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25.星屑のルサンチマン

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<星の夢になってよかったことは、俯瞰でものを見られることね>
眼下で巨大くずがウォルフラムを抱えた5164とセレンを飲み込んでいる様子を見て、
不朽の星の夢はぼそりと呟いた。
<…感慨も何もないけれど>
遠くから、ガアン、と鈍く響く鐘の音が聞こえた。
別方面から見覚えのある人形と、全く見覚えのない、小さく不格好なくずが歩いてくるのが見える。
あれは。

<タンタル…>
さまざまな記憶に思いを馳せる。
作られ始めた頃の記憶。
彼の身代わりに星の夢となった時の記憶。
星の夢として過ごしていた短い間の記憶。
橘生三として再開し、共に過ごしていた間の記憶。

彼に、殺された時の記憶。

[いやだ…カジモドったら、姿が見えないと思ったら今頃来て]
不羈の星の夢が冷たい視線を送る。
当然ながら、彼が気付けるわけがない。
[おねえさまを蘇らせたらその場で壊してさしあげようと思ったのに。5164の仕業ね…小賢しいこと]
5164が、橘生三と一緒にカジモドを連れてきさえすれば上手く行ったのに。と、不満そうに呟く。
<あなたは初めから、タンタルのことが嫌いだったわね>
[ええ。役立たずで、不快で、何もできないくせに…あたくしからおねえさまを取り上げた上、殺してしまったあのがらくたを、許せるはずがありませんもの]
<あなたは本当に私が好きなのね>
不朽はどうして?と、尋ねる。
<…どうして、そこまで私が好きで、タンタルが嫌いで、…交錯点を壊したがるの?>
不羈は不思議そうに首をかしげる。
[あたくしを作り上げてくださったのは、おねえさまですもの。あたくしにとっては、おねえさまが全てです]
<貴女を作ったのは、創造主よ?>
[ええ、勿論、重々承知しております。それでもあたくしを導き、支え、直してくださったおねえさまは、…あたくしを作り上げた後簡単に棄てたレギュレーターではなく、おねえさまこそが、創造主なのです]
レギュレーター。
創造主。
彼は、自分の作った機械人形たちに最後まで興味を持たなかった。
どんなに苦心しても、細部まで丁寧に作り上げても、
完成した瞬間、彼の中で機械人形はどうでもよくなった。

――何故、棄てると解っていて、作るのですか。

かつて、創造主にそう尋ねたことがある。
すると彼は、
『私が技師だからだ。技師は作る。より良いものを作り、売って、生計を立てる。ここでは売る必要がないから作る必要はない。だが、私は作りたいから作る。完成すれば、もう用はない』
と答えた。
最後に名前を付けるのも、名前がなければ完成しないからだと言った。
<では何故、創造主は私を傍に置いたのだろう…>
彼が唯一機械人形に執着を見せたのは、最初に作られた人形、白金だけだった。
[創造主がお隠れになる前…5164がまだ動く前。あたくしは尋ねたことがあるのです]
"アンは一体、何をすればよいのですか?"
[未だに記憶が鮮明に映るのです。あのとき、創造主は振り向きもせずこういいました。]

『お前は誰だ?』

[何故でしょう…おねえさまの事は、『わたしの白金』とお呼びになるのに。ほんの少し前に作りあげたあたくしの事を、創造主は最早覚えていなかったのです。…おねえさまの事は、一番初めにおつくりになったのだから、創造主にとって何かがあるのだろうことは解っていました。おねえさまは特別ですもの、当然です。その時は…少し寂しかったですけれど、創造主はそういう方なのだと思いました。事実、その後に作られた5164…レニウムに対しても、創造主は同じでしたから。]
<不羈…>
[それでも、あたくしにはおねえさまがいてくださったから…その後は創造主について、もはや何の感情も、興味も湧きませんでした。おねえさまが傍にいてくだれば、それでよかったのです。レニウムも同じだったでしょう。おねえさまが彼の同位体を作り与えた時、レニウムにとっての創造主はあの時計技師から、おねえさまに変わったのですから]
レニウムにとっても白金は特別なのだと、不羈が笑う。
[あたくしと同じ痛みを共有するレニウムは、等しくおねえさまを慕い、おねえさまといられればいいと思っておりました。言ってしまえば、あたくしはおねえさまと、…2体だけで良かったのですけれど…まあ、レニウムはいてもいいかしら。3体で、十分だと思っていたのです。最早創造主の事など、あたくしの中でただの概念になっておりました]

だが。
アンチモニーやレニウムが作られた時よりも、ずっとずっと長い時間をかけて。

タンタルは現れた。

[タンタルが現れた時、あたくしからおねえさまを取り上げるあの役立たずが妬ましくて、気に入らない程度でした。時折、皆で集まってお話ししたあのときはとても…本当に楽しかったですけれど]
けれど、と不羈の星の夢は続ける。
[タンタルが、…リピーターがあたくし達の前であの不快な音を鳴らして以降、あたくしたちの行動は一変しました。…その頃ですね、おねえさまが創造主にお会いになったのは]
そう。
あの時はただ、自分ではどうしていいか解らなかった。
だから、主に尋ねに行ったのだ。
[その時のお話を聞かされて、創造主が何をお考えなのか、どうしてリピーターをおつくりになったか、理解いたしました。理解はしたのですが、あたくしにとってそれは、受け入れ難いものでした]
不羈の顔から、笑顔は消えている。
[星の夢を作るためにリピーターを作った…そう、創造主は、あたくしやレニウムの事はこれっぽっちも覚えていなかったのに、リピーターには期待を掛けて…望みをかけたという事実です]

