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本編
43.収拾
しおりを挟む身体の火照りを逃すように、鼻からふーと息を吐く。その間も目の前の唇からは目が離せないのだから重症だ。この……世にも美しい唇がさっきまでくっついていたとは信じがたいのだが、実際今も俺の口には瑛士君の生々しい感触が残ってて何かもう……うわ、……うわぁぁ。
「――っわ、それ止めろ」
じわじわ羞恥心がこみ上げてきたら、瑛士君が虫でもついてたみたく慌てて俺の顔を両手で隠してきた。
「っぷ! えっ、なに。酷い」
「今、恥ずかしいとか照れるとか考えただろ。つられるからマジ止めれ。続けらんなくなんだろーが」
「何で、エイジは全然余裕そうだったじゃん」
初回こそ可愛い姿をみせてくれたのに、それから一度も照れた素振りなんかちっとも見せてくれない。いつも通りの格好良い瑛士君も良いのだが、俺ばっかり取り乱してしまうのは経験の差を思い知らされるようで、少し面白くなかった。
けれど、今の慌てた姿を見ると、俺が思っているより瑛士君にも余裕はないのかもしれない。お面のように俺の顔を覆っていた掌がゆるゆる左右に分かれて現れたのは、瑛士君の何とも決まりの悪げな顔だった。
「いいか、フィー。こういう時は我に返った瞬間に負けだって俺は気づいた。頭は空っぽにするのが正解だ、バカになれ」
「……攻略法?」
問いかけに、尤もらしく頷かれて笑った。
「こっちの余裕だってペラペラなんだよ。フィーも協力しろ。やりたい事は山ほどあんのに照れてる場合じゃねーの」
やりたいこと。いや、うん。そうだよね。会話しているうちにマシにはなってきたけれど、下半身にはまだ違和感がある。えっちいキスを続けていれば、そのうちこれをどうにか処理しなくては治まらなくなるだろう。
これの反応は瑛士君も同じ、と思っていいのか。無意識に、確かめようと視線が瑛士君の顔からするすると下がってしまったのだが、露骨過ぎるその視線が相手に気づかれない訳もなく……。
「……見る?」
指摘され、驚きと罪悪感のあまり俺は咄嗟に脱兎のごとく逃げ出した。
その後、瑛士君に叱られたのだが、あれは仕方なかったと思う。最早、羞恥心という枠から外れた生存本能だ。主要な血管が二三本は切れる恐れがあった。十分な心構えが必要だ。
ともかく俺達の方はそうやって二人で勝手に収拾をつけてしまったのだが、ローズさんを巻き込んでしまった。女神に聞いて貰っても無駄骨になると翌日早めに会いに行ったのだが、既に遅かった。
俺達がローズさんに会ったのは女神と話した後で、過去一機嫌がよろしくない様子だった。嵐が通ったような室内の散乱ぶりを見て、顔が引き攣る。部屋の前に居た騎士さんには頬に引っ掻き傷すらあった。
寝台に塞ぎこむローズさんに声を掛けようと恐る恐る近づく。
「――よく来たわね。待ってたわ」
声を掛ける前に、地を這うような声で話しかけられてちょっと泣きそうになった。起き上がってこちらを振り返るローズさんがいつもは綺麗にしている髪を乱し、ゆらーっと動くので正直ホラーだった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「……は? 何でフィーが謝るの」
「え? 俺の頼み事のせいじゃないの?」
最敬礼で深々と謝罪する俺にローズさんは呆れていた。俺ではなく女神に対して怒っているのだと言い、クッションが宙を舞った。
「頼み事はいいのよ。望むものは用意したって言ってたけど、エイジは何が欲しいって言ったの?」
瑛士君と顔を見合わせ、「こいつ」と瑛士君の手が俺の頭に乗っかってきた。途端に、ローズさんの眉間に盛大に皺が寄る。徒労に終わらせた事を今度こそ怒られるかと思ったのだが、全然違った。
「望むもの、って何よ。本当に腹立つ言い方するわね。あの女はやっぱり人間をものとしか判断できないんだわ……知ってたけどね」
違う部分でめっちゃ怒ってる。宥めつつ事情を聞けば、女神の返事を聞いた時にローズさんがつい「望むものって何よ」と口走ってしまった事に始まる。
まだ言語を完璧にマスターしていないローズさんに配慮などしてくれない女神の言葉はほとんど意味が分からず、くやしい思いをさせられたのだろう。
