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再会と交感 -03
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マジックのペン先を表面に走らせる音が、キュキュッと鳴る。
「あの、これ、お友達に。今度シングルが出るので」
おお、有名人の生のサインだ。
和人は礼を言い、CDケースを受け取った。しかし、たまたま飛行機で近くの席に座った奴からサインをお願いされただけで、快くこんなものをくれるとは。
これ、いっそ俺がもらっちまおうかな、などと考えながら、丁寧にリュックの中に仕舞う。和人はふと気になったことを口にした。
「これ、いつも持ち歩いてんですか」
ユーリのバッグの中には、まだCDが何枚かあるようだった。彼は、またきょとんとした表情をし、急にその滑らかそうな頬をぼっと上気させた。
「あ、じ、自意識過剰、ですよね、やっぱり」
「え?」
特に他意のなかった質問に、思いもよらぬ返事が返ってきて、和人もきょとんとする。しかしユーリは赤面したまま続けた。
「でも、たまになんですけど、こうして、知ってくれてる人に会ったりするので、ちゃんとお礼したいな、と思って。あ、お礼って言っても、僕にできることってフルート吹くことくらいなので、その、CDを」
「はあ」
呆気にとられ、和人は間の抜けた相槌しか打てなかった。それを見、ユーリは一層恥ずかしそうに俯き、果てには「すみません」と呟いた。
何に対して謝っているのか和人には分からないが、ただ――彼は、有名人というものはとにかく自信に満ちていて、気が強くて、高飛車なのだろうと、特別な根拠もないけれどそう思い込んでいたので。
そのイメージとはあまりに乖離した、目の前の人物の表情の移り変わりや言動に、和人は自分の中のユーリの好感度が、なんとなく高まるのを感じた。完璧な見た目とのギャップも面白い。
会話を終わらせたくなくて、もっと言えば、他の表情や反応も見てみたくて、質問を投げかける。
「やっぱ、子供の時からフルートやってんですか?」
口にした後で、自身の質問センスの無さに辟易する。なんだこれは、三流インタビューか。
短気な人間であれば“ネットで調べろ”と怒ってきそうな質問だが、ユーリははにかんだように笑った。ちらっとその顔に過ぎったあどけなさに、和人はドキリとする。
「はい、三歳から」
「へえ、すげえ。音楽一家、とか?」
「いえ、両親は音楽にはまったく疎い人たちです。祖母が趣味でピアノをやっていて、町内の楽団に入ってるんですけど、その繋がりで僕もフルートを知って、それで。どうしても教室に通いたいって、泣いてお願いしたらしいです」
ふふ、と穏やかに笑いながら、ユーリは話す。
和人は、三歳の時に自分は何をやっていただろうか、と記憶を辿ってみた。遊園地に向かう途中に車酔いして吐いた記憶しかない。
やはり特別な才能を授かった人間は、三歳の時から違うのかな、と思ったりする。
「なんか、凄いっすね」
「え?」
「や、三歳で、自分のやりたいことが分かるとか。普通、そういうのに出会っても、子供だし、見逃すっつーか。親にやらされるとかならまだしも。俺なんて、クソガキだった記憶しかないですよ」
和人の言葉に、ユーリは双眸を細めて控えめに笑った。その瞳が、一瞬、どこか遠くを見るような虚ろさを宿す。しかしすぐに、和人の方に焦点を合わせて、口を開いた。
「僕、赤ちゃんの頃、よく見ていた夢があるんです」
「夢? 寝てる時に見る方の?」
「ええ。……だから、フルートを見た時、思ったんです。これだ、これをやっていれば、いつか」
いつか。――その先の言葉を紡がないで、ユーリはそっと目を伏せてしまった。
その顔が、まるで声もなく泣いているように寂しげな感じがして、和人はザワリと胸が騒ぐような感覚に襲われた。
