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自覚なき逸失 -04
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「もう、よせ」
怒りと哀れみを滲ませたその言葉は、重苦しく響いた。
――もう、よせ。どうせ、お前とナギは……
しかし、次の瞬間、思ってもみなかったことが起きた。魂だけの状態のユウリが、はっきりと、
「嫌だ」
と言ったのだ。それは、毅然とした、美しい声音だった。
「俺は、また会いたい」
=====
高野侑李は、生まれてこの方感じたことのない、妙な浮遊感に気が付いて、更には自分が眠っているらしいことを知り、目蓋を開けた。
真っ暗だった。
あれ、俺、目を開けたよな? そう思いながら、目許を擦る。
徐々に視界が暗闇に慣れていき、眼前に広がる光景に、息を呑んだ。
そこには、百万ドルの夜景も比較にならないくらい、色鮮やかで繊細な光が、辺り一面、無数に灯っていた。
周囲に機械やコードが無いことを見ると、一つ一つの光の球それ自体が、光源なのだろうか。
まるで、宇宙のど真ん中に投げ出されでもしたかのようだった。
その証拠に、侑李は胡坐をかいたままの姿勢で、無重力状態でぷかぷかと浮いている。
「どこだぁ、ここ……」
無意識に呟くと、どこからともなく、声がした。なかなか艶のある、男の声だ。
「とうとう、前世の記憶のみならず、人間だった頃の意識まで持って来たのか……どこまでも例外な奴だ」
言っている意味は全く分からないが、口調から、どことなく馬鹿にされているのだけは分かる。侑李はむっと唇を尖らせ、
「誰だお前」
と尋ねた。声は、しばらく黙った後、言った。
「俺の名前はバンだ、ユウリ」
侑李は柳眉を寄せた。
「なんで俺の名前を知ってる?……まあいいや。それより、ここはどこなんだ」
夢でも見ているのだろうか。しかし、侑李はもともと睡眠時間が人より短いせいか、夢など見ることはほとんどない。
それも、このような美しい世界を、芸術に疎い自分の想像力が、作り上げられるとは到底思えない。
バンと名乗った声は、しばらく躊躇った後、「覚えていないのか?」と尋ねた。侑李は首を捻る。
「何を」
「お前は、ついさっき死んだんだ」
「死ん、だ……?」
言葉にしてみるが、ふざけた冗談にしか思えなかった。
何を言っているんだ、こいつは。
鼻で笑い、癖っ毛の茶髪を掻き上げる。
そして、痛みがそこに無いということに対する疑問が、侑李の脳裡を過ぎった。
――違う、そもそも、なぜ頭に痛みがあるものだと思ったんだ?
新たな疑問が湧き、その瞬間、脳内で、バラバラだった無数のピースが、凄まじい速度で噛み合っていき、一つの広大なパズルを完成させたかのような感覚に襲われた。
頭痛。貫通した銃弾。額に銃口の照準を定められ、脂汗の滲み出る身体。視界を阻む、報道陣のシャッターの光。役員の不祥事発覚、相次ぐ子会社の株価暴落。原稿通りの謝罪と、当然のように浴びせられる怒号。野次馬から飛び出してきた、目を血走らせた一人の男……
「そうか、俺は」
恐らく、俺の会社のせいで全財産を失った、あの男に撃たれて。
「死んだんだな」
もう一度言葉にしてみると、今度はひどく呆気なかった。
三十二歳、思ったよりずいぶん短い生涯だった。結局、妻との間に子供は作らなかったな、とふと思った。いや、この際、むしろ子供はいない方が良かったのかもしれない。父親を失う悲しさを、味わわせるよりかは。
侑李はバンに尋ねた。
「てことは、ここは天国か?……いや、俺、色々やったからなぁ……ひょっとして、地獄?」
バンは、相変わらずどこか人を見下したような口調で、答えた。
「天国でも地獄でもない。そもそも、人間の考えるような天国や地獄など、どこにも存在しない。分かりやすく言うと、ここは魂の休憩場所だ」
「魂の休憩場所ぉ?」
“天国”や“地獄”ならまだしも、“魂”となると、一気に胡散臭く感じられるのはなぜだろうか。
侑李は訝しげな表情をするが、それには構わずに、バンは続ける。
「輪廻転生という概念は、人間の世界にも浸透しているだろう?」
「ああ、生まれ変わりってやつだろ?」
「要するに、それだ。魂は胎児に宿る。胎児は産まれ、人間になる。人間は死に、魂は肉体から離れ、ここに還ってくる。そして、休憩した魂は、再び別の胎児に宿る。その繰り返しだ」
「……じゃあ、ここにある光って、まさか全部、人間の魂か?」
「そうだ。……俺の目には、お前も青い光に見えるぞ」
