青の命路

憂木コウ

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戻れない場所 -01

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 ――半年の月日が経った。

 今ユウリは、武器を持ってナギと闘っている。
 左右の肋骨ろっこつの合わさる箇所、胸骨きょうこつの下端に照準を定めて突き出したユウリの短刀が、虚空を貫いた。

 鳩尾みぞおちへの攻撃を皮一重でいなしたナギは、背を僅かに反らしたまま、左手に持った山刀を地面と水平になるように返した。刀のみねで、右のあばらを打たれる。ユウリは鋭い痛みに呻き、身体の平衡を崩しかけたが、左のかかとに重心を移して山刀の勢いを削いだ。

 そうして生まれた一寸の隙を狙って、ユウリは短刀のの部分で、ナギの肘を強打した。山刀を握る五指が、一瞬緩む。
 相手が体勢を立て直すのを待たずに、ユウリは間合いを一気に詰め、短刀の切っ先をナギの喉仏に目がけて、右腕を振り上げた。

 ――が、眼前にまで近づいた相手の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。急所への一突きに成功したと思ったさやの尖端が、横に倒された山刀によって阻まれている。
 ナギは、五指が緩んだ瞬間に柄を掴み直し、右腕と山刀で即席の十文字の盾を作っていた。彼の右の前腕には、五日前にこしらえた怪我のために、当て木をして包帯が巻かれている。ナギの利き手は封じられているものだとばかり思っていたユウリは、狼狽うろたえ、そこに気のゆるみが生じた。

 前のめりになっていた左足を引っかけられ、足をすくわれた身体は、ナギと共に地面に倒れた。
 その衝撃で短刀は手を離れ、ユウリは気付けば、自分より一回りも大きいナギに覆い被さられていた。
 鞘に収めた山刀が首を押さえつけてくるため、抵抗できない。

「……勝負あり、だな」

 身体を起こして得意そうに微笑むナギの手を取りながら、ユウリは苦い顔で立ち上がり、尻の土を払った。
 こちらは肩で息をしているというのに、ナギの方は平然としているのが、ユウリには悔しい。

 ――六ヶ月もの時間をナギたちと共に過ごしたことで、ユウリは自分の身の回りの事は大方できるようになっていた。ナギが狩ってきた獲物の皮のなめし方や、衣の縫い方、植物から飲み水を蒸留させるやり方まで。そして、暇を見つけては、こうしてナギに手合せの相手を頼んでいる。

「今日こそは勝てると思ったんだ」

 鍛錬を始めて半年。さすがに相手が手負いの状態ならばあるいは、と挑んではみたものの、全仕合しあい、見事に返り討ちにされた。
 日はとっくに落ち、辺りには薄闇が漂っている。そろそろお互い、刀を仕舞う頃合いだった。

「けど、日に日に強くなってんな、お前」

 ナギは満足気に笑いながら、右腕の包帯を緩め、当て木のずれを直し始めた。ユウリはそれを見、「手当てするよ」と言って、腰の荷袋から小さな薬壺を取り出す。
「おう」と小さく頷き、ナギは、その場に腰を下ろして胡坐をかいた。彼の正面に正座し、当て木に指を添えながら、そっと包帯を解いていく。

 ナギの怪我は、五日前、山道を通る人買いの荷馬車を襲った際に、大振りの刀身とうしんをぶつけられそうになったユウリを庇って負ったものだった。
 本来ならユウリが負うはずだった彼の傷は、深くはないが、七寸程〔註:約20センチ〕の長さで、骨も痛めているようだ。

 ユウリは、手ずから調合したり状の薬を二本の指で掬い、未だ癒えない傷を慈しむように撫でて、丁寧に塗りつけた。幸い、今宵は月があり、手許の明かりには困らない。
 自然と暗い面持ちになっていくユウリの柔らかな髪を、くしゃりと撫でて、ナギは笑って言った。

「ユウリの薬はよく効くな。おかげで治りが早い」

 世辞だとしても、あるいは自責する仲間を慰めるためのものだったとしても、その言葉はユウリの胸に優しく沁みた。いつもの、弟分の士気を高めるために荒らげる声とは違う。出会って初めて耳にする、穏やかな声音だった。
 そのことにナギも気づいたのか、ぱっと顔を背けてしまった。それでも月の光のせいで、上気じょうきして色の濃くなった耳殻じかくまでは隠せていない。
 ユウリは思わず微笑み、口を開いた。

「ナギ」
「……なんだ」
「次は、庇ったりするなよ」

 ナギが息を呑み、こちらを振り向いたのが分かった。視線を伏せたまま、ユウリは治療を続ける。

「ナギたちは、生まれて初めて俺を仲間だと認めてくれた人たちなんだ。足手まといにはなりたくない。自分の身は自分で守る。そのために強くなると、あの日、決めた。……守れなかったら、その時は、それが本当に、俺の最期だ」

 患部に清潔な布を当て、痛めた尺骨しゃっこつを支えるように当て木を添えて、包帯を程よいきつさで巻いていく。
 そうしてナギの反応を窺っていたが、彼は黙ったままだった。俺との手合せで全敗中の分際で、何を生意気なことを、とでも思われているのかもしれない。

 薬壺を袋に入れ、終わったよ、という合図代わりに、ナギの肩をさすった。
 すると彼は、離れたところで野兎の肉団子を焼いていたノブを、大声で呼びつけた。大人しいミンとは対照的に、ノブは元気で落ち着きがない。“かしら”に呼ばれれば、ぴょんっと跳ねて「はいよっ」と嬉しそうに返事をする。
 ナギが人差し指で、先日強奪した荷物の山をくい、と指すと、それだけで意図を把握したのか、薪の枝をミンに預けて山に潜り込み、何かを手にして、ナギの許に飛んできた。まさに電光石火のごとく、だ。

 ノブに礼を言って仕事場に帰すと、ナギはユウリの右手を取り、細長いものを握らせた。
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