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1巻
1-3
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「……! ……っ!」
強盗犯は必死に何かを話そうとしている。だが、私は何も見ていないし、何も聞こえない。
「よし、お弁当を並べ直そう」
私は日常離れした現実から目を逸らすために、あえて日常の行動をすることにした。おっと、あやうく弁当を取り落としそうになったが、大丈夫。
ちなみにこのコンビニの賞味期限切れ食品は、全てこのボウちゃんが食べてくれる。どこから食べるのかというと、あの防犯カメラのレンズ部分が真っ黒になり、大きくなって口になるのだ。ボウちゃんはそこに廃棄弁当を放り込んで美味しそうにムシャムシャと食している。餌代がかからない上に、ゴミ処分にも困らなくて、とてもエコロジー。
かつ、防犯もしてくれるなんて、何て使える触手なんだ!
そうしてボウちゃんを賞賛しつつ弁当を並べていると――
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
と、いつもの軽快音と共に、「よぉ!」とジグさんが入ってくる。この人、こんなに毎日コンビニに来ているけど、本当に仕事しているのだろうか。不思議で仕方ないが、外の世界のことを聞いて変なフラグを立てても嫌なので、私は何も聞いていない。
それはともかく、今は知人の存在は心強い。不覚にもホッとしてジグさんに駆け寄る。
「お、きちんと捕まっているな」
ボウちゃんの方を見ながら、ジグさんがそう言った。その瞬間、ボウちゃんがいる方から変な声が上がる。
「ふぁ……!」
「あ、喰われた」
実況中継しないでほしい。
店長曰く、強盗犯などはボウちゃんがしかるべきルートでもって、異世界側の、警察みたいな組織に転送してくれるらしい。
だけど、今、「喰われた」ってジグさん言わなかったか?
私はいつも、ボウちゃんがレンズから廃棄弁当を食す場面を見ているけれど――
「……」
「喰われた」ってことは、同じ口? 同じ口なの?
少し考えてから、私は考えることを放棄した。人間には開けなくていい扉がたくさんあるはずだ。決して、食べてはいない――はずなのだ。たとえ、コンビニ弁当を処分する時と同じように「喰われた」としても、そこはきっと店長の魔法とやらでなんとかなっているのだろう。
……うん、そう思おう。
「ソラちゃん、大丈夫!?」
店長が、慌てた声を出して事務室から出てくる。おそらく、ボウちゃんが反応したことに気づいてこちらの店舗に来たのだろう。
日本のコンビニで働いていた時も、事務室に入った店長がそのまま行方知れずになることがたまにあったのだが、それはこういう理由だったのか――と、今ようやく理解した。バイト仲間の間では七不思議だったのだが、その理由が異世界に行っていたとか、知りたくなかった。
「早く元の店舗に戻せや、変態店長」
「心配して駆けつけたのに、開口一番がそれっ!?」
「ボウちゃんが、いい仕事してくれたから大丈夫ですよ」
「おう、俺も見ていたが、なかなかの食いっぷりだったぜ」
ジグさんがニタニタしながらそう言ったが、食べてないですから。
転送ですから。――多分。
「第一、魔法でなんとかしてくれるなら、もっと他の手はなかったんですか? 手は手でも触手って、ちょっと引きます」
「ソラ、諦めろ。アレイの変態は昔からだ」
ジグさんは店長と幼馴染というポジション故に、どうでもいい店長情報をたまに教えてくれる。本当にどうでもいい。
店長は「容赦ないっ……」と半泣きになりながらも、私の体を頭からつま先まで眺めて、傷がないことを確認すると、ふぅ、とため息を漏らした。
そんなに心配してくれるなら、元の店舗に戻してくれればいいのに。
とはいえ、ここの店員になるのは適性が必要で、それを持っている人がなかなか見つからないそうだ。その稀なコンビニ店員に選ばれてしまった自分の不運さを私は呪いたい。
「いっそのこと、ジグさんを店員として雇えばいいのに。そうすれば私も元の店舗に戻れるし、ジグさんも毎日、おにぎり食べ放題ですよ?」
「店員が商品食べつくすコンビニなんて聞いたことないよ! あと、このコンビニで働けるのは地球人だけなんだよ。そこら辺、何度も説明したよね?」
「はいはい聞きました。何度も言われなくても分かってます、変態店長」
「ねぇ? いつまで変態つけるの? 俺の人格疑われるからヤメテ!」
「疑われるほどの人格、ありましたっけ?」
ニッコリと微笑みかけてやれば、店長は「ぐはっ」と呻いて項垂れた。勝者、私。年齢と力では敵わないけれど、口だけなら私の無敗神話継続中だ。
「ホラ、ソラ。あんまりいじめてねぇで勘定してくれ」
基本、ゆっくりしていくジグさんだが、珍しく今日は早々に帰るらしい。促されて私はレジに向かう。
店長は「あ、じゃあ、俺はこの台車片づけてくるね」と言って、台車を押してバックヤードに入って行った。
ピッ、ピッ、とバーコードを読み取っていくと、ジグさんが私の顔を見ながら言う。
「大丈夫だっただろう?」
意味深にジグさんがそう言ったので、「この野郎」と思わず口から出た。ジグさんは私を見下ろしながら、ニヤリと笑う。
「この店に強盗が入ろうが、絶対にお前の身に危険は及ばねえよ」
先日の王子来訪の時、「こんな客も来ない森の中で、強盗なんて来るもんですか」と言ったのは私だ。その言葉をこの傭兵はしっかり聞いていたらしい。
だけど、そのすぐあとにコレとか。
ああ、そうですか。あんた、今日、強盗が入ってきたのを見ていたのか。だったら、私だって言い返してやろうじゃないか。
私はジグさんの買ったおにぎりを袋に詰め込むと、ジグさんに手渡した。そしてその目を見て、言う。
「いつも、ありがとうございます」
「……」
ジグさんは眼帯に隠されていない片目をわずかに見開く。
「それは何に対しての『ありがとう』だ?」
「ん~。いつもこのコンビニの外を掃除してくれる『ありがとう』?」
ジグさんの目がさらに見開く。私の予想はやはり正解だったらしい。
強盗なんて来ないと話した直後に強盗が来るなんて、タイミングが良すぎる。
これは一種の〝防犯訓練〟だ。
私が万が一、強盗に遭っても、この店の中では安全だということを証明する訓練だったのだろう。
もちろん、あの強盗が訓練のために用意されたわけではない。だって駆けつけてきた店長は本当に心配そうに私を見ていたし、あの強盗犯も演技には到底思えなかった。
だけど、そんなに簡単に強盗がやって来るのか。偶然? そんなことはない。答えは簡単だ。頻繁に来ていたけれど、このコンビニにたどり着けなかったのだ。
つまり、今まで来ていたはずの強盗という招かれざるお客さんは、コンビニに入る前に掃除されていたと考えられる。
毎日、来店するガタイのいい傭兵さん。何の仕事をしているのか分からなかったが、これだけ来るということは、このコンビニに何かしらかかわりがあるに違いない。しかも元々店長の顔見知りだ。
この方程式、間違ってないよね?
