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本編
30.悲恋
しおりを挟む「――午前中でしたらマインツ元大司教様のお時間が取れるそうなので、まずはそちらに。その後で改めて本殿のご案内をさせてくださいね。さぁ行きましょう、さぁ、さぁ」
えぇ、はい、よろしくお願いします……こちらの返答を待たずにテキパキ仕切られ、俺達はかなり面食らっていた。今日の担当だと挨拶された神官さんはせっかちな人のようだ。
今日も今日とて、神殿まで徒歩で通い、その後に待ち受けるウォーキングコースを制覇してようやく本殿まで辿り着いたのだ。少し休ませて貰えると嬉しかったのだが、口を挟む間もなくこうも捲し立てられては素直に従う他ない。
「エイジぃぃ……」
「はいはい、今日も帰りは馬車な。神殿の入り口までは最悪おぶってやるから今は頑張れ」
「えっなに。本当格好良いんだけど」
心の中で呟いたはずが、そのまま口に出ていたようで、瑛士君に笑われた。お前アホだろと言われたが、口に出さないだけで平均五分に一回は常々考えている事ですけど。アホではなく違うナニカだ。
「お二方? マインツ様がお待ちですので」
神官さんがめっちゃ急かしてくる。おちおちキュンもしていられなくて、俺達は慌てて後を追う。因みに神官さんは競歩並みに早足だった。この人たぶん馬車とか絶対乗れないタイプだと思う。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」
通された部屋には極端に物が少なかった。あちこちに生活感はあるのに、まともな家具は椅子と小さなテーブルだけ。それは勿論この部屋の主の影響だろう。ゆったりとした動きで立ち上がって歓迎してくれた元大司教様は真っ白な髭をサンタのように生やし、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべていた。けれど、その瞼は固く閉ざされている。
「お恥ずかしい事に、年のせいかもう碌に見る事が叶いません。どうか近くにお座りになっていただければ幸いです」
客用の椅子は大司教様の両脇に用意されていた。
「お時間頂き、ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
丁寧に礼を言う瑛士君に倣い、俺もペコリとお辞儀する。見えてはいないが気配は伝わるのか、元大司教様は笑顔で何度も頷いてくれた。
「――えっと、早速ですが元大司教様は、」
「マインツで結構ですよ」
「あ、はい。マインツ様は……その、奇跡を体感されたと伺ったのですが」
椅子の肘掛けに手のひらを上にして置いているマインツ様の手に、そっと手を乗せて話し掛ける。触れながら話すのはマインツ様たっての希望だった。俺の反対側では瑛士君も同様に、手を乗せている。
「フィーさんとエイジさんでしたね。お二人も女神の祝福を受けたと聞いています。美しかったでしょう」
答えになっていなかったが、とりあえず「綺麗だった」と言う。本音を言えば、あの時はそれどころではなかったが、綺麗なのは綺麗だった。聖堂の中を降り注ぐ花びらは幻想的で本当に美しかった。
「かつての私は涙しました。あの光景こそが奇跡で、私が長年夢見た景色だったのですよ」
「祝福が奇跡?」
「いえ……そうですね、少し昔話にお付き合いください」
そう言って、マインツ様は懐かしそうにどこか遠い国のお伽噺を語る。それは美しい姫と護衛騎士の物語だった。
騎士は姫に恋をしていた。美しく心まで清らかな姫は、騎士だけでなく皆から愛されていた。叶わぬ恋だと分かっていたけれど、姫が笑っていれば騎士はそれだけで幸せだった。
しかし不幸にも、自国の情勢は不安定で、敵国にいつ攻め込まれてもおかしくない状態だったのだ。いざ争いが始まってしまえば、姫に似て諍いを好まない心優しき王を戴く小国の敗色は濃く、明らかに征服を意図した敵国相手に、王族にも危険が迫っていた。
