魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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エピローグ

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「そろそろ、ひと月くらいになるな」
「そうだな」

 静かに瞼を下ろし、ベッドに横たわるヴィンをやわらかい眼差しでアーティスが見つめる。あの日刺した腹の傷はもうない。きれいに消されていた。

「しかし、すごい花だな」
「ああ」

 せっせとジュジュが花を運んでくるせいで、いつの間にかベッドの上は花だらけになっている。寝室に入れない者たちが、ジュジュに託しているとアーティスもリュディガーも知っていた。

(ほら、ヴィンを失えば、皆は悲しむんだ)

 身じろぎひとつしないヴィンに、アーティスは心の中で話しかける。いつものことで、声に出して語りかけても応えはなかった。

「まさかヴィンが、あんな行動にでるとは思わなかったな」
「ああ、驚いた。何も、できなかった」
「アーティス、本当はおまえが、ヴィンに討たれてやるつもりだったんだろう」
「……さあな」

 無粋な追及は、なかった。

「まあ、ヴィンの行動は想定外だったけど、結果だけ見れば大団円だな」
「だったら、いいのにな」
「アーティス」
「ぼく、は……?」

 話し声に意識が引き上げられ、ヴィンは目が覚める。唇からこぼれた声が、ひどく掠れていた。そのことに、軽く驚く。

「どこ、ここ」

 むせかえるような、花の香りがする。ぱたん、ぱたん、とゆっくりと瞬きして、ヴィンは鈍い思考を動かしていく。

「ヴィン」
「ああ、目覚めたな」

 笑んだリュディガーが、また後でと小声で呟くと背を向ける。その場にはアーティスだけが残り、泣きそうにも見える顔で笑った。

 すべてを理解して、ふふ、とヴィンは吐息で笑う。

「僕は、あなたに選ばれたってことかな」
「ああ、もう後戻りはできない。その身体はもう、魔に属するものだ」
「そう」

 ヴィンに、実感はない。
 元々人間である自覚も薄かったので、身体が魔族に作り替えられたとしても特に問題があるとは思えなかった。

「本当に、やってくれたな」
「追い込まないと、決断できないあなたがわるい」
「そうだな」

 くしゃりと、顔を歪める。そしてアーティスの指先が、とん、と左鎖骨の少し下あたりに触れた。

「魔王の伴侶の証である、バラが浮かんでいる」

 軽く寛げ見ると、覚えのあるタトゥーが視界の端に映る。予想通りだ。それ以外で、あの時のヴィンを助ける術はなかった。

 そうなるように、ヴィンが仕向けたのだから当然でもある。伴侶となるべき儀式の魔法陣は完成していて、最後の仕上げ、互いの血液を混ぜ合わせてする発動を、アーティスに託した。

「方法も、前魔王か?」
「そうだよ。訊いたら教えてくれた」

 脅したんだろうと、アーティスの目が言っている。前がついたとしても、魔王だった人がただの人間に脅される方が不甲斐ないだけだ。

「後悔、していないか」
「してほしいの?」

 返事はない。
 それに、ヴィンは軽やかに吐息で笑った。

「ばかだね、僕は後悔するようなことはしないよ」
「……ああ、そうだったな」
「あなたは、後悔している?」
「正直に言えば、喜びの方が強い。もう、ヴィンを失うことはない。だが、延々と続く退屈な人生を歩ませたくなかったんだ。愛しているからこそ」
「僕は、愛しているからこそ、そばにいたい。命をかけてねだったのがあなたの伴侶の座なんだから、素直に喜んだらいいんだよ」
「ああ、そうだな」

 やっと、アーティスが笑んだ。
 本当に、魔王らしくない。元々が、育ちのいい人間なのだから仕方がないのだけれど。

「ねぇ、僕が、表向きは魔王として立とうか?」

 虚を突かれたように、アーティスが瞳を瞬く。
 ヴィンの申し出が、かなり想定外だったようだ。

「面倒くさいこと、きらいなくせにか?」
「きらいだよ」
「ならなんで」
「表向きって言った。それに僕が魔王として立ったところで、何も変わらないだろ」
「は?」
「あなたは、僕のそばにいるんだし」
「いや、うん?」
「容姿的にも、僕の方が人間の持つイメージの魔王っぽいしね」
「おまえが、うっとうしいって俺の髪を切るからだろ」
「だって、短い方がいい」