私がジグさんを見上げると、彼はポンポンと大きな手で私の頭を叩く。
「礼ならアレイに言え」
正解ですか。まあ、今回強盗を招き入れたのはジグさんの独断っぽかったけど、彼がこのコンビニを守ってくれることは間違いないようだ。
そうすると、また別の疑問が浮かんでくるのだが、今は、それはあえて触れないでおこう。嫌な予感しかしないから。
ジグさんは、いつものチャラい雰囲気はなく、まるで妹か子供みたいに私を扱ってきた。そういう時、わずかだが眼帯のない左目の目元に笑い皺ができて、本当に笑っているんだな、ということが分かる。
「そんじゃ、また来るわ」
「はい、ありがとうございましたー」
今度のありがとうは店員のマニュアル言葉だ。
そうして、ジグさんはおにぎりも食べずにコンビニを出ていった。
早々と出ていったのは、このコンビニ周辺を警邏するためなのだろう。あの強盗犯が単独犯とは限らないのだから。
あー、あんなに筋骨隆々でなければ、ときめいたりもしそうなのに、つくづくこの世界の男性は私の趣味に反していて残念すぎる。
「ごめんね、ソラちゃん。大丈夫だった?」
台車を片づけた店長が、心配そうに戻ってきた。バックヤードにまで今の会話は筒抜けだったのだろう。
「もうこんな怖い思いはしないと思うから」
そう言った店長の顔は少し怒っていた。私に対してではないことはすぐに分かる。
「いや、またこんな思いしたら速攻で辞めてやりますよ」
この一件でつくづくこの世界が私の世界とは違うと思い知らされたが、危機意識を持つことも兼ねての防犯訓練だったのなら成功だ。でも、実地ではやめてほしい。
「怖かったよね?」
店長が心配そうに私を見てくる。
「怖くないですよ」
私は下唇を少し噛んでから、しれっと嘘を吐く。
「そうか、ソラちゃんは頑張り屋さんだ」
そう返す店長の言葉は、この五年でよく聞いてきたものだ。私が強がる時、店長はいつもそう言う。私が素直でないところは、すっかり店長にお見通しらしい。
「ごめんね、怖い思いさせて」
「だから、怖くなかったです」
たとえ、足がまだ小刻みに震えていようが、そんなことを店長に悟らせてなるものか。「怖かったです」って半泣きで男に縋れるほど、私は素直女子ではないのだから。
「これ飲んで、ちょっと休憩しようか」
店長がそう言って、ホットコーナーからコーヒーを二缶持ってくる。
「二〇〇ラガーです」
すかさず私がそう言うと、店長は「了解」と言いながら、お金は払わなかった。まあ、急いで日本から駆けつけたのでこちらのお金を持っていなかったのだろう。くれぐれもあとでお金を入金しておくように告げてから、二人で熱めのコーヒーを飲んだ。
コーヒーのプルタブまできちんと開けてくれたって、こんな安いもので私は流されないからな!
だけど、強盗は二度と入らないでほしい。もし入ったら、ボウちゃんに食べてもらう――間違えた、しかるべき組織に転送してもらおう。
「あのね、ソラちゃん。あの触手、入り口は同じだけれど、きちんと食べ物とそれ以外で出る場所は違うからね」
「じゃあ、今度店長が食べられてそれを証明してください」
「……」
「黙るな」
異世界コンビニは今日も平和だ。多分。
3 異世界コンビニって出会いないの?
私の休みは土日ではない。立地条件によって忙しい曜日が異なるのだが、住宅地などでは土日でも人が入るし、会社近辺なら平日の方が人の入りが多い。あと、天気にも左右される。
まあ、森に囲まれた異世界コンビニに、かき入れ時なんてものは当然存在しないのだが。
ここに移ってからも、私の休みに土日連休というシフトはない。月の休みは計八日前後だ。
学生の頃は、それほどシフトを入れていなかったが、今ではガンガンに入っている。何故なら、学生時代には納入延長されていた国民年金の支払いがあるからだ。学生でなくなった私は、たとえ無職でも払っていかなければならない。働いたら働いたで社会保険やら雇用保険加入の義務が生じてしまうが、稼がなくてはならないのだ。
それに親に対してだって、微々たるものだが、毎月一万円の食費を収めている。それは、就職浪人する時に親と約束したことだ。
最近、就職も決まらないフリーターということで、何となく実家に居づらくなってきたなんて絶対に思うものか!
