2.5次元君

KAZEMICHI

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彼女と俺と打ち上げ花火

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「はい、お兄さん!ラムネ四本と水ね! 袋いる?」

「いります。ありがとうございます。」

 ビニール袋を受け取ってお礼を言いながら、久しぶりに見たねじり鉢巻きに釘付けになってしまう。でも今はその方が良い。他の事に意識を持って行かないと、さっきの事故を何度も思い出して心拍数が上がって仕方が無い。


 射的、綿菓子、焼きそば、フランクフルト等々…。俺達は目にとまる露店ほぼ全てに立ち寄った気がする。何処に居ても人は多かったけど、食べ物を買う列に並ぶ度に目をキラキラとさせていた亜弥さんを見ているのは楽しかった。それに、彼女がゆっこさんと話していた、謎の“買うものリスト”とやらは甘いものばかりで密かに笑しってまった。

 花火開始までまだ時間に余裕あるうちに河川敷へ到着した俺達だったけど、上から見た景色に唖然としてしまった。北海道の地元じゃ有り得ない人の多さ…。下まで降りる事に怯える亜弥さん。

 確かに、此処に来るまでの彼女を見ていてハラハラした。浴衣特有の小さな歩幅と若干の内股で、人の波に逆らえずによろつく姿を後ろからずっと見ていたから。
本当に大丈夫かと思っていた矢先、後退あとずさって俺とぶつかる。咄嗟に肩を支えたけど、彼女の熱い体温とあの甘い香りに俺の体温が一気に上がった。努めて冷静に振る舞ったつもりだけど上手くできていたかは自信が無い。

 結局、彼女の反対も虚しく下へ降りる事に。


  “喉カラカラで死んじゃう。お水飲みたい…。”

 消えそうな声でそう呟きながら、ゆっこさんの手をしっかりと握って必死にあとをついて行く姿を後ろで見守りながら歩いていた次の瞬間……────、



「ちょっっ! 亜弥さん!!────…」

 思わず叫んだ。亜弥さんが俺の視界から消えるのと同時にもう体が動いていた。

「び……っくりした。亜弥さん大丈夫ですか?」

 安心してそんな言葉が咄嗟に口から出た。いや、目の前でけそうになったんだから当然だ。

 大きく一息をつくと、自分が何をしているのか思い出した。


 触れそうな頬と、ピタリとついた体─────。


 後ろから力強く抱きとめた彼女の体はやっぱり華奢で、初めて抱きしめたあの夜を鮮やかに蘇らせた。


 濃く甘い香りが一気に脳を揺らして、クラクラする。

 心臓が……、焦げそうな程…熱い。


 回した腕に思わず力が入る。こんなに彼女の近くにいるのは本当に久しぶりの事で、なんか…、うまく頭が回らない。

「あ……ご、ごめん。大丈夫……。」

 小さくそう言った彼女の声は、どこか少し怯えている様に聞こえて我に返った。俺、あからさまだったかも…。

「あ…、すいません。」

 腕をゆっくりとほどくと、俺達の体は簡単に離れてしまった。

    近いのに…、近付けない………。

 亜弥さんは、名前を呼んだゆっこさんの方へ慌てて行ってしまった。

 それから、彼女が俺の方を振り返る事は無かった。





 ビニール袋を片手にゆるやかな坂を下りながら、咄嗟に彼女を抱きしめてしまった右手を見つめる。
腕に残る彼女の柔らかな感触と、その後の俺を避けた様な行動を一緒に思い返して喉の奥がぎゅっ、と締まっていくのを必死に堪えた。別に悲しい訳でも無いのに…。でもなんか、モヤモヤとする。


「やっぱり私…、ちょっとその辺探して…───、」

「ちょっと! 亜弥が何言ってんの?笑 あんなにもみくちゃにされてたの、言っとくけど亜弥だけだよ。笑」

「え…、ひどい。笑」

 四人が横一列に並ぶすぐ後ろまで来て、笑い声の混じったそんな会話を聞いた。うん、それはゆっこさんが正しい。俺、一番心配な人に心配されている。笑

「後ろ歩いててずっとヒヤヒヤしてましたよ。本当、コケなくて良かったです。」

 心の中で笑いながら声をかける。

「お!和也! お前どこ行ってたんだよ。」

 振り返った直人は相変わらず大きな声。

「あそこ。これ買いに。」

「確かに喉乾いてたの! 気が利くね。ありがとう。」

 “受け取るよ”と手を差し出してくれたゆっこさんに友希さんと直人の分も手渡すと、なんとなくそのまま亜弥さんとゆっこさんの間に留まってしまった。いや、好都合だったかも。