 久しぶりに、手触りのいい髪に触れる。生きているからこそ、できることだ。アーティスの手によって死ぬのならそれでもいいと思ったけれど、一緒にいられるのなら、もっとよかった。

「ちょっとまあ、考えておく」
「うん」
「問題は、勇者だよな。あれで引き下がればいいけど」

 じいっと、アーティスがヴィンを見る。

「なに」
「だめかもな」

 はあ、とアーティスがため息をつく。
 人の顔を見てため息をつくなど失礼だ。

「聖剣、僕が持ってるよ?」

 魔族が触れられない物騒な品だ。
 手放した瞬間、即座に亜空間へと収納した。

「そういえば、そうだったな……勇者から聖剣奪うなよ」
「あなたを本気にさせたかったんだよ」

 確かに、再度やってくるだろうことを思うと、面倒くさい。
 今のところ魔族の地へ来る方法はないし、来たところでアーティスを傷つけることはできないだろうが、鬱陶しいことは確かだ。

「殺してこようか?」

 名案だ。煩わしさから解放される。新たな勇者の素質を持った者が誕生したとしても、人の地に聖剣はない。退屈な日々に飽き、ヴィンの気が向けば返してやってもいいが、それはまだ先のことだ。

「ちょ。まてまて!」
「なに」
「殺したらだめだろ! 人間側と争う口実になる」
「なら、半殺しでしばらくは身動き取れないくらい?」
「なんで、魔王の俺より物騒なんだよ」
「優先順位のちがいかな。僕のすべては、あなただから」
「ヴィン」
「あなたは、この世界にとらわれてる」

 今は、服で隠され見えない腕にヴィンはそっと触れる。伴侶にはなったが、ヴィンの腕にイバラの蔓は現れていない。左の鎖骨あたりに、薔薇の花が浮き出ただけだ。
 けれど、しっかりと繋がっている。この世の理に、ヴィンも組み込まれた。
 素直に従ってやる義理はないと、ひそかに思ってはいるけれど。

「その違いだよ」
「たのもしいなぁ」
「で、なんであなたはバラの花を抱えてるの」

 先ほどまではなかった、両手で抱えるほどの薔薇の花束をアーティスは持っている。亜空間に、収納していたようだ。

「求婚には、バラの花束なんだろう?」

 どこから得た知識だと、ヴィンは呆れる。それに気付かないアーティスは、大量の薔薇の花を差し出した。

「俺と、この先ずっと一緒に生きてくれ」
「今更?」
「ちゃんと言わないまま、伴侶にしただろう」

 それは退路を断って、ヴィンが仕向けたことでしかない。あの時は本当に、アーティスの選択しだいで生を終えてもいいと思っていた。

「僕には、その覚悟はとうにできていたんだよ」
「うん、俺がふがいなかった」

 ふ、ときれいに笑んで、ヴィンは薔薇の花束を受け取る。すでにもう、身体には伴侶の証である薔薇の花を得ているので、本当に今更だ。

「あなたは、まるでイバラに囚われたお姫様のようだね」

 それが魔王だというのだから笑える。

「僕がさしずめ王子さまってとこ?」
 受け取ったばかりの薔薇を、ヴィンはアーティスへと押しつける。

「僕より似合うよ」
 そして、ヴィンは眉をひそめた。

「抱きしめるのに、じゃま」
「ほんとおまえは情緒がないな」
「だから、魔族が情緒とかおかしい」

 薔薇の花束をヴィンは奪い取り、ベッドの上へ放り投げる。遮る物がなくなり、アーティスとまっすぐに視線が合った。

「終わりが見えない人生も、ふたりならいいだろ? アーティス」

 随分久しぶりに名を呼べば、どこか泣きそうに、アーティスが微笑む。こつん、と額を合わせ、どちらからともなく指先を絡めた。

 自然と、ヴィンは口元が緩む。つないだ手は、あたたかかった。
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