上 下
23 / 42

23.苦労人形5164

しおりを挟む
肉に圧迫され、ギシギシと体中が音をたてる。
ビキビキ、バキバキ、バチン。
ぜんまいがとんだ。
黒い油が体中から流れ出していく。
歯車の破片が零れ落ちていく。
「スクラップ・スプラッタ・スプリット・スクラブ♪」
くずに飲み込まれたベリリウムが軽快なリズムに乗せて歌う。
「スクラップ・スプラッタ・スプリット・スクラブ♪」
体の信号が届かない。
「スクラップ・スプラッタ・スプリット・スクラブ♪」
じきに思考回路も壊されるだろう。
「スクラップ・スプラッタ・スプリット・スクラブ♪」
そしてあたしも星の夢になる?
「スクラップ・スプラッタ…」


ベリリウムを飲み込んだくずが、はじけ飛ぶように上下左右全方向に飛び出した。

「!!!」
5164はウォルフラムを担ぎ上げる。最早修理しなければ動けないだろう。
セレンの矢が何度か降りかかってくる肉片を消滅させたおかげで、退路だけはどうにか開くことができたが。
それでも、あっという間に肉片に囲まれる。
同位体はほとんどすべて飲み込まれた。
回収するにしてもミイラ取りがミイラ、戻っても無駄だと悟る。

「…て、け…」
背中越しに、ウォルフラムの声が届く。

「何だ?」
「わ、…しを…置い、てけ…」
ゆっくりと歯車が回る音と共に、声がぽつりぽつりと吐き出される。
「馬鹿をいえ!」
「も…う…、もた…ない…」
走るたびに背中にどろりと油が垂れる感触が伝わる。
「安心しろ、今リピーターが創造主を連れてくる!」
「そ…ぞ…し…ゅ」
「そうだ、あの時奴はレトログラードを探しに行った。レトログラードは現在、創造主と唯一繋がりのある管理人形、今頃創造主を連れてこちらに向かっている筈だ!それまで耐えろ!」
「ウォルフラム、ねむい?」
セレンも心配そうにウォルフラムを見つめる。
「す……だ…け…」
「ねてていいから」
ウォルフラムの歯車が、段々止まっていく。
「う、ん…」
そのままがくりと、動作停止した。
「…しかし、奴が来るまでどうやって食い止める?」
5164がセレンに尋ねると、セレンも「ん…」と首を捻る。

頭上に飛んでいるあの星の夢どもは決して手を出さない。
それどころか。
「道化め…どこまで狂えば気が済むんだ」
不羈の星の夢がにこにこと笑っているのを見て、吐き捨てる様に呟いた。
「おれが聞いていた話と、まるで違うぞ!」


5164は元々、以前から不羈の星の夢に協力を打診されていた。
"消えてしまった不朽を探し出す"。
それが不羈の星の夢の、絶対なる行動原理。

彼女の不朽への狂信ぶりは、それこそ初めて彼女たちと会合したときから嫌というほど知っている。
創造主レギュレーターに捨て置かれ、
何を標として進めばいいかわからなかった自分たちにとって…白金が星となって消えてしまった以降に作られたウォルフラム以下にとってはそうでもないだろうが…残された3体にとって、白金の存在程神に等しい存在はなかった。
彼女がいたからこそ、今の自分たちがある事は言うまでもない。
アンチモニーはもちろん、自分も、タンタルも。

だからこそ、白金が星の夢となったとき、3人は愕然とした。
特にアンチモニーにとっては、己を見失うほどの衝撃だった。
不朽が星となって消えてしまってから、アンチモニーの歯車は狂いだした。
交錯点中を徘徊しては、欠片となって落ちていないかくまなく探し。
ごくたまに顔を合わせたリピーターには罵倒の限りを尽くし。
何度も何度も、不朽の名前を叫び続けてはただ不朽の影を追い続ける。
それほどまでに、アンチモニーにとって、不朽…白金がすべてだった。
何故彼女にそこまで執着したかは、本人にしかわからない。


そんな彼女が、
消えてしまった不朽を探し出すために…彼女を追って星の夢となってしまったことについて、
他の管理人形たちほどの衝撃はなかった。
馬鹿か、とは思ったが。

もう彼女は以前の、アンチモニーではない。同じ形をした、別の何かになってしまった。
天にも昇らず交錯点を支配する様は、星の夢ですらない。

変わり果てた彼女は…おれの目には、滑稽に踊る道化にしか映らなくなった。

不羈になってからは、時折自分のもとへ現れて様々な方法で"不朽の捜索案"について一方的に喋り倒し、満足すればどこかに行く。
…という事を繰り返していた。
気まぐれにくずを増やし、減らし、星の夢を作り、リピーターにきつく当たっては事ある毎にいびり倒す。
元々アンチモニーだったころからタンタルに良い感情を持っていなかった事は知っているが、不朽を失った直接の原因だと知った以降、タンタルをカジモドと呼び始め、そのいびりは拍車がかかったように思う。
何もそれに付き合わなくてもいいのだが、負い目のある奴は大人しく言う事を聞いていた。
傍若無人に拍車がかかった不羈に羨望の念を抱いて、ウォルフラムがくっついて回るようになったのはいつ頃だっただろうか?…それはまあ、どうでもいい。
そういえば、遊びでおれたちに新しい名前を付けだしたのもその頃だ。
まるで自分が主になったかのように振舞いだす。
はた迷惑な話だが、いちいち逆らって癇癪を起されても面倒くさいので、黙って従ってはいたが。


