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最初に目についたのは煌々と明かりを吐き出している大きな暖炉だった。目の前にあったくすんだ赤褐色の煉瓦づくりのそれは、面している壁の7割を独占していた。見慣れぬ本物の暖炉とその中のパチパチと音を鳴らす炎に見惚れていると不意に横から声がした。
「この暖炉が気に入ってくれてうれしいよ」
声のした方向に目をやると、暖炉の右そばにある大きく柔らかそうな肘掛け椅子に腰を下ろし、ジャケットを脱いだトルコ石色のスリーピースに藍のストライプシャツ、黄土色のネクタイとをびしりと着こなした、頭に白いものが混じり始めた男がこちらを向いており、その顔には好奇心を覗かせる微笑みをたたえていた。その肘掛け椅子の横にはサイドテーブルが添えられており、一切れのケーキとグラスに注がれた透明の液体、そして一冊の本が置かれている。
「これは私自身が設計に関わっていてね」男が首だけ暖炉の方に向けて言った。
「結構気に入っている自信作なんだ」と好きなものを早く話したがっている小学生のような調子で続けた。
「まあ、私はただ案を出しただけだけど。でもこの場合『私の自信作』という表現でも良いと思うんだ」
「─ああごめん、話しすぎてしまったね。ここに掛けてゆっくりしてくれ」と男は暖炉を挟んで反対の肘掛け椅子を指差した。
意識の外で今まで気付かなかったその椅子に座ろうとした時、視界の端に何かを捉えた。目線を向けるとそこには暖炉のある壁の左側の壁一面の本棚だった。隙間なく──上段の一箇所を除き──埋め尽くされた、威圧感のある本の集まりに圧巻されているのに気付いたのか、男が言った。
「はは、驚いたろう。これも私の自慢の品でね、君ならこれも気にいるだろうと思うよ」
「まあ座ってくれ。─よし。そろそろ君に話そう」と体を向き直したのを確認して、男は手のひらを合わせるように手を組み話し始めた。
「あー、見ての通りここは私の書斎でね。私の好きなもの、趣味を一通りかき集めた部屋なんだ。君には整頓されていないガラクタまみれの部屋かもしれないが、私にとってはおもちゃ箱のようなものさ」
「まあいいさ。それで、キミが来た……いや来てもらった理由はね、私の悩みについてなんだ」話しながら男はほんの少しその親しみやすい温和な顔を曇らせたが、さっとその翳りをはらい続けた。
「君はよく本を読むだろう?私もなんだ。特にファンタジーが大の好みでね、その本棚にある本の半分以上はファンタジーなんだ。─おっと、話が逸れたね、本題はこれからさ。君は…物語と現実の境界線はハッキリしているかい?」その男は殆ど訝しむような目つきで睨め付けた。
「いや、何を言っているのか分からないよな。うむ、言おう。実は、私はどうもそうでは無いんだ。」疑るような顔つきの次は心底疲れたような顔に七変化しながら男は話す。
「近頃…いや随分前からか、読んでいた本の世界に私が住んでいるという錯覚が離れないんだ。読んでいない、現実世界にいる時にふと『どうしてこんな所にいるんだ?私はここの住人じゃない』という気持ちが湧き、それが日に日に大きくなっていった。」
「さらに最近では誰かに見られているんじゃないかって思うようにもなってきた。視線を感じるというか…この世界も物語で、誰かが読んでいるんじゃないかって、読み手からの視線を感じるんだ」男は自嘲的に笑いながら言う。
「おかしいだろう?だがそこでふと思ったんだよ。本を読み終わって夢の世界から現実世界に戻るときにくる寂しさ、冒険の終わりのほろ苦さ、これらが私の症状の原因なのではないかと」
男はサイドテーブルのケーキ──チョコペンで『EATME』とデコレーションがされていた──に目を落とした。
「これなんかがそうだ。ひとに作らせたんだが中々良い。それにこれも。こいつはジンでね、銘柄は……そうだねこの場では『V・Gin』てことにしよう」男はそういってグラスの液体を一口啜り、顔を顰めた。
「こんな風に、物語のワンポイントを現実に持ち込む事で事実症状は抑えられていた。しかし最近はダメだった。酷くなる一方さ」ふう、と息をついて言った。
「だからね、いっそのこともうこの部屋を私の物語にしてしまおうと思ったのだよ!」と言い切る男の顔は満面の笑みを浮かべていた。
「私の好きな、物語に溢れ囲まれる箱にして、世俗的な生活とはおさらばしたのさ。もうかれこれ2年…1年かな?は部屋から出ていないよ。実は生憎それが出来るくらいの資産はあったからね」
男は思いの外自分の声が大きく、明るくなっていることに気づき、恥ずかしがりながら咳をした。
「こほん。すまないね、取り乱してしまって。この話を人にするのは初めてなものでね…。まあ、私が言いたいのは、キミは私の様にならないでくれということだ。」と結論づけた。
ついで「私は…イレギュラーだっただけさ」と付け加えた。
それから、男はスッキリとした顔つきで話した。
「飲み物か何か、出す事の出来なかった無礼を許して欲しい。申し訳ないのだがキミには出せないんだ。ただ、話もできた事だし、もう良い時間だ。帰ったほうがいい…」
と言い終わり際、何かを思い出した様なハッとした顔をした。