と、少し脱線したが、そんなわけで一般の社会人とは休みが合わなくなる。
「ごめん、飲みに行けない」
自室のベッドで私は電話を受けていた。電話の相手は高校時代からの友人だ。
「せっかくの合コンなのにぃ」
今年、晴れて地元のメーカーに就職した友人は残念そうな声を上げるが、無理なものは無理だ。
「だってその翌日も仕事だし」
「バイトなら休んでもいいんじゃない?」
くそ。なんでそんな安易な考えの友人が受かって、生真面目にバイトしている私がことごとく面接試験に落ちるのだろうか。
「顔か、やはり顔なのか!」
電話の向こうの友人は、ひいきを抜きにしても可愛い。ふわふわカールのゆるゆるガールだ。色んな意味でな!
「奏楽ちゃんは一言余計なんだよ」
ゆるゆるの友人だけど、それでも言うべきことはきちんと言ってくれる冷静さを持っている。今もしっかりきっかり私を分析してくれる。毒舌な私と、ゆるふわだけど言うべきことは言う彼女は、色々あれど仲良しなのだ。男関係は両極端であっても。
「コンビニって出会いないの?」
合コンに誘っておきながら、そんなことを聞いてくる友人に、私は「ない」ときっぱりはっきり断言する。
「でも、男性のお客さんとか来るでしょ?」
今の職場で来る連中は、皆屈強な戦士の体を持つ輩ばかりなんですが。全くもって範疇外なのですが。
言いたいことはたくさんあったが、とりあえず無難に答えることにした。
「お客とっていうのはちょっと……」
「じゃあ、同じ店員さんとか……。あ! 店長さんとは相変わらず仲いいんでしょ?」
「あ?」
聞き返した「あ」は、間違いなく濁点付きの「あ」だ。やめてください、気持ち悪い。
「あの店長さん、イケメンだよねぇ」
またか、と思った。この友人もそうなのだが、コンビニに遊びに来た友人は皆こう言うのだ。「店長さん、イケメンだね」と。
まあ、五十歩譲ってイケメンだとしよう。だが、それがどうしたというのだ。
「前から言っているけど、私はほっそりした優しげな人が好きなんだよ」
身長なんて高くなくていい。男臭くない感じがいいのだ。
「まあ、好みは人それぞれだけどね」
と言ったあと、「でもね」と悪友はクスクス笑いながら言葉を続ける。
「店長さんのこと話してる時の奏楽ちゃんは好きだよ、私」
この小悪魔め。同性の私まで誑かすとか、どんな百戦錬磨だよ、それ。自分のことを好きだと言われて、文句を言い返せるか。
「はいはい、分かりました」
「まあ、店長さんと仲良くね。また合コン誘うから」
そして電話を切って、私はベッドに突っ伏した。なんだかドッと疲れた気がする。
「あ――」
間延びした声を上げ、顔を少しだけ横にずらしてカレンダーを確認する。まだ九月。もう九月。
就職先は決まらない。
果たして私はいつまであのコンビニで働くのだろうか。
※ ※ ※
恋人だって作ろうと思えば作れるはずだ! だけど、この異世界コンビニ、ありがたくもないことに体格のいい男子しかいないよ! 戦う筋肉男とか望んでないし、店長しているのに腹筋が割れてる男もごめんだよ!
「ほら、想像してごらん? クーラーをつけなくちゃいけないほど寝苦しい夜に、ベッドの隣で眠る男が、筋肉モリモリの男だったら……! 無駄な熱量のくせに、そういう男に限って、きっと腕枕とか強要してくると思うんだ。ウザいし、蒸れるし、暑いと思う。ちょっとでも動けば熱を発する筋肉って、本当に暑苦しい。クーラーもエコ温度じゃ、たぶん筋肉達磨には効かないだろうし。女の子は基本、体を冷やしちゃいけないのに、夏の夜にガンガンクーラーかけなくちゃいけない相手を恋人にしたいと思うか? 私の答えはノーだ」
「……ええと、色々突っ込みたいところが多すぎなんだけど、とりあえず俺はそんなに筋肉達磨じゃないから。あと、初めからベッドシーンを想定しているソラちゃんが欲求不満にしか思えないのは、俺の気のせい?」
「誰も店長を相手として想定してない。図に乗るな」
「図になんか乗ってないよ!」
「ピチピチの処女にセクハラぶちかますな、このエロ店長」
「うわぁ……、そういう絡みづらいこと暴露されると困るんだけど」
「店長みたいな男って処女厨のくせして、処女って処女に言われると引くよね? 馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ?」
「ゴメンナサイ、もう絡まないから仕事してください」
「今、私がしているのは何ですかぁ? 見て分からないんですかぁ?」
バックヤードから台車に載せて運んできた弁当を並べながら、私はそう問う。すると隣のパン棚の在庫確認をしていた店長は、その無駄に大きい体を縮こませる。
「俺、そんなにソラちゃんを激怒させるような酷いこと、言いましたか?」
そう問われたが、三十路男のご機嫌伺いほど気持ち悪いものはないと考える私には当然通じない。いつもより五割増しで言い返しがキツイことに、昨晩の電話が関係していることは、もちろん言わない。
「ソラちゃんって本当、俺に容赦ないよね……木村君にはもっと優しくなかったっけ?」
「彼は白魚まではいきませんがほっそり繊細男子ですから。そういう男の子ばかりの世界になればいいのに。この世界を征服したら、そんな繊細少年・青年だらけの世界に変更できませんかね?」
「ソラちゃん、この世界に来ても、お約束のチート能力なんて君にはないからね……くれぐれも外に出ようとはしないでよ」
途中まで冗談だったのに、最後は真顔で店長はそう言った。
チート能力がないのは残念だが、たとえあったとしても二度と日本に戻れないんじゃ、私にとってそれほどの魅力はない。
「出る気なんて店長の毛根ほどないですよ」
「待って、俺の頭、ハゲてない!」
