『闇を闇から』

segakiyui

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第6章

1.あなたと共に(4)

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 とるものもとりあえず、美並の実家にお邪魔した。急な来訪に夕飯の買い物に出掛けてくれ両親に代わり、迎えた明に七海の妊娠を告げられた。
「赤ちゃん?!」
 意外そうな声の、それでも嬉しそうに弾むはずの話題に、一瞬の戸惑いを感じ取って、京介はちらりと横目で伊吹を眺めた。明も同じように感じたのだろう、素早く京介に視線を投げて、微かに頷く。
 いつもならこんな露骨なアイコンタクト、見逃すはずがない伊吹は忙しく瞬きしながら、明と奥へと視線を交互に投げている。
「そう…そうなんだ……うん…あの……」
「どうしたの、美並」
 そこは身内の感覚、するりと明が伊吹の気持ちを確かめにかかる。
「俺が悪い男すぎる?」
「明ったら」
 今後は本当にびっくりした顔で、伊吹は唇を尖らせた。
「なあにそれ、課長が移ったみたい」
 課長。
 京介との間でも随分ご無沙汰だった、ましてや月曜日から『社長』になるはずの男に呼びかけるには、十分に不自然な呼称。誰だってわかる、今伊吹は故意に京介と距離を取った。
「こぉら、美並」
 明が苦笑いした。
「今日、京介が何をしに来たと思ってんの」
 本題は俺と七海のことじゃないだろ。
 固まりかけた京介を解すようにやんわり責めてくれた。
「婚姻届にサイン貰いに来てるのに、『課長』はないって」
「…あ」
 どきりとした。
 伊吹が一瞬顔を強張らせて口を押さえた、それが計算ではないとわかったから。意識しての『課長』ならまだいい、無意識に『仕事上の関係』に戻したのが衝撃だ。
「美並」
 思わず手を握ってしまった。
「ちょっと散歩したい」
「え…あ…あの」
「行っといで。父さん達には夫婦喧嘩の前哨戦だって伝えとくから」
 溜息混じりに明が促す。
「少なくとも」
 ちらっと京介を見る。
「京介にそんな顔させないようになったら戻ってきて」
「…」
 伊吹も急いで京介を見上げ、それで自分がどんな顔をしているのか気づいた。
「あの…ごめん…なさい」
「…行こうか」
 手を握ったまま、入りかけた玄関を出て歩き出す。引っ張っている伊吹の気配が弱くて寂しい。
 どうしてだろう。どうして美並は、今になって距離を取ろうとしてるんだろう。いざとなったら京介が面倒になったのか。目の前に現れた現実が重くて、それこそ、『赤』が絡んだ事件を追って走り回る方が楽しいと思い直したのだろうか。
 謝られても困る。この手を離す気はないし、離すぐらいなら手首を切り落としてくれた方が諦められる。諦められる? まさかそんな。そんな人生に生きている意味なんかないじゃないか。
「っ」
 ぐるぐる考えていて、くいと握った手を引かれ立ち止まる。
「?」
「ごめんなさい」
 振り返るともう一度謝られた。優しい瞳、穏やかな笑み、睨みつけると、作り物めいて綺麗な表情がゆらりと滲む。
「謝ってなんてほしくない」
「京介」
「僕はただ、もうこの手はずっと離さないだけで」
「うん」
「それだけしか考えないし、それだけしか願わないし」
「うん」
「それしか真実じゃないし、それしか僕には残ってないし」
「うん」
「なのになぜ」
 君は今にも消えそうな顔をして笑うんだ。
「ごめんね」
「だから謝ってほしく」
「びっくりしちゃったの」
「…何に」
 真っ直ぐに見つめる伊吹の瞳に呑み込まれそうになって、思わず尋ねた。
「私、京介との赤ちゃん、考えちゃった」
 ぱす、と頭をスナイパーに撃ち抜かれたように思考が止まった。
「ずっと子ども、って考えないようにしてたのに」
 赤ちゃん、って聞いた時に、明と七海さんの赤ちゃんを考えずに、私と京介の赤ちゃんしか考えつかなくて。
 恥ずかしそうに呟く伊吹の頬が、少しずつ薄赤く染まっていく。何て綺麗な淡い桜色、次第に濃く染まる桃色がかった紅色、掬い取り吸い取り味わいたい極上の甘さの果実の色だ。
 ああ手なんて握るんじゃなかった。
 考えつつ残った左手が勝手に伊吹の頬に添う。
 いつもクールな物言いの伊吹が、少し舌足らずな口調になると、これほど可愛いなんて。
 引き寄せて唇を含む。抵抗しない伊吹が、ゆっくりと応じてくれて、道の真ん中でキスを交わす、甘やかに蕩ける熱を渡し合って。
「子どもを考えてくれた?」
「うん。ずっと…考えないようにしてきて……私の力が移ったら怖くて」
 でも。
 触れたままの唇が小さく呟く。
「力があっても、いいのかも知れない」
「…美並」
「京介みたいに…望んでくれる誰かが居るのかも知れない」
 見開かれた瞳の深さに見入る。
「そう思えて、二重にびっくりして」
 いつもみたいに落ち着いた声音に戻っていくのを名残惜しく見送る。
「もう一度、びっくりするよ」
「え?」
「その、望んでくれた誰かが、この先を一緒に生きるんですと言いに来るんだ、今日の僕みたいに」
 世界中の宝物を手に入れた竜のように誇らしげな顔で。
「…そうね…」
 伊吹の瞳がなおも艶やかに溶けようとした矢先。
「うぉっほおん! ごほんっ! ごほっがはっがはっがはっ!」
「お父さん、大丈夫ですか、そんな無理矢理咳き込もうとするから、もう」
 間近で派手にむせ込む声がして顔を上げると、顔を真っ赤にして体を折り曲げ咳き込む伊吹の父親がある。苦笑いしつつ夫の背中を摩る母親が、微妙な表情で付け加えた。
「仲が良いのは嬉しいけど、もう少し人目も気にしてね」
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