思わず変な声を上げて、侑李は自分の身体を見下ろした。両腕を上げてみる。やはり、自分には、生前の高野侑李の身体にしか見えない。
怒りと哀れみを滲ませたその言葉は、重苦しく響いた。
――もう、よせ。どうせ、お前とナギは……
しかし、次の瞬間、思ってもみなかったことが起きた。魂だけの状態のユウリが、はっきりと、
「嫌だ」
と言ったのだ。それは、毅然とした、美しい声音だった。
「俺は、また会いたい」
=====
高野侑李は、生まれてこの方感じたことのない、妙な浮遊感に気が付いて、更には自分が眠っているらしいことを知り、目蓋を開けた。
真っ暗だった。
あれ、俺、目を開けたよな? そう思いながら、目許を擦る。
徐々に視界が暗闇に慣れていき、眼前に広がる光景に、息を呑んだ。
そこには、百万ドルの夜景も比較にならないくらい、色鮮やかで繊細な光が、辺り一面、無数に灯っていた。
周囲に機械やコードが無いことを見ると、一つ一つの光の球それ自体が、光源なのだろうか。
まるで、宇宙のど真ん中に投げ出されでもしたかのようだった。
その証拠に、侑李は胡坐をかいたままの姿勢で、無重力状態でぷかぷかと浮いている。
「どこだぁ、ここ……」
無意識に呟くと、どこからともなく、声がした。なかなか艶のある、男の声だ。
「とうとう、前世の記憶のみならず、人間だった頃の意識まで持って来たのか……どこまでも例外な奴だ」
言っている意味は全く分からないが、口調から、どことなく馬鹿にされているのだけは分かる。侑李はむっと唇を尖らせ、
「誰だお前」
と尋ねた。声は、しばらく黙った後、言った。
「俺の名前はバンだ、ユウリ」
侑李は柳眉を寄せた。
「なんで俺の名前を知ってる?……まあいいや。それより、ここはどこなんだ」
夢でも見ているのだろうか。しかし、侑李はもともと睡眠時間が人より短いせいか、夢など見ることはほとんどない。
それも、このような美しい世界を、芸術に疎い自分の想像力が、作り上げられるとは到底思えない。
バンと名乗った声は、しばらく躊躇った後、「覚えていないのか?」と尋ねた。侑李は首を捻る。
「何を」
「お前は、ついさっき死んだんだ」
「死ん、だ……?」
言葉にしてみるが、ふざけた冗談にしか思えなかった。
何を言っているんだ、こいつは。
鼻で笑い、癖っ毛の茶髪を掻き上げる。
そして、痛みがそこに無いということに対する疑問が、侑李の脳裡を過ぎった。
――違う、そもそも、なぜ頭に痛みがあるものだと思ったんだ?
新たな疑問が湧き、その瞬間、脳内で、バラバラだった無数のピースが、凄まじい速度で噛み合っていき、一つの広大なパズルを完成させたかのような感覚に襲われた。
頭痛。貫通した銃弾。額に銃口の照準を定められ、脂汗の滲み出る身体。視界を阻む、報道陣のシャッターの光。役員の不祥事発覚、相次ぐ子会社の株価暴落。原稿通りの謝罪と、当然のように浴びせられる怒号。野次馬から飛び出してきた、目を血走らせた一人の男……
「そうか、俺は」
恐らく、俺の会社のせいで全財産を失った、あの男に撃たれて。
「死んだんだな」
もう一度言葉にしてみると、今度はひどく呆気なかった。
三十二歳、思ったよりずいぶん短い生涯だった。結局、妻との間に子供は作らなかったな、とふと思った。いや、この際、むしろ子供はいない方が良かったのかもしれない。父親を失う悲しさを、味わわせるよりかは。
侑李はバンに尋ねた。
「てことは、ここは天国か?……いや、俺、色々やったからなぁ……ひょっとして、地獄?」
バンは、相変わらずどこか人を見下したような口調で、答えた。
「天国でも地獄でもない。そもそも、人間の考えるような天国や地獄など、どこにも存在しない。分かりやすく言うと、ここは魂の休憩場所だ」
「魂の休憩場所ぉ?」
“天国”や“地獄”ならまだしも、“魂”となると、一気に胡散臭く感じられるのはなぜだろうか。
侑李は訝しげな表情をするが、それには構わずに、バンは続ける。
「輪廻転生という概念は、人間の世界にも浸透しているだろう?」
「ああ、生まれ変わりってやつだろ?」
「要するに、それだ。魂は胎児に宿る。胎児は産まれ、人間になる。人間は死に、魂は肉体から離れ、ここに還ってくる。そして、休憩した魂は、再び別の胎児に宿る。その繰り返しだ」
「……じゃあ、ここにある光って、まさか全部、人間の魂か?」
「そうだ。……俺の目には、お前も青い光に見えるぞ」
思わず変な声を上げて、侑李は自分の身体を見下ろした。両腕を上げてみる。やはり、自分には、生前の高野侑李の身体にしか見えない。
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