それから暫くしたある時、久しぶりにおれの前に姿を表した不羈がこう言った。

『きっとおねえさまは人間になったのよ。創造主と同じ人間に…おねえさまがどれほど、創造主のためにお心を砕いていらっしゃったか、今のあたくしにはよくわかるわ。…だから、人間を探すの。探して、くずかごに入れてしまえばいい』

その一言で、迷い人を探し、不朽に似た信号を持つ迷い人を探すようになった。

当然、そんな迷い人が簡単に交錯点に来る筈もなく。
見つからない事に業を煮やした不羈は、どこからか生身の人間を連れてきたことがあった。
そんなことまでできるのか、とも思ったが、願望の具現である星の夢ならもはや何でもありだろう。
深く考えると歯車がきしみそうだったのでやめた。
ともかく、その生身の人間をくずかごに落とした結果。
かつての惨劇が生まれ、今に至る。

ただ、それでも不羈の暴走は止まらなかった。

『考え方はあれであっていると思うのよ。試算通りの結果だったわ。必ず成功させる』


"だが、不朽がもし人間になってしまっていたとしたら、不朽の星の夢に戻すためにはやはりくずかごに入れる必要がある。人間がくずかごに入ればくずが肥大化し、溢れ出して交錯点中を巻き込もうとするのは先にあった結果通りだ。あの惨事をもう一度引き起こすようなことはできない。"

そう返すと、星の夢も当然頷いた。

"以前にくずかごがあふれた時は、ただの人間がくずかごに入ったため起きた事件。
でももしそれが元々"不朽"である人間だったなら?…不朽に戻ればくずかごから溢れるくずはそこまで大した脅威にはならないはず。あくまで一時的なもので、前回のような事にはならない。不測の事態が起きた場合は自分も力を貸すので、溢れるであろうくずを管理者たちで鎮めて欲しい"

といって、笑っていた。


そう、間違いではない。
ベリリウムが星の夢の力を貸りている事をおれは事前に知らされていたのだから。
だからこそ、信用した。
管理者として最悪の事態にはいつでも対応できるように対策を練らねばならない。
何よりあの不羈の星の夢…かつてのアンチモニーが、
狂気的なまでに固執した"不朽"…白金を交錯点に呼び戻す事に関して嘘を吐くことはまずない。

事実、橘生三は試算通り"不朽"の星の夢であり。
事実、星の夢の助力を受けたベリリウムのおかげで以前よりも脅威ではなかった。

それで済むはずだった。
ベリリウムが、不羈の星の夢が、我々を欺きさえしなければ。



(…念のために、リピーターを別途に向かわせておいてよかった)
内心、5164はあの時の己を称賛する。

もし自分を含む全員がくずに歯が立たなかったら。
もし星の夢すらも飲み込むような大きなくずに変わってしまったら。
もしも、止められなかったら。
…もし、全滅してしまうようなことがあったら?

そういう不安要素が、5164の頭の中をよぎっていた。
だからこそ独断でリピーターを送り出した。
本来ならばあの場で全員一丸となって、くずかごに向かう計画になっていた。
リピーターと結託し、2体と1人でくずかごに向かう。
その間にウォルフラムとデリリウムに同位体を向かわせ、合流する。

しかしどうにも、何かが引っかかった。
何か、本当に些細なことだった。

…何故、あれほどまでに渇望していた"不朽"の生まれ変わりをリピーターに案内させたのか?

もし、本当に彼女を求めていたのであれば。
あそこまで彼女に執着していたアンチモニーだったなら。
真っ先に、問答無用にくずかごに放り込んだだろう。

疑念は、たったそれだけだった。

あれほどまでに嫌っていたリピーターに、不朽を押し付けたのはどういうわけか?
本当に不朽そのものだったのかを見定める為だったのだろう、ということはわかる。
何故、あんな回りくどい方法で、ウォルフラムを、おれを、迎えに行かせたのか?

…己ではできない理由が、何かがあったのだろう。

「…!!」

前方を見る。後ろにばかり気を取られていて、周囲の確認を怠るのは迂闊だった。

今になって、ようやく点と点が繋がる。


「…セレン、逃げても無駄だ」
唐突に、5164が走るのを止める。
「え…?」
「見ろ、あれを」
「ん…」
5164が前方をさす。

遠くの方で…地平線の向こう側に、不自然に大きな山がいくつか見えた。

「…!?」

第二、第三のくずかごの中から。
肥大化したくずが、砂を覆いつくして大きく膨れ上がっている様子が見えた。
しおりを挟む

処理中です...