「え? 後ろ、気づいてないんですか?」
店長が大きく目を見開いて自分の後頭部を触り始める。
「まあ、嘘ですけど」
「嘘なのかよ! ナイーブな年頃なんだから、そういう嘘は冗談でもやめてくれる?」
「私はナイフな年頃だから、全てを切り裂きたくて仕方ないんだ……!」
「何、その中学生みたいな発想! うまい風に言ってるけど、全然反省してないじゃないか!」
店長がキャンキャンとうるさいので、私は「ハッ」と鼻で笑ってみせる。
「そこら辺、うまくかわす大人の包容力がないから嫁が来ないんだよ」
「もう、ソラちゃんの中では俺に嫁が来ないことはネタになっているよね? それ、本当、俺としてはネタにできないくらい、切実な問題なんだけど……!」
「あ、そういえば店長ってプルナスシアの人って言ってましたけど、こっちの世界にも日本人と欧米人みたいなハーフってあるんですか?」
「俺の嫁問題はスルーかよ!」
スルー案件以外の何ものでもないだろう。いちいち怒るなんてカルシウムが足りないんじゃないだろうか、店長。
そっとドリンク棚からヨーグルト系ドリンクを差し出すと、店長は無言で自分のエプロンポケットに入れやがった。やはりカルシウムが足りなかったらしい。
「一三〇ラガー」と言うと、店長は疲れた顔で「はい」と返事した。売り上げに貢献するなんて、私、偉い。
「で、店長はハーフなんですか?」
「え? 『で?』っていきなりじゃない?」
「いきなり会話が変わるのはいつものことじゃないですか」
私がしれっと言い放つと、店長は「ハイ、ソウデスネ」と頷いた。
その顔は、やはりどちらかというと日本人寄りだ。
ジグさんや王子を見ると完璧西欧系の顔立ちだったのに、店長はどこか薄めの日本人寄りだったから気になっていたのだ。もしかしたら、日本人に近い人種もいるのかな、と。
そうしたら、もっと筋肉の薄い人もいるのではないかという期待が裏にあったことは内緒だが、店長から返ってきた言葉は思いがけないものだった。
「俺はこっちの人間と日本人のハーフだよ」
仕事をしていた手を止めて、まじまじと店長を見上げれば、店長は少し苦笑いを浮かべた。
「俺の母親がこっちの世界に来て、親父と結婚したんだ。だから、俺はどっちの世界にも行けるの」
つまり、親の遺伝子がないと両方の世界は跨げないということか。私がこのコンビニから外に出たら戻れないのに、店長だけ自由に行き来できるのにはそんな理由があったとは。
意外に矛盾しない理由に感心した。出鱈目な魔法を使うから、店長だけは治外法権みたいなものなんだと思っていた。
「え? お母さんが日本人ってことは、こっちの世界に来ているなら……」
「そうだね。帰れなくなったね」
サラリと告げられた事実は、ちょっと私には怖かった。説明は受けていたけれど、実際にそうなった人がいると知ると現実味が増して怖い。
店長はそんな私の様子に気づいたらしく、ポン、と頭に手を乗せて優しく言う。
「今じゃ俺と妹もいるし、こっちの世界にも慣れちゃったから、ケロッとしているよ。うちの母親は」
「……そうですか」
「まあ、ソラちゃんの場合、コンビニから出ない限り、戻れなくなるっていうことはないから安心して」
「……今の店長の言葉のどこに安心できる要素があるだろうか。否、ない」
「ちょっとしおらしくなったと思えばこれだもんなぁ……」
店長はまた苦笑いを浮かべて、私の頭から手を離した。私は少し乱れた髪を撫でつけながら、店長に背を向けて弁当並べに勤しむ。
何となく微妙な空気になったのを払拭したのは、定番の機械電子音だった。
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
「いらっしゃいませー」
いつも通り声を上げて、来店してきた人物を確認する。ジグさんかと思ったら違った。
「うわあ……」
思わず声を出してしまったのは許してほしい。だって、この世界のお客さんで〝女の子〟を初めて見たのだから。
どうやらこのコンビニは、森の中という場所柄、魔物がいるらしく、普段はゴツゴツした強面の男性客ばかり来る。女性もたまに来るが、兵士っぽい出で立ちの人が多く、申し訳ないが〝可愛い女の子〟という雰囲気の人はいない。
しかし、どうしたことか。今、来店してきた女の子は、まさに可愛い〝女の子〟だった。
薄いピンク色のシンプルな貫頭衣を着ている。それにしては体のラインが全く出ないシルエットなので、どちらかと言うと魔法使いのローブみたいだ。ただ、ローブのようにダボッとして見えないのは、胸元で切り替えしが入っており、大きなセーラー状の襟がついているからだろう。強いて言うなら僧侶が着そうな服だ。着る人を凄く選びそう。
女の子はその可愛らしいピンク色に見合った、淡い水色をしたストレートの長い髪を持ち、綺麗な薄紫色の瞳が印象的だった。特に髪は、地球では自然に持ち合わせる人のいない色だったから、改めてここが異世界なのだと実感してしまう。
強盗犯は必死に何かを話そうとしている。だが、私は何も見ていないし、何も聞こえない。
「よし、お弁当を並べ直そう」
私は日常離れした現実から目を逸らすために、あえて日常の行動をすることにした。おっと、あやうく弁当を取り落としそうになったが、大丈夫。
ちなみにこのコンビニの賞味期限切れ食品は、全てこのボウちゃんが食べてくれる。どこから食べるのかというと、あの防犯カメラのレンズ部分が真っ黒になり、大きくなって口になるのだ。ボウちゃんはそこに廃棄弁当を放り込んで美味しそうにムシャムシャと食している。餌代がかからない上に、ゴミ処分にも困らなくて、とてもエコロジー。
かつ、防犯もしてくれるなんて、何て使える触手なんだ!