「そうだ、もう一つ伝える事があるんだった。ええと──
もうスクロールしても何も無いから、タブを閉じて良いよ」
「この暖炉が気に入ってくれてうれしいよ」
声のした方向に目をやると、暖炉の右そばにある大きく柔らかそうな肘掛け椅子に腰を下ろし、ジャケットを脱いだトルコ石色のスリーピースに藍のストライプシャツ、黄土色のネクタイとをびしりと着こなした、頭に白いものが混じり始めた男がこちらを向いており、その顔には好奇心を覗かせる微笑みをたたえていた。その肘掛け椅子の横にはサイドテーブルが添えられており、一切れのケーキとグラスに注がれた透明の液体、そして一冊の本が置かれている。
「これは私自身が設計に関わっていてね」男が首だけ暖炉の方に向けて言った。
「結構気に入っている自信作なんだ」と好きなものを早く話したがっている小学生のような調子で続けた。
「まあ、私はただ案を出しただけだけど。でもこの場合『私の自信作』という表現でも良いと思うんだ」
「─ああごめん、話しすぎてしまったね。ここに掛けてゆっくりしてくれ」と男は暖炉を挟んで反対の肘掛け椅子を指差した。
意識の外で今まで気付かなかったその椅子に座ろうとした時、視界の端に何かを捉えた。目線を向けるとそこには暖炉のある壁の左側の壁一面の本棚だった。隙間なく──上段の一箇所を除き──埋め尽くされた、威圧感のある本の集まりに圧巻されているのに気付いたのか、男が言った。
「はは、驚いたろう。これも私の自慢の品でね、君ならこれも気にいるだろうと思うよ」
「まあ座ってくれ。─よし。そろそろ君に話そう」と体を向き直したのを確認して、男は手のひらを合わせるように手を組み話し始めた。
「あー、見ての通りここは私の書斎でね。私の好きなもの、趣味を一通りかき集めた部屋なんだ。君には整頓されていないガラクタまみれの部屋かもしれないが、私にとってはおもちゃ箱のようなものさ」
「まあいいさ。それで、キミが来た……いや来てもらった理由はね、私の悩みについてなんだ」話しながら男はほんの少しその親しみやすい温和な顔を曇らせたが、さっとその翳りをはらい続けた。
「君はよく本を読むだろう?私もなんだ。特にファンタジーが大の好みでね、その本棚にある本の半分以上はファンタジーなんだ。─おっと、話が逸れたね、本題はこれからさ。君は…物語と現実の境界線はハッキリしているかい?」その男は殆ど訝しむような目つきで睨め付けた。
「いや、何を言っているのか分からないよな。うむ、言おう。実は、私はどうもそうでは無いんだ。」疑るような顔つきの次は心底疲れたような顔に七変化しながら男は話す。
「近頃…いや随分前からか、読んでいた本の世界に私が住んでいるという錯覚が離れないんだ。読んでいない、現実世界にいる時にふと『どうしてこんな所にいるんだ?私はここの住人じゃない』という気持ちが湧き、それが日に日に大きくなっていった。」
「さらに最近では誰かに見られているんじゃないかって思うようにもなってきた。視線を感じるというか…この世界も物語で、誰かが読んでいるんじゃないかって、読み手からの視線を感じるんだ」男は自嘲的に笑いながら言う。
「おかしいだろう?だがそこでふと思ったんだよ。本を読み終わって夢の世界から現実世界に戻るときにくる寂しさ、冒険の終わりのほろ苦さ、これらが私の症状の原因なのではないかと」
男はサイドテーブルのケーキ──チョコペンで『EATME』とデコレーションがされていた──に目を落とした。
「これなんかがそうだ。ひとに作らせたんだが中々良い。それにこれも。こいつはジンでね、銘柄は……そうだねこの場では『V・Gin』てことにしよう」男はそういってグラスの液体を一口啜り、顔を顰めた。
「こんな風に、物語のワンポイントを現実に持ち込む事で事実症状は抑えられていた。しかし最近はダメだった。酷くなる一方さ」ふう、と息をついて言った。
「だからね、いっそのこともうこの部屋を私の物語にしてしまおうと思ったのだよ!」と言い切る男の顔は満面の笑みを浮かべていた。
「私の好きな、物語に溢れ囲まれる箱にして、世俗的な生活とはおさらばしたのさ。もうかれこれ2年…1年かな?は部屋から出ていないよ。実は生憎それが出来るくらいの資産はあったからね」
男は思いの外自分の声が大きく、明るくなっていることに気づき、恥ずかしがりながら咳をした。
「こほん。すまないね、取り乱してしまって。この話を人にするのは初めてなものでね…。まあ、私が言いたいのは、キミは私の様にならないでくれということだ。」と結論づけた。
ついで「私は…イレギュラーだっただけさ」と付け加えた。
それから、男はスッキリとした顔つきで話した。
「飲み物か何か、出す事の出来なかった無礼を許して欲しい。申し訳ないのだがキミには出せないんだ。ただ、話もできた事だし、もう良い時間だ。帰ったほうがいい…」
と言い終わり際、何かを思い出した様なハッとした顔をした。
「そうだ、もう一つ伝える事があるんだった。ええと──
もうスクロールしても何も無いから、タブを閉じて良いよ」
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