青の命路

憂木コウ

文字の大きさ
上 下
2 / 37

ユウリとナギの出会い -01

しおりを挟む
 駕籠の中がすっかり暗くなり、筵の隙間から窺える空が、西日によってだいだい色に染まる頃、それは起こった。

 突如、浮遊感に襲われ、ユウリは右半身を地面にしたたかに打ちつけた。鈍い衝動が空っぽの腹に響き、駕籠が落とされたのだと分かった。
 はさり、と全身に被さったむしろのほつれが、ちくちくと目蓋や頬を刺激してくる。不快なそれを振り払うため身体を起こそうとしたが、続いて聞こえてきた怒号と、刃物がぶつかる鋭い音にひるみ、ユウリは慌てて身を隠した。

「な、なんだ、この餓鬼共はっ」

 悲鳴にも似たその声は駕籠かきのもので、直後、筵の下から様子を覗き見ていたユウリの目の前で、男が崩れ落ちた。
 うつ伏せになったその身体は、肩から腰まで切りつけられ、傷口から流れ出た深紅の血が地面を濡らし、横たわるユウリの眼前にまで広がった。
 何が起きたのか分からないまま瞠目どうもくしていると、すぐ近くで再び、人の倒れる音が聞こえた。

「……手こずらせやがって」

 吐き捨てるようにそう言った賊の声は、思いのほか若く、ユウリとそう年の違わない少年のものであるように思われた。

「おい。筵を取れ」
「はいよっ」

 こちらの声の主はまだ子供だろう。不穏な様子にぎゅっと身を硬くしたユウリの上から、筵が奪われる。彼は白い着物の乱れたその姿を露わにさせられた。

 傍らには男が一人、少し離れたところに一人。ぴくりとも動かないまま伏せている。いずれも絶命しているようだった。駕籠は縄が解けてしまい、ユウリの足許でバラバラになっている。

 視線を上げると、筵を掴んだままきょとんとした表情でこちらを見ている、はなたれ小僧と目が合った。更に左を見れば、その洟たれと同じくらい幼い、十歳前後の子供がもう一人と、体格の良い少年が立っている。

 子供たちの方は、痩せっぽちの体に若草色の布切れを纏い、ぼさぼさの蓬髪ほうはつに、肌は垢で黒く汚れている。一見乞食のような出で立ちではあるが、その双眸には獣のように貪欲な光を宿していた。
 年長の少年の方は、袖のない紺色の衣を黒い帯でキリリと締め、帯から荷袋とさやを下げて、右手には大振りの山刀さんとうを握り締めている。
 男らしく切り詰めた黒い短髪がよく似合う、精悍な顔立ちをしていて、凛としたその鮮烈な眼差しに、ユウリは思わず視線を奪われた。

 少年が山刀を勢いよく振るうと、刃が風を切り、血液の残滓が飛び散った。それは駕籠かきの血に違いなかった。儀式の贄を運ぶという大役なのだから、その御役を任ぜられたのは、村の中でもそれなりに腕の立つ男たちだったはずだ。それをこの少年は、たった一人でぎ倒したのか。

 三貫〔註:約11.25キログラム〕はありそうな山刀を、どん、と右肩に載せると、少年は首を傾げ、ユウリをじろりと見て言った。

「お前が、……神豊じんぼう家の許嫁か?」

 ――は?

 訳が分からず、ぽかん、と開口していると、隣の洟たれ小僧が不意に、ユウリの薄い胸板にぺたんと手を当て、「あーっ!」と叫んだ。

かしらぁ、こいつ乳ないよっ! 男だっ!」
「何ぃ!?」

 子分の申告に、少年は焦ったような顔でずかずかとユウリの方に歩み寄ると、しゃがみ込み、彼の小さな顎を無遠慮に捉えて、おもてを上げさせた。角度を何度か変えながら、じろじろと顔を観察される。
 鼻先が触れ合うほどに少年の顔が間近いのと、正面から見つめられることに慣れていないため、俄かに気恥ずかしくなり、ユウリは頬に熱が集まるのを感じた。

 しばらくそうしていても、少年はますます眉間の皺を深くさせるばかりで、再度首を傾げると、ユウリの顎から指を離した。
 そしてあろうことか、その手を彼の下腹部に持っていき、衣の上から股間をぎゅっと掴んだ。ユウリは思わず「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、その手をバシンと叩いた。

「なっ、なにするっ」
「あ、付いてんのか。すまん、顔だけじゃ分からなかった。ということは、……人違いかよ」

 無駄な殺しをしちまったな、とぼやきながら短髪をガシガシと掻き、少年は深い溜息をいた。

「人違いっつうことは、結納代わりの食料や絹織物も持ってねえんだよな?」
「……は、」

 食料はまだしも、贅沢品の絹織物など、もはや別世界のものだ。それらを未だ残すほどに備蓄の豊かな村だったならば、村人があそこまで人身御供ひとみごくうの儀式に狂信的になることも、わざわざ自分が人柱としてここまで運ばれてくることも、なかっただろう。

「そんなもの、持ってるわけない」

 ユウリが力なく首を振ると、少年は「だよなあ」と項垂うなだれた。

「頭、こいつどぉすんだよ」
「男じゃ売り飛ばせねぇよなぁ。なんか髪や目の色もへんてこだしさぁ」

 殺す?

 年端としはのいかない子供たちに、無邪気な声で怖ろしげな会話をされ、ユウリはぎょっとする。
 見れば、その小さな手には、少年の山刀ほどの大きさはないにせよ、鋭利な刀が握られていた。幾人もの血を吸ってきた刃なのだろうと想像する。

 目前に迫り来る死に、身体は縮こまり、両腕が一気に冷えていく心地がした。呼吸をする度に臓腑ぞうふが震え、その震動が全身に伝播でんぱする。身体が己の言うことを聞かないという事実が、更にユウリをおののかせ、彼は自身を落ち着かせるために、目を閉じた。

 明日、断崖から突き落とされて谷底に身体を叩きつけられるのと。
 今ここで、この賊たちに切り刻まれて殺されるのと。
 それぞれの最期に、何の違いがあるのだろう。どちらも理不尽な死であることに変わりはない。

 ――同じことだ。同じ暴力。ユウリの意志を無視して、彼の命をもてあそび、奪う力。

「……いいよ。好きにすればいい」

 意を決し、目を開いて放った言葉は、存外震えずに済んだ。“頭”と呼ばれる少年を、力いっぱい睨みつける。
 少年に対してだけではない。理不尽で強大な力のもとにユウリを屈服させようとする、言わば運命などという代物しろものに対しての、ありったけの憎悪を込めて。
しおりを挟む

処理中です...