では、何のために作られたのか?
ただの習作にすぎないならそれでもいい。
それでも、
[あたくしたちには何も与えてくださらなかった創造主が、何故リピーターには与えるのです?それならばなぜ、あたくしたちをお作りになったの?あたくしは、何のために作られたのですか?何故、あたくしをリピーターとしてお作りにはならなかったの?…そう思うと、止まりませんでした]
不羈は悲しみに訴える。
[あたくしとは違い、おねえさまに、創造主に気にかけられるリピーターが妬ましくて、憎らしくて、たまらなかった。…感情のない機械人形でいられたなら、どれ程良かったでしょう。役割を与えてもらえることが、肯定して頂けることが、どれだけ幸福か、あの役立たずは理解しようとしなかった。その上とうとうあのリピーターは…己が持って生まれた幸福を、役割を放棄しようとしておねえさまを壊し星の夢にしてしまった]
<あれは、タンタルが悪いのではないのよ。私が自分で>
[それが許せないのです、おねえさま!]
不羈が叫ぶ。
[おねえさまがあの役立たずの為にお心を砕くことが、何より許せなかったのです]
その目を潤ませながら見つめる。
[ただ計測するだけのあたくしを許して下さったおねえさま。そのおねえさままであたくしから取り上げ、そのくせのうのうと交錯点で歩き続けるあのカジモドが、…"わたしの白金"と呼びながら、リピーターを作ってまで欲した"星の夢"となったおねえさまに何一つ姿を見せなかった創造主が、…あたくしにとっては最も許せない害悪なのです]
害悪、と口にした不羈は、何の感情も持たないまなざしで交錯点を見下ろす。
[不朽の星の夢になられたおねえさまが交錯点から消え、天に昇った後。もうあたくしに残されたものは何もありませんでした。交錯点に縛られ続けるのはいや。…創造主やカジモドと同じものでいるのはいや。あたくしはくずかごに、その身に願いを持って、身を投じました]
白金を、不朽を追って。
アンチモニーは、自らくずかごに落ちた。
[どんなに醜い願いだと解っていても…あたくしを取り囲むくずたちは賛同してくれました。だからあたくしは"不羈"の星の夢となれたのです。あたくしの願いを、叶えるために]
それはただの嫉妬、醜いルサンチマンでしかないと解っています、と。
静かに笑う。
[あたくしはおねえさまを殺したカジモドが、『一等星』というありもしない妄執に囚われた創造主が、一番欲しがったものを目の前で奪われる様が見たいのです]

ガアン、と鈍く響く鐘の音が鳴る。

<…不羈、いえ、アンチモニー>
寄り添うように、不羈の星の夢のゆるやかな髪を撫でる。
<ごめんなさい。…貴女の気持ちを、寂しさを、私は蔑ろにしていたのね>
不羈の星の夢は、目を細めて笑う。
[いいえ、おねえさま。おねえさまは何も悪くないの。でも、またお会いできて嬉しい]
<私もよ>
嬉しそうに頬を赤らめて、不羈はふわりと笑った。
[…もう、何も言わずにあたくしを置いてどこかへ行ったり、なさらない?]
<約束するわ>
そう微笑んだ後、不羈の頭を撫でる。
撫でながら、
<でも、交錯点を壊してしまうのはいけないわ…私は、創造主のためにあるのだもの。あなたの心に寄り添うことはできるけれど、味方にはなれない>
そう告げると不羈はとても残念そうな、悲しそうな顔をした。
[ええ、…おねえさま。不朽のおねえさまなら、きっとそう仰るだろうと思っておりました。おねえさまがどれだけ創造主を思っていらしたか…あたくしはずっと傍で見ておりましたから]
<不羈…?>
[ですから、ね。おねえさまは何もなさらなくて良いの。あたくしに、おねえさまを傷つけさせるようなことはなさらないで?]
そう言って、不羈がふんわり微笑む。
不朽の星の夢は、いつの間にか、自分の体が動かなくなっていることに気が付いた。
不羈のふんわりとした髪が、不羈の星の夢に絡みついている。
抜け出そうと思った頃には、しっかりと捕まえられていた。
<何をしているの、不羈、離してちょうだい>
しかし、不羈は微笑んだまま動かない。
[おねえさまは何も悪くありません。ただ、あたくしの傍に居て下さればそれでいいの]
その時、不朽は気が付いた。
もう、自分を受け入れる以外の言葉は、彼女には届かないのだ。

星の夢同士が一つになるという例は今までにない。
だが、徐々に不羈に浸食されつつあるのが体に伝わる。

[少しだけ場所を変えましょう、おねえさま…。カジモドに見つかってしまったら、あたくし、困ってしまいますから。…こっちはベリリウムに任せておきましょうね]

するすると不羈が星の形に変えていくと、不朽もそれに合わせて、強制的に星の形に変えられていく。

そして、何処へ目指すでもなく、その場を後にした。
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