気狂い少女と犬の騎士 -コボルトの騎士が拾った少女は、殺戮の獣だった。ヒトの善性は獣に勝るか。-

化野知希

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  二章 再誕の殻

神意

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 翌朝は、靄が濃かった。靄の中で同盟軍は、そのほぼ全てが進軍していた。
 彼らは決意を胸に、確かな足取りで進む。もはや彼らは、寄せ集めではない。

 草人アールヴの少女を、犬人コボルトがかばって死んだ。
 その知らせは、全軍をあっという間に駆けめぐった。
 人間は、犬人にもそんな勇気があったのか、と感銘を受けた。犬人は母やそれに近い存在が命を賭したことから、それに足る存在なのだ、と草人に敬意を持った。草人は大きな恩を受けたと考え、同盟軍を同朋と認めた。草人の恩に報いようとする態度に、人間も背中を預けるに足る仲間だと信じられた。
 ガルーの死は、寄せ集めの軍隊をひとつにまとめあげた。
 だが、それだけに留まる影響ではなかった。
 ダンはガルーの後を埋め、偵察部隊は元の好戦的な斥候集団に戻った。ダンは何も語らなかった。ハインが耳にしたのは「クソ野郎……」というののしりだけ。少なくとも、それは精鋭一部隊が戦力になったことを意味した。
 ウラはおびえていた。もとより人一倍臆病な性格だった。兄弟を三人も失うに至り、その傾向はひどくなる一方だった。けれど力になりたいと懸命に訴えられ、ハインは本陣の警備を命じた。願わくは、ウラがナイフを抜くことはないように神に祈りながら。
 それとは対称的に、ヴァルターは落ち着いたものだった。ことの顛末と士気の高揚を伝えるや、不敵に笑って計画通りに進めろと言った。
 ハインには不気味だった。

 出陣間近、ハインは水鏡にことの次第を語った。
 水の中で、髭をたくわえた初老の紳士が、難しい顔をしている。
「以上が、昨晩の経過です。ガルーの殉死は私の責任です」
『否。お前の責任ではない――お前の正義が与えた影響以外はな。
 今は戦闘に備えるのだ』
 ハインが首肯する。
 しばしの間。止水卿が呪文を終了しないことに、ハインは師の懸念をくんだ。
「どうかされましたか?」
「……間が良すぎる。あまり兵士を調子づかせるな」
 それはハインも感じていたことだった。目下の課題がいきなり解決したのだ。どこか違和感がある。
「杞憂だとよいのだが。密偵にも目を光らせろ」
「承知」
 今度こそ呪文が終了し、水面には自身の顔だけが残る。ひどく疲れた顔だった。ハインは煙草に火をつけ、テントを出る。霧雨が煙草をくすぶらせ、被毛を濡らす。
 懸念はそれだけではない――昨日、川辺でみつけた魔方陣。ここに陣を敷いた当初、あんなものはなかった。解析を試みたが、彼には理解しがたい術式だった。止水卿にも相談したが、同様の解答だった。解呪ディスペルしたものの、相手は解析不能の術式、完全とは言いがたい。
 “呪いカース”と呼ばれる呪文には、時に解呪される時に災厄をふりまくものもある。ゆえに捨て置け、というのが止水卿の判断だった。――釈然としないが、不活化は完了しているし、技量が足りない以上は致し方なかった。
 ふと、ハインは顔をあげた。
 どこからか声がする。子供の泣き声。
 平野に目をやる。全軍が隊列を組み、命令が下るのを待つばかり。指揮官である自分を待っているのだ。けれど、ハインにはその嗚咽を無視できなかった。
 彼は今までそれをなげうち、走り抜けてきた。それゆえにここにいるのだから。
 泣きじゃくる声を探して、テントのひとつに顔を出す。
 テントのなかでは、形ばかりの軍医が傘十字を切っているところだった。
 木の板をわたしただけの粗末なベッドの上で、司祭は冷たくなっていた。
 仔犬がその手を握り、肩を震わせている。
「逝ってしまわれたか、アーレント殿……」
 ハインも傘十字を切る。仔犬はしゃくりあげるのをおさえられず、何か懸命にしゃべろうとするが、言葉にならない。ハインはその背をなでる。
 ハインは思い出そうとしなかった。本当になでたかったのは、なんだったのか。
「とうっ、とと……ととさまっ……」
 ととさま。仔犬の悲しみと苦しみに、ハインもにわかに引きずりこまれる。
「アーレント殿は、きっと安心しておられる。おまえが傷ひとつなく生き残って、本望だろう」
 仔犬は、長い前髪のなかからハインを見上げた。霧雨にしめり、くしゃくしゃに歪んだ顔が、ハインの視界を覆う。
 仔犬は大声をあげて、いきなりテントを飛びだした。ハインはそれを、すぐには引き止められなかった。だが次の瞬間にはその背を追う。
 仔犬に駆け寄ろうとすると、隊列を眺めていた男が腕を出し、押しとどめた。
 その男、ヴァルターは余裕の表情で仔犬をながめた。
「ととさまっ、ととさまあ……! なんっ、なんで、どおしてえ……!」
 兵士たちがなんだなんだ、とこちらを見る。そしてみなが察した。前も見えないほど大きな泣き声をあげながら走る仔犬をみれば、嫌でもわかった。兵士たちも仔犬をかわいがっていたし、司祭によくなついていたことを知っていたから。
「かみさま、かみさまっ、おしえて……!
 どおして……。かえして、ととさまをかえして!」
 兵士は、あの犬人たちでさえ、義憤を覚えずにはいられなかった。たった一夜におこった、牝の犬人と従軍司祭の自己犠牲。 幼子の涙はそれに義憤の火をつけた。
 よくも、アーレントさまを。
 姉貴もだ!
 向こうがふっかけてきたんだ!
 ベルテンスカを潰せ!
 倒せ! 壊せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
 兵士たちの声が怒号になり、束になり、寄せ集めがひとつの軍団となる。
 その時、光が差した。
 漆喰のような雲の裂け目から、幾層にもなるヴェールのような光。
 聖なる光は連合軍を包みこみ、濡れた体を温める。だがそれだけではなかった。
 いかな神秘か、それとも高揚か。昨夜ろくに眠れなかった兵たちの体の底から、不思議な力がこみあげた。疲れが癒え、槍を持つ手に力がみなぎる。
 誰かが叫んだ。
 我らが神が、力をくださった!
 その一言が、軍勢に神意を与えた。神意は彼らの暴力を天罰に変える。
 一陣の風が、フラフィンが皇国を誅せよと命じている――と。
「やってくれたな、仔犬め」
 ハインが見上げると、ヴァルターはにやりと笑って髭をなでた。
「さあ、ゆけ。待たせれば兵の士気を下げるぞ」
 満足気に立ち去るヴァルターを尻目に、ハインはやるせなく立ち尽くしていた。何かがおかしかった。どことは言えないが、恐ろしかった。
 士気は申し分ない。目的と意欲は、不気味なまでに立場をこえて一致した。これ以上はないほどに望まれた状況だ。
 だからこそ、異常だった。ここまで整うはずがなかった。
「あ、あの……はいん……」
 振り返ると、仔犬が抱きついてくるところだった。仔犬は嗚咽を漏らしながら、ハインの胸に顔を埋め、ささやいた。
「か、かえってきて……おねがい……」
 ハインはとまどいながらも、仔犬の頭を優しくなでた。
「帰ってくるさ。必ずな」
「ほんと……? や、やくそく、して、くれる……?」
 ぐずぐずとしゃくりあげる仔犬に、ハインは宣言する。「ああ、約束だ」
 仔犬は笑った。長い梅雨の一瞬の晴れ間のような、温かい微笑みだった。それがハインの胸を温める。力が湧き、体が天の光に包まれたようにさえ感じられた。
 不意に、ハインは仕事をする時の顔に戻った。そして無言で、仔犬を置いて歩き始めた。