そうしてボウちゃんを賞賛しつつ弁当を並べていると――
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
と、いつもの軽快音と共に、「よぉ!」とジグさんが入ってくる。この人、こんなに毎日コンビニに来ているけど、本当に仕事しているのだろうか。不思議で仕方ないが、外の世界のことを聞いて変なフラグを立てても嫌なので、私は何も聞いていない。
それはともかく、今は知人の存在は心強い。不覚にもホッとしてジグさんに駆け寄る。
「お、きちんと捕まっているな」
ボウちゃんの方を見ながら、ジグさんがそう言った。その瞬間、ボウちゃんがいる方から変な声が上がる。
「ふぁ……!」
「あ、喰われた」
実況中継しないでほしい。
店長曰く、強盗犯などはボウちゃんがしかるべきルートでもって、異世界側の、警察みたいな組織に転送してくれるらしい。
だけど、今、「喰われた」ってジグさん言わなかったか?
私はいつも、ボウちゃんがレンズから廃棄弁当を食す場面を見ているけれど――
「……」
「喰われた」ってことは、同じ口? 同じ口なの?
少し考えてから、私は考えることを放棄した。人間には開けなくていい扉がたくさんあるはずだ。決して、食べてはいない――はずなのだ。たとえ、コンビニ弁当を処分する時と同じように「喰われた」としても、そこはきっと店長の魔法とやらでなんとかなっているのだろう。
……うん、そう思おう。
「ソラちゃん、大丈夫!?」
店長が、慌てた声を出して事務室から出てくる。おそらく、ボウちゃんが反応したことに気づいてこちらの店舗に来たのだろう。
日本のコンビニで働いていた時も、事務室に入った店長がそのまま行方知れずになることがたまにあったのだが、それはこういう理由だったのか――と、今ようやく理解した。バイト仲間の間では七不思議だったのだが、その理由が異世界に行っていたとか、知りたくなかった。
「早く元の店舗に戻せや、変態店長」
「心配して駆けつけたのに、開口一番がそれっ!?」
「ボウちゃんが、いい仕事してくれたから大丈夫ですよ」
「おう、俺も見ていたが、なかなかの食いっぷりだったぜ」
ジグさんがニタニタしながらそう言ったが、食べてないですから。
転送ですから。――多分。
「第一、魔法でなんとかしてくれるなら、もっと他の手はなかったんですか? 手は手でも触手って、ちょっと引きます」
「ソラ、諦めろ。アレイの変態は昔からだ」
ジグさんは店長と幼馴染というポジション故に、どうでもいい店長情報をたまに教えてくれる。本当にどうでもいい。
店長は「容赦ないっ……」と半泣きになりながらも、私の体を頭からつま先まで眺めて、傷がないことを確認すると、ふぅ、とため息を漏らした。
そんなに心配してくれるなら、元の店舗に戻してくれればいいのに。
とはいえ、ここの店員になるのは適性が必要で、それを持っている人がなかなか見つからないそうだ。その稀なコンビニ店員に選ばれてしまった自分の不運さを私は呪いたい。
「いっそのこと、ジグさんを店員として雇えばいいのに。そうすれば私も元の店舗に戻れるし、ジグさんも毎日、おにぎり食べ放題ですよ?」
「店員が商品食べつくすコンビニなんて聞いたことないよ! あと、このコンビニで働けるのは地球人だけなんだよ。そこら辺、何度も説明したよね?」
「はいはい聞きました。何度も言われなくても分かってます、変態店長」
「ねぇ? いつまで変態つけるの? 俺の人格疑われるからヤメテ!」
「疑われるほどの人格、ありましたっけ?」
ニッコリと微笑みかけてやれば、店長は「ぐはっ」と呻いて項垂れた。勝者、私。年齢と力では敵わないけれど、口だけなら私の無敗神話継続中だ。
「ホラ、ソラ。あんまりいじめてねぇで勘定してくれ」
基本、ゆっくりしていくジグさんだが、珍しく今日は早々に帰るらしい。促されて私はレジに向かう。
店長は「あ、じゃあ、俺はこの台車片づけてくるね」と言って、台車を押してバックヤードに入って行った。
ピッ、ピッ、とバーコードを読み取っていくと、ジグさんが私の顔を見ながら言う。
「大丈夫だっただろう?」
意味深にジグさんがそう言ったので、「この野郎」と思わず口から出た。ジグさんは私を見下ろしながら、ニヤリと笑う。
「この店に強盗が入ろうが、絶対にお前の身に危険は及ばねえよ」
先日の王子来訪の時、「こんな客も来ない森の中で、強盗なんて来るもんですか」と言ったのは私だ。その言葉をこの傭兵はしっかり聞いていたらしい。
だけど、そのすぐあとにコレとか。
ああ、そうですか。あんた、今日、強盗が入ってきたのを見ていたのか。だったら、私だって言い返してやろうじゃないか。
私はジグさんの買ったおにぎりを袋に詰め込むと、ジグさんに手渡した。そしてその目を見て、言う。
「いつも、ありがとうございます」
「……」
ジグさんは眼帯に隠されていない片目をわずかに見開く。
「それは何に対しての『ありがとう』だ?」
「ん~。いつもこのコンビニの外を掃除してくれる『ありがとう』?」
ジグさんの目がさらに見開く。私の予想はやはり正解だったらしい。
強盗なんて来ないと話した直後に強盗が来るなんて、タイミングが良すぎる。
これは一種の〝防犯訓練〟だ。
私が万が一、強盗に遭っても、この店の中では安全だということを証明する訓練だったのだろう。
もちろん、あの強盗が訓練のために用意されたわけではない。だって駆けつけてきた店長は本当に心配そうに私を見ていたし、あの強盗犯も演技には到底思えなかった。
だけど、そんなに簡単に強盗がやって来るのか。偶然? そんなことはない。答えは簡単だ。頻繁に来ていたけれど、このコンビニにたどり着けなかったのだ。
つまり、今まで来ていたはずの強盗という招かれざるお客さんは、コンビニに入る前に掃除されていたと考えられる。
毎日、来店するガタイのいい傭兵さん。何の仕事をしているのか分からなかったが、これだけ来るということは、このコンビニに何かしらかかわりがあるに違いない。しかも元々店長の顔見知りだ。
この方程式、間違ってないよね?
