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『人間たちの夜』6.ふざけた終幕(2)

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 大学へ着くなり宮田を探す。数人に尋ねて居場所を確かめ、研究室でへらへらと笑う相手を見つけた。
「よう、おはよう!」
 意気揚々と宮田が手をあげる。
「どうだ、朝から周一郎とベーゼでも交わしてきたか!」
「ってえい!」
 履いていた靴を脱いで宮田をぶっ叩く。
「何するんだ、痛いじゃないか!」
「痛くて当たり前だ!」
 何がベーゼだ、ドイツ語使えばキスのニュアンスが和らぐとでも思っているのか。
「このマッドサイエンティスト! お前のお陰で俺は俺はっ」
「うん助かった、十万入ったから呑みに行こう」
「!!」
 ちっとも懲りてない。こいつの目を覚まさせるには宇宙船から地上に突き落とすぐらいでないと駄目なのかもしれない。
 手に持った靴を上下させる。もう二、三発な殴ってやらないと気が済まない。
 さすがに殺気を感じたのか、宮田は、あはは、と引き攣った笑い声をあげた。
「でも、言った通りだったろ?」
「何が」
 ぶすりと唸る。
 一体どこを殴ればより効果的だろうか。さっきよりダメージを与えられるか。
「薬の有効期間さ」
「有効期間?」
 構わず喋る宮田に怒りを込めて言い返す。
「あの薬、解毒剤なくっても一週間で効果が切れる、って奴」
「…は?」
「あれ? 知らなかった?」
 宮田の目が細くなる。嬉しそうに唇を吊り上げる。
「言っただろ、最初の時さ」
「な…にぃ…?」
「あれぇ、おっかしいなあ、滝君に聞こえるように、うんと大きな声で言ったと思うんだけどなあ……あれえ何なの、ひょっとして聞こえてなかった、とか?」
 うふ。
 声には出さずに笑う相手を睨みつけ、ぶすぶす燻る頭の中で、ルトを追いかけて走り出した時に何やら宮田が後ろで喚いていたような記憶が蘇ってきた。どうせ碌なことじゃないだろう、それよりルトだと無視して、俺は走り出したはず…。
「て、めえ、なあ…」
「聞こえてなかった?」
「…」
「知らなかった?」
 うふふふ。
「おい…」
 荒々しく唸る。
 それじゃあ俺は何の為にルトを追いかけ、周一郎に迫られ、友情だの愛情だのに三日も四日も悩み続けてきたのか。
「わ、わははっ…」
「そこに直れ…」
「よせ…よせってば……くくく」
 ぱんぱんと靴を掌に叩きつけながら迫る俺に、じりじり後退して行きながら、それでも宮田の笑顔は消えない。むしろ満面に広がり爆笑一歩手前だ。
 そう言えば、お由宇だって逮捕の時にはまともだったな。
 一瞬そんな思考が閃いたが、ちっぽけな理性の制止で止まるような怒りではない。
「そりゃあお前はいいよなあ…」
 凄みながら宮田を部屋の隅へと追い詰める。
「お由宇が彼女で、いちゃつけて」
「話せばわかるんじゃないかな」
「人のドタバタ見て楽しみやがって…」
 絶対そうだ、絶対途中で俺が聞いていないことを知ってたはずだ。けれど改めて教える気は一切なかった、そういう奴だ。
「ここは落ち着こう、なっ志郎!」
「俺は真剣に悩んだんだぞ」
「青春は悩むものだ!」
「周一郎の迫り方、見せてやりたかったよ…」
「そうか、ははは、それは見たかった、な」
「本当にとんでもない奴を相手役に選んでくれたよなあ…」
 ゆらりゆらりと近づく俺に、さすがに宮田も顔色が悪くなってくる。
「たまにはいいだろう、ほら、親交を深めてだな…」
「マジに悩んで、無い知恵を振り絞って…っ」
「わっ……わ……志郎、ここには貴重な機材もあるんだ…」
「知るか!」
 自業自得とはこのことだ、机の上の何から破壊してやろうか、いやその前にこいつを壊滅させるのが先か。
「それもこれもお前があんな嘘を!!」
 靴を振り上げた瞬間、
「あら、志郎」
「っ」
 ふいに華やかな声がした。振り返るとお由宇が微笑みながら立っている。
「ああ、佐野さん!」
 宮田が嬉しそうに手を振った。
「え? あれ? ちょっと待てまだ…?」
 うろたえる俺の前を通り過ぎ、にこやかに宮田に近寄ったお由宇は、ひらりと白い手を出した。
「はい、五万円」
「へ?」「は?」
 宮田と俺が同時にきょとんとするのに構わず、
「私を落とすのに十万円の賭けをしたんでしょ? しばらく口裏合わせてあげるから、半分ちょうだいね?」
 爽やかに朗らかに言い放つ。
「それに、いろいろお手伝いもしたんじゃないかしら、記憶はないけど」
 きらりと瞳が光って、宮田が思わず口を噤む。睨みあいは一瞬、ごそごそと宮田が札を取り出し、お由宇の掌に載せる。
「はいどうぞ」
「ありがと、じゃあね」
 当然のように受け取って戸口へ向かったお由宇が、ふと思い出したように俺を振り向く。
「ところで志郎、納屋教授があなたを待ってたみたいだけど?」
「っっっ !!!!」
 頭にショッキングレッドで追試の文字が点灯する。靴を持ったまま走り出しかけて、慌てて靴を履き駆け出した。
 宮田の研究室から講義室まで、大学を端から端まで縦断していくのと同じ、時計は既に開始時間から二十分はたっている。終わるまでに間に合えばいいが、いくらなんでも追試をすっぽかしたとあったら、納屋教授も単位をくれそうにはない。
「この……もう……全部……全部……あいつが…」
 あいつが悪い。
 突進する俺を慌てて避ける学生達の間を走り抜けながら、俺は大声で叫んだ。
「…宮、田、の、ど、あ、ほぉおおおおおお!!!!」

                    終わり
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