 予定どおりに作戦は進行していた。ダンの偵察隊が素早く切りこんで混乱させ、側方と後方からスアイドの草人の戦士の奇襲にひきつぐ。とどめに彼らがへばる前に人間の部隊で殲滅する。後方からはハインや森賢者の呪文がそれを補佐する。想定通りに作戦を完遂できれば、少なくとも停戦にもってゆけるはずだ――敵の増援がなければ、だが。たったの三日でそれができるとは、思いたくなかった。
 リタの背に乗り、ハインは友軍右手の丘から隊列を見守っていた。濃い霧雨と朝靄で視界は良くないが、ハインには《遠見》がある。敵陣に動きはなく、静寂のなかに木の葉から落ちる雫の音だけが聞こえる。
「うまくいきそう?」
「今のところはな」
 呪文の準備は万全。軍団と軍団の戦いでは遅れをとるまい。後は――ハインが、敵将を討ちとれれば。
 その時だった。草人の隊列が、乱れる。
「なんだ!」
 ハインが目をやると、何かと交戦している。だが敵の姿は見えない。
 何だ、何が起こっている?
ご主人マスター! 呪文をといて!」
 リタが叫ぶ。理由も分からず、けれどハインは愛犬を信用し、《遠見》を解いた。
「――あれは、なんだ」
 そこには、人間と戦う草人がいた。いや、あれを人間といってよいのか。
 青暗い、ヒビのような紋様。それは頭部から始まり、首を降り、四肢の末端までくまなく覆う。ハインにはわかる。それはなんらかの呪文による補強だ。だが――
 それは、術だ。
 補強呪文によく似た紋様に覆われた、人間の兵。彼らはあの卓越した統率力を持つ草人を、ほんの一太刀、ただの蹴りで薙ぎ払ってゆく。
 だが、ハインの背でつめたいものが流れ落ちたのは、そのおぞましさばかりが理由ではない。
 。どこから、
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