私がジグさんを見上げると、彼はポンポンと大きな手で私の頭を叩く。
「礼ならアレイに言え」
正解ですか。まあ、今回強盗を招き入れたのはジグさんの独断っぽかったけど、彼がこのコンビニを守ってくれることは間違いないようだ。
そうすると、また別の疑問が浮かんでくるのだが、今は、それはあえて触れないでおこう。嫌な予感しかしないから。
ジグさんは、いつものチャラい雰囲気はなく、まるで妹か子供みたいに私を扱ってきた。そういう時、わずかだが眼帯のない左目の目元に笑い皺ができて、本当に笑っているんだな、ということが分かる。
「そんじゃ、また来るわ」
「はい、ありがとうございましたー」
今度のありがとうは店員のマニュアル言葉だ。
そうして、ジグさんはおにぎりも食べずにコンビニを出ていった。
早々と出ていったのは、このコンビニ周辺を警邏するためなのだろう。あの強盗犯が単独犯とは限らないのだから。
あー、あんなに筋骨隆々でなければ、ときめいたりもしそうなのに、つくづくこの世界の男性は私の趣味に反していて残念すぎる。
「ごめんね、ソラちゃん。大丈夫だった?」
台車を片づけた店長が、心配そうに戻ってきた。バックヤードにまで今の会話は筒抜けだったのだろう。
「もうこんな怖い思いはしないと思うから」
そう言った店長の顔は少し怒っていた。私に対してではないことはすぐに分かる。
「いや、またこんな思いしたら速攻で辞めてやりますよ」
この一件でつくづくこの世界が私の世界とは違うと思い知らされたが、危機意識を持つことも兼ねての防犯訓練だったのなら成功だ。でも、実地ではやめてほしい。
「怖かったよね?」
店長が心配そうに私を見てくる。
「怖くないですよ」
私は下唇を少し噛んでから、しれっと嘘を吐く。
「そうか、ソラちゃんは頑張り屋さんだ」
そう返す店長の言葉は、この五年でよく聞いてきたものだ。私が強がる時、店長はいつもそう言う。私が素直でないところは、すっかり店長にお見通しらしい。
「ごめんね、怖い思いさせて」
「だから、怖くなかったです」
たとえ、足がまだ小刻みに震えていようが、そんなことを店長に悟らせてなるものか。「怖かったです」って半泣きで男に縋れるほど、私は素直女子ではないのだから。
「これ飲んで、ちょっと休憩しようか」
店長がそう言って、ホットコーナーからコーヒーを二缶持ってくる。
「二〇〇ラガーです」
すかさず私がそう言うと、店長は「了解」と言いながら、お金は払わなかった。まあ、急いで日本から駆けつけたのでこちらのお金を持っていなかったのだろう。くれぐれもあとでお金を入金しておくように告げてから、二人で熱めのコーヒーを飲んだ。
コーヒーのプルタブまできちんと開けてくれたって、こんな安いもので私は流されないからな!
だけど、強盗は二度と入らないでほしい。もし入ったら、ボウちゃんに食べてもらう――間違えた、しかるべき組織に転送してもらおう。
「あのね、ソラちゃん。あの触手、入り口は同じだけれど、きちんと食べ物とそれ以外で出る場所は違うからね」
「じゃあ、今度店長が食べられてそれを証明してください」
「……」
「黙るな」
異世界コンビニは今日も平和だ。多分。
3 異世界コンビニって出会いないの?
私の休みは土日ではない。立地条件によって忙しい曜日が異なるのだが、住宅地などでは土日でも人が入るし、会社近辺なら平日の方が人の入りが多い。あと、天気にも左右される。
まあ、森に囲まれた異世界コンビニに、かき入れ時なんてものは当然存在しないのだが。
ここに移ってからも、私の休みに土日連休というシフトはない。月の休みは計八日前後だ。
学生の頃は、それほどシフトを入れていなかったが、今ではガンガンに入っている。何故なら、学生時代には納入延長されていた国民年金の支払いがあるからだ。学生でなくなった私は、たとえ無職でも払っていかなければならない。働いたら働いたで社会保険やら雇用保険加入の義務が生じてしまうが、稼がなくてはならないのだ。
それに親に対してだって、微々たるものだが、毎月一万円の食費を収めている。それは、就職浪人する時に親と約束したことだ。
最近、就職も決まらないフリーターということで、何となく実家に居づらくなってきたなんて絶対に思うものか!