「私の言葉でなきゃ分かんないのよ! って叫んだの。本当にムカついてたから英語だったわ。そしたらあの女……流暢な英語で返してきやがった」
ギリギリ歯噛みしながら、ローズさんは言った。思い出しても腹が立って仕方ないのだろう。これまで言葉が通じないと思っていた相手が、合せようと思えば合わせられたと分かったら、そりゃ腹が立つ。
女神には人間同士で言葉が通じないって認識がない……というより、たぶんそこまでの興味がないんだろうと瑛士君は言う。国籍が違うネズミ同士を引き合わせても、言葉の壁があるかは考えない。女神からすれば、人間もそうだってだけの話だろう――と。
「エイジはあの女に肩入れするの? 自分の望みは叶ったから?」
「確かにそれもあるけど、俺はローズみたいに話せないからな。怒ってても無駄だし、とにかく今後は関わってくんなよって願うだけ」
「いいわ。私が生きてる間に、きっちりあの女を躾けてやるわ。今後もまた私たちみたいな犠牲者が出ないように」
ローズさんは決意したようだ。人生の目標が女神の更生って何かすごい。機嫌も少しはマシになったようなので、部屋の片づけを手伝う事にした。
床一面に色んな物が落ちている酷い状態なのだが、不思議と壊れている物は一つもない。首を傾げていたら、ローズさんが教えてくれた。
「私、スラム育ちよ。今までどんなヒステリー起こしても、物を壊したことはないの。大切さが分かってるから」
壊れないものを壊さない程度に当たっていると言われ、器用な人だなーと思うと同時に、部屋の前に居た騎士さんの顔が思い浮かんだ。物は壊さないよう気をつけるのに、人を傷つけるのはアリなのか。
よく見かける騎士さんだ。聖女付きにされているんだろう。最初は監視しているように思っていたけれど、ただローズさんの安全を守っているだけだと今は知ってる。いつか脱走した時に殴られていたというのも、同じ騎士さんだろうか……たぶんそんな気がした。
「……ああ、あいつね。物は絶対壊さないから、放っといてって何度も言ってるのに、毎回止めに来るのよ。余計な事するから、とばっちりに遭うの。馬鹿よね」
「ローズさんが怪我しないようにかな。それともストレス発散かな」
「さぁ? 知らないわ。お人よしだろうって事しか」
良い人がローズさんの傍に居てくれて良かった。騎士さんには労災として給付金があって良いと思うけど……後で宰相さんに言ってみよ。
――辞典の完成も近い。もうすぐ帰れる。
本当はもっと色んな事を王都でやってみたかったけれど、来たかったらまた何度でも来たら良いのだ。しかし、これだけは自分の町に持ち帰りたい物がある。
「――おう、坊主。いらっしゃい」
「おじさん、いま店に置いてある全部のライキの値段教えて」
「ほう、これはまた……中々、ねぇ」
絶対何か嫌なこと言うと思ったけど、薬屋の店主は俺の言葉を聞くなり、鼻の穴を膨らませて、俺ではなく瑛士君の股間に目を遣った。絶対股間だった。それセクハラだから。
さりげなく視線に割って入り、机を軽く叩いて早く早くと急かしてみた。瑛士君は俺が守る。しかし生気がなかった店主は最近妙に溌剌としている。良い精力剤でも見つけたんだろう。
出来れば生のライキを調理したいのだが、持ち帰るには日持ちが心配だし、宿屋で異臭騒ぎを起こした日にはもう家に帰られなくなりそうだ。
「熱さえ入らなきゃ、生でも七日位は保つぞ。こんなもん上の口からわざわざ食おうなんてバカだな、お前ら」
「ちょっと暑い所で匂ってきたりしない? すごい怖いんだけど」
馬車内で匂うのもアウトだ。やっぱり輸送するなら油として加工したものを買った方が良いかもしれない。
「待て待て。坊主らにピッタリの良いもんがあるから」
そう言って店主が取りだしたのは乾燥したカシューナッツみたいなもの。聞けばこれもライキなのだと言う。このナッツは種で、本来くっついているそうなのだ。実だけをちぎって売られ、種だけ乾燥して薬の原料になるらしい。
砕いて加熱すれば同じ匂いは出ると聞き、俺は初めて店主をキラキラした眼で見つめた。求めていたのはこれだ。
種を両手にいっぱいと、匂いのほとんどしないお高いライキ油を買っていそいそと帰った。店主も満足、俺達顧客も大満足だった。
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