27 / 35
27、ご主人はもはや重症ですね
ミアとジミーは一足先にダンスを終えて、穏やかに談笑を始めた。
背後から注がれるカルベスの視線には気づきもせず。
「素晴らしいダンスでしたわ。婚約者様」
「どうぞジミーとお呼びください、侯爵夫人」
「あら、では私のこともミアとお呼びくださいませ」
「これからもどうぞよろしくお願いします」
周囲ではふたりの奇妙な組み合わせにひそひそ囁く者もいるが、当人たちは気にも留めない。
「マデリーンは友だちがいないので、あなたのような方に親しくしていただけると嬉しいです」
「ジミー様は本当にマデリーン様のことを想っていらっしゃるのですね。まるで自分のことのように嬉しいなんて」
「はい。だって僕はマデリーンの幼少期からずっとそばにいますから」
「まあ! ではマデリーン様のことを一番よく理解していらっしゃるのですね」
「はははっ、理解というよりどっぷり溺れていると言った感じですかねえ。とことん甘やかしたいと思ってしまうんです」
「ベタ惚れでございますねえ」
「そうですねえ」
ミアとジミーのあいだに柔らかい空気が広がる。
周囲は変わらず妙な顔をして視線を向けるが、ふたりはまったく見向きしない。
「ふふっ、微笑ましいですわ。私は異性を好いたことがないので、その感覚がよくわかりませんが」
「おや? カルベス殿のことは……」
「旦那様は旦那様ですから。侯爵家の主を支えるための妻としての役割をこなしているだけですもの」
さらりと言い切るミアの横顔は変わらず穏やかだが、ジミーは笑顔のままわずかに首を傾げる。
「しかし、カルベス殿はきっと違うように見えますけどね」
「え?」
ジミーがさりげなく目をやった先には、マデリーンとダンスをしているカルベスの姿があった。
しかし、彼の視線は頻繁にこちらへ向けられている。
ミアがそれに気づくと、にこやかに手を振った。
するとカルベスは足がもつれて大きくよろめき、踏みとどまったものの周囲に笑われてしまった。
「ふむ。ご主人はもはや重症ですね」
「何がですか?」
きょとんとした顔で首を傾げるミアに、ジミーは満面の笑みを向ける。
「僕は侯爵家の今後の繁栄を心から祈っていますよ」
「まあ、ありがとうございます。では私はジミー様とマデリーン様の幸せな未来を心から願っておりますわ」
「ありがとうございます」
ふたたび、ふたりのあいだに柔らかい空気が広がる。
そのとき、すらりとした見知らぬ男が歩み寄ってきた。
男は品のある仕草で一礼し、ミアへ手を差し出す。
「侯爵夫人、先ほどのダンスを拝見しておりました。ぜひ、私とも踊っていただけませんか?」
「はい、いいですよ」
迷いのない返事をすると、ミアは男の手を取った。
そしてジミーに会釈をすると、軽やかにダンスの輪の中へ入った。
ミアは音楽に乗せて楽しげにステップを踏む。
相手の男は満面の笑みでミアをじっと見つめている。
紳士的な表情の男と笑顔のミアの組み合わせは、周囲からお似合いだと囁かれた。
男が頬を赤らめながら、ミアの腰を抱えてぐっと引寄せる。
「夫人はとてもお上手ですね」
「ありがとうございます。伯母にみっちり仕込まれましたので」
「もしよければ、このあとふたりでお茶でもいかがですか?」
「申し訳ございません。既婚の身ですから」
ミアが躊躇なくさらりと断ると、男の顔がわずかに引きつった。
音楽が緩やかになると、男はミアを抱きかかえる形のまま制止した。
ミアは目を丸くして男を見つめる。
彼はさらに顔を近づけてきて、ミアの耳もとでぼそりと言った。
「あなたの夫には愛人がいる。それなら、あなたも自由にすればいいでしょう?」
「私は殿方に興味はございませんので、他のことで自由にします」
またもや迷いのない返答に、男の表情が引きつる。
そのとき、別の令息がダンスの誘いに声をかけてきて、ミアはそちらへ向いた。
「夫人、僕ともダンスをぜひ」
「はい、いいです……」
とミアが言いかけたとき、突如カルベスがあいだに割り込んできた。
「申し訳ないが、次に彼女と踊るのは俺だ」
カルベスがミアの腕を掴んで数人の令息たちを真顔で射貫くように見つめている。
いつの間にか、ミアにダンスを申し込もうと数人の男たちが群がっていたのだ。
「愛人がいるくせに偉そうに」
誰かがぼそりと毒づいた。
カルベスは目を細めたが、それ以上何も言わず威嚇するような目線を周囲に向けた。
彼らが立ち去ると、カルベスは安堵のため息をもらし、ミアに頭を下げた。
「君を放置して悪かった」
「謝罪は必要ありませんわ。それより旦那様、マデリーン様とのダンスは楽しかったですか?」
カルベスは複雑な表情で固まる。
近くにいた令嬢たち数人がくすくす笑った。
「今のは最大の嫌味だわ」
「あの奥様、結構言うわね」
「でもあれ、悪気なく言ってるらしいわよ」
「本当に変わっている子よね」
「血は争えないわね」
ひそひそと交わされる声に、カルベスの視線が鋭くなる。
令嬢たちはびくりとして、慌てて目をそらすと逃げるように離れていった。
ミアは特に気にしない素振りだが、カルベスは深いため息をつく。
「大丈夫ですか? 旦那様」
「少し疲れてしまったかもしれないな」
「まあ、それは大変ですわ。どこかでお休みになります?」
「いや……」
カルベスはミアの手を握ったまま、わずかにぐっと力を込めた。
そして真剣な表情で告げる。
「君とダンスがしたい」
ミアは一瞬目を丸くしたが、すぐに満面の笑みで答えた。
「はい、では参りましょう」
ふたりは手を取り合って華麗に音楽の中へ踊り出た。
カルベスの動きは先ほどとは打って変わってスムーズで軽やかだった。
ミアをリードするように動きがしなやかで繊細だ。
一方のミアもこれまで自分が相手を引っ張っていくような動きだったが、カルベス相手には少し寄りかかって自然と包み込まれるような体勢になっていた。
やがて、ふたりは自然な流れで距離を詰めると見つめ合う形になり、ミアはにっこり笑った。
するとカルベスも穏やかに微笑み、ふたりのあいだに柔らかい空気が広がる。
「カルベス様、先ほどとはぜんぜん違うわ」
「おふたりは息がぴったりね」
「あの夫婦が不仲なんて噂、嘘ではなくて?」
ふたりは周囲の注目の的となっていた。