と、少し脱線したが、そんなわけで一般の社会人とは休みが合わなくなる。
「ごめん、飲みに行けない」
自室のベッドで私は電話を受けていた。電話の相手は高校時代からの友人だ。
「せっかくの合コンなのにぃ」
今年、晴れて地元のメーカーに就職した友人は残念そうな声を上げるが、無理なものは無理だ。
「だってその翌日も仕事だし」
「バイトなら休んでもいいんじゃない?」
くそ。なんでそんな安易な考えの友人が受かって、生真面目にバイトしている私がことごとく面接試験に落ちるのだろうか。
「顔か、やはり顔なのか!」
電話の向こうの友人は、ひいきを抜きにしても可愛い。ふわふわカールのゆるゆるガールだ。色んな意味でな!
「奏楽ちゃんは一言余計なんだよ」
ゆるゆるの友人だけど、それでも言うべきことはきちんと言ってくれる冷静さを持っている。今もしっかりきっかり私を分析してくれる。毒舌な私と、ゆるふわだけど言うべきことは言う彼女は、色々あれど仲良しなのだ。男関係は両極端であっても。
「コンビニって出会いないの?」
合コンに誘っておきながら、そんなことを聞いてくる友人に、私は「ない」ときっぱりはっきり断言する。
「でも、男性のお客さんとか来るでしょ?」
今の職場で来る連中は、皆屈強な戦士の体を持つ輩ばかりなんですが。全くもって範疇外なのですが。
言いたいことはたくさんあったが、とりあえず無難に答えることにした。
「お客とっていうのはちょっと……」
「じゃあ、同じ店員さんとか……。あ! 店長さんとは相変わらず仲いいんでしょ?」
「あ?」
聞き返した「あ」は、間違いなく濁点付きの「あ」だ。やめてください、気持ち悪い。
「あの店長さん、イケメンだよねぇ」
またか、と思った。この友人もそうなのだが、コンビニに遊びに来た友人は皆こう言うのだ。「店長さん、イケメンだね」と。
まあ、五十歩譲ってイケメンだとしよう。だが、それがどうしたというのだ。
「前から言っているけど、私はほっそりした優しげな人が好きなんだよ」
身長なんて高くなくていい。男臭くない感じがいいのだ。
「まあ、好みは人それぞれだけどね」
と言ったあと、「でもね」と悪友はクスクス笑いながら言葉を続ける。
「店長さんのこと話してる時の奏楽ちゃんは好きだよ、私」
この小悪魔め。同性の私まで誑かすとか、どんな百戦錬磨だよ、それ。自分のことを好きだと言われて、文句を言い返せるか。
「はいはい、分かりました」
「まあ、店長さんと仲良くね。また合コン誘うから」
そして電話を切って、私はベッドに突っ伏した。なんだかドッと疲れた気がする。
「あ――」
間延びした声を上げ、顔を少しだけ横にずらしてカレンダーを確認する。まだ九月。もう九月。
就職先は決まらない。
果たして私はいつまであのコンビニで働くのだろうか。
※ ※ ※
恋人だって作ろうと思えば作れるはずだ! だけど、この異世界コンビニ、ありがたくもないことに体格のいい男子しかいないよ! 戦う筋肉男とか望んでないし、店長しているのに腹筋が割れてる男もごめんだよ!
「ほら、想像してごらん? クーラーをつけなくちゃいけないほど寝苦しい夜に、ベッドの隣で眠る男が、筋肉モリモリの男だったら……! 無駄な熱量のくせに、そういう男に限って、きっと腕枕とか強要してくると思うんだ。ウザいし、蒸れるし、暑いと思う。ちょっとでも動けば熱を発する筋肉って、本当に暑苦しい。クーラーもエコ温度じゃ、たぶん筋肉達磨には効かないだろうし。女の子は基本、体を冷やしちゃいけないのに、夏の夜にガンガンクーラーかけなくちゃいけない相手を恋人にしたいと思うか? 私の答えはノーだ」
「……ええと、色々突っ込みたいところが多すぎなんだけど、とりあえず俺はそんなに筋肉達磨じゃないから。あと、初めからベッドシーンを想定しているソラちゃんが欲求不満にしか思えないのは、俺の気のせい?」
「誰も店長を相手として想定してない。図に乗るな」
「図になんか乗ってないよ!」
「ピチピチの処女にセクハラぶちかますな、このエロ店長」
「うわぁ……、そういう絡みづらいこと暴露されると困るんだけど」
「店長みたいな男って処女厨のくせして、処女って処女に言われると引くよね? 馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ?」
「ゴメンナサイ、もう絡まないから仕事してください」
「今、私がしているのは何ですかぁ? 見て分からないんですかぁ?」
バックヤードから台車に載せて運んできた弁当を並べながら、私はそう問う。すると隣のパン棚の在庫確認をしていた店長は、その無駄に大きい体を縮こませる。
「俺、そんなにソラちゃんを激怒させるような酷いこと、言いましたか?」
そう問われたが、三十路男のご機嫌伺いほど気持ち悪いものはないと考える私には当然通じない。いつもより五割増しで言い返しがキツイことに、昨晩の電話が関係していることは、もちろん言わない。
「ソラちゃんって本当、俺に容赦ないよね……木村君にはもっと優しくなかったっけ?」
「彼は白魚まではいきませんがほっそり繊細男子ですから。そういう男の子ばかりの世界になればいいのに。この世界を征服したら、そんな繊細少年・青年だらけの世界に変更できませんかね?」
「ソラちゃん、この世界に来ても、お約束のチート能力なんて君にはないからね……くれぐれも外に出ようとはしないでよ」