「――貴方はもうお逃げください。どこか遠くの地で野菜や花を育てて穏やかに暮らして欲しい。生きて。それが私の望みです」
姫は知っていた。護衛騎士は腕っぷしこそ強かったが、許されるなら草木を愛で土と戯れて暮らしたいと願っていた事を。
騎士は姫の言葉に涙し、姫を攫って逃げた。それは国と共にあろうとする姫の望みではなかったけれど、騎士は己の醜い欲に忠実に国を捨て、戦地を駆け抜け、安全な国へと姫を強引に連れて行ったのだ。そして協力者に引き合わせる事が叶うと、騎士はそこで力尽きた。戦地で身を挺して姫を守った騎士は既に満身創痍だった。姫さえ無事なら心残りはない。騎士は笑って――逝った。
「悲しいお話ですね……」
全てを聞き終え、ポツリと零す。姫にも幸せになって欲しいけれど、騎士の献身にも救いが欲しかった。俺の言葉にマインツ様は眉を下げて苦く笑う。
「身勝手な男だと笑って良いんですよ。どんな時であっても、相手の思いを尊重する事こそ真実の愛なのですから」
「でも! マインツ様は、それでも姫にだけは死んで欲しくなかったんですよね? 好きな人には生きてて欲しいって、そう願うのはちっとも醜い欲なんかじゃないです」
「フィーさん……」
騎士は……ではなく、マインツ様とはっきり言い切った俺を彼も否定はしなかった。その事でこの話が彼の前世の記憶なんだという確信が強まる。マインツ様の反応が気になって閉ざされた彼の瞼に目を据えたまま、触れた手にキュッと力を込めた。
「やはり貴方も以前の生を覚えておいでなのですか」
「……はい」
「ならば、包み隠さず全てをお話出来ますね。あまり人に話すべきではないと自分を戒めてきましたが、こうしてあなた方に出会わせてくださったのも女神のご意思なのでしょう」
マインツ様は俺と同じく不思議な記憶を持ったまま長く過ごし、初めて教会を訪れた際に、記憶を残して生きている事が女神の祝福なのだと気づいたんだそうだ。
「あの日、祝福で私に降り注いできた花々は、姫が愛した花にそっくりでした。以前の生では戦によって城外はどこも花など生えていませんでしたから、私には花々が幸福の象徴のように映りました」
そしてマインツ様はかつて姫が願った通り、その花……エッセンを神殿に多く植えながら神官として女神の教えを広めたのだそう。昔の神殿は今ほど花はなかったようだ。同じ花が女神の象徴とされる花だった事も運命のように感じたらしい。
「――その姫も、もしかしたら同じようにこの世界に生を受けているとは考えなかったのですか?」
俺とマインツ様のやりとりを静かに見守っていた瑛士君が僅かに身を乗り出して聞く。騎士の献身に少しでも良い、何かしらの救いを求めたくなる気持ちは俺にも分かる。
「そうですね……もしそんな奇跡があったとしたら、ここは平和ですから姫もきっと幸せに暮らしてらっしゃる事でしょう」
「探して会いたいとは思わないんですか?」
マインツ様は口角を上げ、緩く首を振った。
「姫には想い人が居たのです。私が最期に姫を託した方なのですが、目には出来なくともお二人は結ばれたと信じております」
世界を越えても私の出る幕はない、と幸せそうに微笑むマインツ様には少しの曇りもなかった。俺もいつかこの人のようになれるだろうか……と思う一方で、もっと別の未来はなかったのかと考えてしまう。他人の幸せを願う、その愛は透き通って綺麗だけれど、傍から見れば酷く痛々しかった。
瑛士君が幸せになれる未来を選んで欲しいという気持ちは変わらないけれど、騎士のように自分の気持ちに蓋をし続ける事が正しいとも思えなくなってきた。どうしよう。思わず瑛士君を見れば、彼もまた目線が宙を彷徨い、迷いを感じているようだった。
黙り込む俺達の手を握り、マインツ様は明るく言う。
「――さぁ、今度はお二人のお話を聞かせてください」
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