そのとき、ターンをした際にミアの足下がぐらつき、わずかに床を滑った。
ミアが体勢を崩しかけると、カルベスの腕が素早く彼女の腰を引き寄せた。
「大丈夫?」
ミアは少し驚いた顔をしたが、すぐににこっと笑って言った。
「はい。旦那様が守ってくださったので転ばずに済みました」
カルベスは頬を赤く染める。
ミアは笑顔から急に眉をひそめ、困惑の表情になった。
「不覚ですわ。足下の軸を揺るがすなんて、こんな失敗をして伯母様に叱られてしまいます」
「はははっ、伯爵はここにはいないようだから大丈夫」
「それはよかったですわ」
「それに、君はもう俺の妻だから、他人にとやかく言われる筋合いはないよ」
ミアが笑顔のまま固まっていると、カルベスはふっと穏やかに笑った。
「ダンスの失敗くらいで俺は君を咎めたりしない」
「やっぱり旦那様は寛大なお方ですね」
「君のいいところをたくさん知っているからさ」
「まあ。私のいいところはどこですか?」
ふたりは手を取り合ってダンスを継続しながら、時折近づいて言葉を交わす。
「君はとてもまっすぐで、素直で可愛らしい」
「ありがとうございます」
「それに、とても綺麗だ」
カルベスは動きを止めて、ミアをじっと見つめた。
するとミアはしばし固まったまま目をぱちくりさせ、そのあとわずかに微笑んだ。
「旦那様も、今日はいつも以上にとっても素敵ですわ」
「ありがとう」
ふたりが微笑んで見つめ合っていると、突如甲高い声が飛んできた。
「ちょっと、カルベス! いつまで奥様とダンスをしているの? 私とふたりで抜け出して話をするって言ったじゃないの!」
カルベスとミアが視線を向けると、そこには腰に手を当ててご立腹のマデリーンが立っていた。
ミアがそっとカルベスに声をかける。
「旦那様、マデリーン様と約束をしていたのでしょう? 行ってきてくださいませ」
「ああ。でも……」
カルベスは一瞬沈思したあと、ミアに真剣な表情で言った。
「君にもちゃんと話したいことがある。だから、そのあと話そう」
「はい、わかりました。お待ちしておりますわ」
ふたりはそっと手を離す。
名残惜しそうにしながら離れていくカルベスに向かって、ミアは笑顔で手を振って見送った。
あなたにおすすめの小説
婚約者とその幼なじみの距離感の近さに慣れてしまっていましたが、婚約解消することになって本当に良かったです
珠宮さくら
恋愛
アナスターシャは婚約者とその幼なじみの距離感に何か言う気も失せてしまっていた。そんな二人によってアナスターシャの婚約が解消されることになったのだが……。
※全4話。
婚約者とその幼なじみがいい雰囲気すぎることに不安を覚えていましたが、誤解が解けたあとで、その立ち位置にいたのは私でした
珠宮さくら
恋愛
クレメンティアは、婚約者とその幼なじみの雰囲気が良すぎることに不安を覚えていた。
そんな時に幼なじみから、婚約破棄したがっていると聞かされてしまい……。
※全4話。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
愛人を連れて帰ってきた翌朝、名前すら呼ばれなかった私のもとに王太子殿下が迎えに来ました 〜三年間冷遇された妻、今は毎日名前を呼ばれています〜
まさき
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。
夫に名前を呼ばれたことは、一度もなかった。
社交の場ではただ隣に立つだけ。
屋敷では「妻」としてすら扱われない。
それでも、いつかは振り向いてもらえると信じていた。
――けれど、その期待はあっさりと壊れる。
夫が愛人を伴って帰宅した、その翌朝。
私は離縁状を残し、静かに屋敷を出た。
引き止める者は、誰もいない。
これで、すべて終わったはずだった――
けれどその日、私のもとに現れたのは王太子殿下。
「やっと手放してくれたか。三年も待たされました」
幼い頃から、ただ一人。
私の名前を呼び続けてくれた人。
「――アリシア」
その一言で、凍りついていた心がほどけていく。
一方、私を軽んじ続けた元夫は、
“失ってはいけないもの”を手放したことに、まだ気づいていない。
これは、三年間名前を呼ばれなかった私――アリシアが、
本当の居場所と愛を取り戻す物語。
侯爵令嬢ソフィアの結婚
今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。
そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。
結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて……
表紙はかなさんのファンアートです✨
ありがとうございます😊
2024.07.05
白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。
けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。
それでも旦那様は優しかった。
冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。
だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。
そんなある日、彼女は知ってしまう。
旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。
彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。
都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る
静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。
すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。
感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく