許す」
 許せない。
 僕の目の前で伊吹さんを攫うことだけは許せない。
「あのね」
「だから」
 くる、といきなり渡来が振り向いた。強い気配に京介も向き直る。
「帰っていい」
 へえ。
 頭のどこかで血管が一本切れたような浮遊感が広がった。
 そんなこと、言うんだ。
 かちりと入ったのは流通管理課、トラブルシュレッダー真崎京介のスイッチ。
 理不尽な要求を押し付けて、それが当然みたいに果たせと言ってくる相手の扱いならば慣れている。
「ハル、あのな、それは冗談にならない」
「じゃない」
「なら、なおさら」
「送る」
 源内のことばに耳も貸さず、渡来は挑戦的に微笑みかけてくる。
「みなみ」
 だめ。
 もうだめ。
 わずかに残っていた甘い感覚が霧散する。
 京介は眼鏡を押し上げた。
「大石さん」
「何です」
「申し訳ないが……打ち合わせはまた日を改めてお願いします」
 体が勝手に動いてしまう。大石の返事を待ちもせず、伊吹に近寄り腕を掴む。
「伊吹さん、帰るよ」
 掌の中に夕べも今朝も抱き締めていた温もりが戻って、胸が強く高く打った。
 そうだ、だめだ、譲れない。
 自分がどれほどみっともなくて何もなくてどうしようもない男だと思っても、それでも伊吹を譲れない。
 伊吹が他の男と一緒に時間を過ごす、他の男と体を寄り添わせる、他の男に笑いかける、そう思っただけで体の内側が爛れたように熱くなる。頭の隅から焼け焦げて、自分が真っ黒な得体の知れない塊になるのがわかる。
「ということで」
 笑った顔が殺気立っている自覚はあった。
「御心配なく。伊吹さんは僕が送りますよ、渡来さん」
 ぐるぐる回っていた内側の刃に猛々しい光を宿して、そのまままっすぐ渡来の喉元に突き付ける。踏み込んで斬られることなど恐れない。自分が最大に傷つくのは伊吹を手放すことだとわかっている。
 渡来がそれ以上伊吹に近付けば、一番弱いポイントを見つけて背中まで貫き通すと決めていると気付いて、また笑う。
 そう、だめ。
 どれほど伊吹さんが拒んでも、どれほど渡来が望んでも、もう遅い、この腕を僕は離さない。
 京介が要らないなら、伊吹が殺してくれればいい。それならいつでも受け入れる。
 眼を細めて微笑んだ。
「わかった」
 京介の内側に気付いたのか、渡来が肩を竦めて応じた。が、ほっとする間もなく、くすりと笑って付け加えられる。
「またね」
「また?」
 渡来が優しく振り返ったのは伊吹、それに戸惑った気配を見せない伊吹にぞっとする。
 どういうこと? もう何か、約束してしまったの、伊吹さん?
 体の芯が凍りつく。掴んだ腕に力を込める。
「またって何」
 詰問はまっすぐ伊吹に向かう。
「あー……あのですね」
 きまり悪そうな顔で伊吹がひきつるのに不安が募る。過熱する体よりなお熱くなる頭の芯にくらくらする。
 そこへ、
「デート」
「っっ」
 しらっと渡来にだめ押しされて総毛立った。
 デート?
 デートって、何?
 いつの間にそんな約束、いや、第一。
 僕が居たのに。
 こんなに近くに僕が居たのに。
「覚えて」
 言い捨てた渡来が源内を従えて去っていく。
 年齢も社会経験もない子どもに、圧倒的に押し切られた、かけがえのない人を境にして。
 それでも、傷ついたプライドよりもなお震えそうになるのは、ようやく得た居場所が幻になる現実で。
「伊吹さん…どういうこと?」
 見上げてきた伊吹がうろたえもしていないのに、京介は余計に追い詰められた。
「あのですね」
「なんであいつが君をデートに誘うの」
 さっきまではそれを呑み込もうとした、伊吹が幸せならいいじゃないかと、渡来を正当に評価して。
「えーと」
「なんですぐに断らないの」
 曖昧な応答にそんな大人の発想が吹き飛ぶ。
 失う?
 今本当に失うの?
 こうやって今腕を握っているのに?
「あー」
「僕が側に居るのに」
 伊吹が一瞬口を噤む。
 何、やっぱりそういうことなの?
 京介はぐるぐる考えていた理由を一気に思い浮かべる。
「理由があって」
 やっぱり、僕じゃだめってこと?
 絶望と竦むほどきつい痛みに裂かれていくようで、ことばがまともに紡げなくなる。
「どんな理由…」
 声が掠れた。視界が揺れる。
 とにかく理由を聞いて、でも納得する気なんかない、だって伊吹さんは一緒に居てくれるって言ったはずだし、その約束は今の約束よりも先だったはずだし、ああ、でも、ひょっとしてデートっていうのも、僕と出会うよりうんと前に約束していたことだったりして、でもそんなの、僕にはどうにもできないし、でもそれって酷いよね、何も僕の目の前で確認しあわなくても、いや、僕が知らない所で会われたりするのも嫌だけど、でもとても目の前でそんなの見てることなんてできないし。
 奔流のように頭の中を一杯にした思考に溺れる。
「美並…っ」
 嫌いになったら嫌いになったって言ってくれればいい、その場で殺してくれればいい、そうすれば京介は二度と伊吹を困らせない、伊吹が満足するならそれでいい、そう思い詰めて覗き込むと、
「そんな煮え詰まった声、出さないの」
「んっ」
 キス、された。
 まだロビーに居るのに。人が回りに一杯居て、おまけに相手は京介なのに。
 驚いて、息を呑む。
「明日、一緒に実家に来てくれるんでしょう?」
 優しく甘い声に崩れそうになった。
 明日、一緒に。
 いきなり広がった安堵に泣きそうになる。あまりにみっともないかもとようやく少し理性が戻る。それでも。
「キス」
「は?」
「ちゃんとしてくれなかった」
 唇を尖らせたのは、もう一度欲しかったから。今度はできたら舌も欲しい。それから。
「帰ってからね」
 見抜いたような伊吹の返事に思わずごくりと唾を呑む。
「帰って、から」
 どこに? 
 たぶん京介の部屋に。
 今はまだ23時前後、まだ夜はこれからという時間じゃない?
 ってことは、帰ってから、していい、のかな。
 思いついたことにずきりととんでもないところが疼く。
 もう一度、あんなふうに、愛してくれる…?
「明日は早くないよね? 昼過ぎてから出かけるのでもいいよね?」
 意味は十分に伝わったのだろう、曖昧に視線を逸らされた。
「たぶん」
「じゃあ、早く帰ろう!」
 欲しい。
 頭の中がそれしかなくなって、夢中で身を翻した。
 あ、京介。
 思いきり引っ張って歩き出した伊吹が小さく声を上げて、視界の端に見上げてきた顔が微かに赤くて可愛くて。
 早く、帰ろう。
 とにかく、伊吹を京介の部屋に連れ帰らないと。
 他の誰にも攫われないように、ちゃんとしっかり確保しとかないと。
 どうやって? どうやって確保する?
 たとえば。
「…っ」
 何度も求めてみればいい?
 喉が干上がる。
 京介は伊吹の腕を掴んだまま、ホテルから出てすぐにタクシーを呼び止めた。
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