この顔は駄目だ、彼にこの表情をさせてはならない、悲しませてはならない――自分でもなぜだか分からないが、直感が和人にそう囁く。
「あの、これ、お友達に。今度シングルが出るので」
おお、有名人の生のサインだ。
和人は礼を言い、CDケースを受け取った。しかし、たまたま飛行機で近くの席に座った奴からサインをお願いされただけで、快くこんなものをくれるとは。
これ、いっそ俺がもらっちまおうかな、などと考えながら、丁寧にリュックの中に仕舞う。和人はふと気になったことを口にした。
「これ、いつも持ち歩いてんですか」
ユーリのバッグの中には、まだCDが何枚かあるようだった。彼は、またきょとんとした表情をし、急にその滑らかそうな頬をぼっと上気させた。
「あ、じ、自意識過剰、ですよね、やっぱり」
「え?」
特に他意のなかった質問に、思いもよらぬ返事が返ってきて、和人もきょとんとする。しかしユーリは赤面したまま続けた。
「でも、たまになんですけど、こうして、知ってくれてる人に会ったりするので、ちゃんとお礼したいな、と思って。あ、お礼って言っても、僕にできることってフルート吹くことくらいなので、その、CDを」
「はあ」
呆気にとられ、和人は間の抜けた相槌しか打てなかった。それを見、ユーリは一層恥ずかしそうに俯き、果てには「すみません」と呟いた。
何に対して謝っているのか和人には分からないが、ただ――彼は、有名人というものはとにかく自信に満ちていて、気が強くて、高飛車なのだろうと、特別な根拠もないけれどそう思い込んでいたので。
そのイメージとはあまりに乖離した、目の前の人物の表情の移り変わりや言動に、和人は自分の中のユーリの好感度が、なんとなく高まるのを感じた。完璧な見た目とのギャップも面白い。
会話を終わらせたくなくて、もっと言えば、他の表情や反応も見てみたくて、質問を投げかける。
「やっぱ、子供の時からフルートやってんですか?」
口にした後で、自身の質問センスの無さに辟易する。なんだこれは、三流インタビューか。
短気な人間であれば“ネットで調べろ”と怒ってきそうな質問だが、ユーリははにかんだように笑った。ちらっとその顔に過ぎったあどけなさに、和人はドキリとする。
「はい、三歳から」
「へえ、すげえ。音楽一家、とか?」
「いえ、両親は音楽にはまったく疎い人たちです。祖母が趣味でピアノをやっていて、町内の楽団に入ってるんですけど、その繋がりで僕もフルートを知って、それで。どうしても教室に通いたいって、泣いてお願いしたらしいです」
ふふ、と穏やかに笑いながら、ユーリは話す。
和人は、三歳の時に自分は何をやっていただろうか、と記憶を辿ってみた。遊園地に向かう途中に車酔いして吐いた記憶しかない。
やはり特別な才能を授かった人間は、三歳の時から違うのかな、と思ったりする。
「なんか、凄いっすね」
「え?」
「や、三歳で、自分のやりたいことが分かるとか。普通、そういうのに出会っても、子供だし、見逃すっつーか。親にやらされるとかならまだしも。俺なんて、クソガキだった記憶しかないですよ」
和人の言葉に、ユーリは双眸を細めて控えめに笑った。その瞳が、一瞬、どこか遠くを見るような虚ろさを宿す。しかしすぐに、和人の方に焦点を合わせて、口を開いた。
「僕、赤ちゃんの頃、よく見ていた夢があるんです」
「夢? 寝てる時に見る方の?」
「ええ。……だから、フルートを見た時、思ったんです。これだ、これをやっていれば、いつか」
いつか。――その先の言葉を紡がないで、ユーリはそっと目を伏せてしまった。
その顔が、まるで声もなく泣いているように寂しげな感じがして、和人はザワリと胸が騒ぐような感覚に襲われた。
この顔は駄目だ、彼にこの表情をさせてはならない、悲しませてはならない――自分でもなぜだか分からないが、直感が和人にそう囁く。
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