途中まで冗談だったのに、最後は真顔で店長はそう言った。
チート能力がないのは残念だが、たとえあったとしても二度と日本に戻れないんじゃ、私にとってそれほどの魅力はない。
「出る気なんて店長の毛根ほどないですよ」
「待って、俺の頭、ハゲてない!」
「え? 後ろ、気づいてないんですか?」
店長が大きく目を見開いて自分の後頭部を触り始める。
「まあ、嘘ですけど」
「嘘なのかよ! ナイーブな年頃なんだから、そういう嘘は冗談でもやめてくれる?」
「私はナイフな年頃だから、全てを切り裂きたくて仕方ないんだ……!」
「何、その中学生みたいな発想! うまい風に言ってるけど、全然反省してないじゃないか!」
店長がキャンキャンとうるさいので、私は「ハッ」と鼻で笑ってみせる。
「そこら辺、うまくかわす大人の包容力がないから嫁が来ないんだよ」
「もう、ソラちゃんの中では俺に嫁が来ないことはネタになっているよね? それ、本当、俺としてはネタにできないくらい、切実な問題なんだけど……!」
「あ、そういえば店長ってプルナスシアの人って言ってましたけど、こっちの世界にも日本人と欧米人みたいなハーフってあるんですか?」
「俺の嫁問題はスルーかよ!」
スルー案件以外の何ものでもないだろう。いちいち怒るなんてカルシウムが足りないんじゃないだろうか、店長。
そっとドリンク棚からヨーグルト系ドリンクを差し出すと、店長は無言で自分のエプロンポケットに入れやがった。やはりカルシウムが足りなかったらしい。
「一三〇ラガー」と言うと、店長は疲れた顔で「はい」と返事した。売り上げに貢献するなんて、私、偉い。
「で、店長はハーフなんですか?」
「え? 『で?』っていきなりじゃない?」
「いきなり会話が変わるのはいつものことじゃないですか」
私がしれっと言い放つと、店長は「ハイ、ソウデスネ」と頷いた。
その顔は、やはりどちらかというと日本人寄りだ。
ジグさんや王子を見ると完璧西欧系の顔立ちだったのに、店長はどこか薄めの日本人寄りだったから気になっていたのだ。もしかしたら、日本人に近い人種もいるのかな、と。
そうしたら、もっと筋肉の薄い人もいるのではないかという期待が裏にあったことは内緒だが、店長から返ってきた言葉は思いがけないものだった。
「俺はこっちの人間と日本人のハーフだよ」
仕事をしていた手を止めて、まじまじと店長を見上げれば、店長は少し苦笑いを浮かべた。
「俺の母親がこっちの世界に来て、親父と結婚したんだ。だから、俺はどっちの世界にも行けるの」
つまり、親の遺伝子がないと両方の世界は跨げないということか。私がこのコンビニから外に出たら戻れないのに、店長だけ自由に行き来できるのにはそんな理由があったとは。
意外に矛盾しない理由に感心した。出鱈目な魔法を使うから、店長だけは治外法権みたいなものなんだと思っていた。
「え? お母さんが日本人ってことは、こっちの世界に来ているなら……」
「そうだね。帰れなくなったね」
サラリと告げられた事実は、ちょっと私には怖かった。説明は受けていたけれど、実際にそうなった人がいると知ると現実味が増して怖い。
店長はそんな私の様子に気づいたらしく、ポン、と頭に手を乗せて優しく言う。
「今じゃ俺と妹もいるし、こっちの世界にも慣れちゃったから、ケロッとしているよ。うちの母親は」
「……そうですか」
「まあ、ソラちゃんの場合、コンビニから出ない限り、戻れなくなるっていうことはないから安心して」
「……今の店長の言葉のどこに安心できる要素があるだろうか。否、ない」
「ちょっとしおらしくなったと思えばこれだもんなぁ……」
店長はまた苦笑いを浮かべて、私の頭から手を離した。私は少し乱れた髪を撫でつけながら、店長に背を向けて弁当並べに勤しむ。
何となく微妙な空気になったのを払拭したのは、定番の機械電子音だった。
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
「いらっしゃいませー」
いつも通り声を上げて、来店してきた人物を確認する。ジグさんかと思ったら違った。
「うわあ……」
思わず声を出してしまったのは許してほしい。だって、この世界のお客さんで〝女の子〟を初めて見たのだから。
どうやらこのコンビニは、森の中という場所柄、魔物がいるらしく、普段はゴツゴツした強面の男性客ばかり来る。女性もたまに来るが、兵士っぽい出で立ちの人が多く、申し訳ないが〝可愛い女の子〟という雰囲気の人はいない。
しかし、どうしたことか。今、来店してきた女の子は、まさに可愛い〝女の子〟だった。
薄いピンク色のシンプルな貫頭衣を着ている。それにしては体のラインが全く出ないシルエットなので、どちらかと言うと魔法使いのローブみたいだ。ただ、ローブのようにダボッとして見えないのは、胸元で切り替えしが入っており、大きなセーラー状の襟がついているからだろう。強いて言うなら僧侶が着そうな服だ。着る人を凄く選びそう。
女の子はその可愛らしいピンク色に見合った、淡い水色をしたストレートの長い髪を持ち、綺麗な薄紫色の瞳が印象的だった。特に髪は、地球では自然に持ち合わせる人のいない色だったから、改めてここが異世界なのだと実感してしまう。
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