「亜弥さんはこれ、どうぞ。」

 右隣に立つ彼女の方へ向き直り、冷えた水のボトルを目の前に出す。

「え…、私もラムネが良かったし…。」

 亜弥さんはぶつぶつとそんな事を言いながら手を伸ばした。

 首元に汗を滲ませて、暑さで火照った顔をしている人が何を言ってんだか。
口を尖らせて拗ねた様に文句を言う姿が可愛いらしくて、でもそう思っている事を気付かれ無い様に悪態をつく。

 お礼を言って俯いた亜弥さんの横顔が少しずつ暗くなって、周りの人達の声もゆっくりと小さくなり始める。
少しざわつく静けさと夜空だけの薄明かりの中で、まだ何も無い暗い空を見上げる彼女の輪郭がぼんやりと縁取られる。

 背筋を真っ直ぐ伸ばして顔を上げる彼女の瞳は、こんな暗がりでも“黒”と言う光を受けて輝いて見えた───。



 突然、眩しいくらいの光が夜空を明るく彩り、それとほぼ同時に撃たれる様な轟音が足元から全身を震わせて花火のスタートを告げる。

 でも、俺が見ていたのは花火では無く亜弥さんの嬉しそうな横顔。
目をキラキラと輝かせて空を見上げる彼女の瞳が、鮮やかに咲いた花火を丸ごと閉じ込めて更に強く輝く。


   この人は…、本当に綺麗だ─────。


 俺が見逃した筈の最初の花火が確かにそこにあって、体温がまた一気に上がるのがはっきりと分かった。
彼女の極彩色に染まる瞳と甘ったるい程の香りに首の後ろが急速に熱を帯びて全身が熱くなる。なんとなく呼吸がしにくくて…、鼓動が花火の様に大きく響く。

 それでも俺はそのどれも嫌じゃないんだよな…。今まで抱く事の無かった感情ばかりだけど、寧ろ幸せとさえ感じる。

 好きな人なんて居なくても良いし、恋愛なんてしなくても困らないと思っていた。

 亜弥さんに出会って好きだと思って、どちらかと言えば状況は悪いかも知れないけれど。

 彼女が今日、今この瞬間俺の隣にいて笑っている。


 見上げた花火は小さな火花を散らしてゆっくりと消えて行く。一瞬だけ途切れた光は、また大きく何重にもかさなって次々と夜空を駆け抜けた。


「良かった…───。亜弥さんと、花火を見られて…。」


   笑顔と一緒に言葉がこぼれた。

 俺が思う、今一番素直な気持ち。何も知らずに今まで通りに、ただ隣で笑っていてくれればそれで良い。友達として“大切な人”だと思ってくれているなら…、俺はそれで充分だ。

 ぐっ、と手に力を込めると、持っていた瓶の中でビー玉がカラン、と透明な音を立てた。────で、思い出した。


「亜弥さん──────、」

「……うん?」

「後でラムネ買います。いくらでも。」


 亜弥さんの為なら何でも出来る…、何でもしたいと本当に思う。


  “じゃあ、100本くらい買ってもらおうかな!”


 そう言って悪戯に笑う彼女の姿が上がる花火と重なって見えて、夜空に浮かんだ現実じゃ無い彼女に見入ってしまう。




「和也君…。和也君はどうして─────…、」

 打ち上がる花火の大きな音に混じって、俺を呼ぶ彼女の声が聞こえた気がした。


  “どうしてあの日…、私を抱きしめたの…かな。”


 一瞬…、気の所為かと思った。いや、確かに言った。消えそうな…、震える声で。

 今日、何度も思い出した“あの夜”をまた思い出す。どうしても彼女を抱きしめずには居られなかった…、亜弥さんを好きだと気付いたあの夜の事だろうか───。

 何の前触れも無く放たれた言葉に、驚きと焦りで上手く頭が回ってくれない。何とか脳が伝達したぎこち無い動きでゆっくりと彼女の方を見たけれど、何をどう言えば良いのかまるで見当もつかない。

 目の前にいる彼女は、空を見つめたまま小さく肩で息をした。
花火を閉じ込めた大きな瞳がゆらゆらと揺れる……。


 今にもあふれ出しそうな涙を堪える様に上を向いて、きゅっ、と下唇を噛む彼女の横顔が……───、



   俺の心臓を力強く抱き締めた──────。



 その時、自分の中で何かが弾け飛ぶ音がした。


「亜弥さん……─────、」

 俺の声に彼女がゆっくりとこちらを向く…。今にもこぼれそうに揺れる目一杯の涙が、初めて見た泣き顔を思い出させる…。




 「好きです…。 たぶん…、ずっと…────。」






  何度も閉じ込めようとした彼女への気持ちは、


        こうも簡単に…、


       そしてとても自然に…、


 こぼれ落ちてしまう程強かったんだと改めて知った。





 結末がどうなっても俺は今、彼女に手をのばすと決めた。

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