その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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5.教えて、偉い人

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 翌日、景はカフェ「ファウスト」での勤務を終えたあと、ティンカー・ベルと待ち合わせた。そして、ぬいぐるみになりきっている悪魔をカバンに忍ばせ、セミナーに向かった。

「いよいよ今日で最後だね~」
「またどこかで会えるといいね」
「景ちゃん、『ファウスト』でバイトしてるんでしょ? 今度お茶飲みに行くね」
「あ、是非、遊びに来てください!」

 顔見知りになった受講生たちとも、今日でお別れである。景が皆と別れを惜しんでいる間に、ティンカー・ベルは誰にも見つからないようカバンから抜け出し、こっそりと行動を開始した。
 教室と同じ階の端が、講師の控え室だ。その部屋で、瓜生 恭香は資料に目を通していた。
 ノックもなく、扉が開く。瓜生が不審げに顔を上げると、入り口には一人の青年が立っていた。
 背が高く、グレーのスーツがよく似合っている、逞しい体つきのイケメン。だがある種の者は、彼の正体をたちどころに看破する。
 青い肌に頭には角、尖った大きな耳に、背中には黒い羽と尻尾を持つ。
 ――悪魔だ。
 しかし異形の魔物を間近にしても、瓜生は少しも動じなかった。

「あら……。久しぶりね、ティンカー・ベル」
「そうだな、『死神』。もう何年ぶりになるか」
「ちょっとやめてよね、その蔑称。ちゃんと名前で呼んでちょうだい。私はあなたたちと違って、名前に縛られることはないのだから」

 瓜生は気分を害したのか片方の眉を上げ、椅子から立ち上がった。

「ウリエル。いよいよ貴様自ら、『聖母』を狩り出したのか」
「うふ、そうよ。ガブちゃんとは違うアプローチをしてるの。だって、あの子のやり方はまどろっこしいんですもの。任せておいたら、あっという間に寿命が来ちゃうわ」
「――お前たちがどういう狩りをしようが、興味はないが」

 瓜生の話を遮り、ティンカー・ベルは腕を組んだ。

「大蔵田 景には、手を出すな。あれは我の契約者だ」
「あら……」

 瓜生は驚いたように瞬きし、白く滑らかな頬に手をやった。

「そうだったの? 素晴らしい逸材だと思っていたのに。だってあの子、混ざってるでしょ? それなのに、純潔を保っている。実に興味深い個体じゃない」

 そこまで言うと、瓜生はぺろりと舌なめずりした。

「――私の卵を、孕んで欲しかったのに」

 瓜生は、だがすぐに妖艶な雰囲気を払い、いつもの清潔感溢れる講師の顔に戻った。

「ま、たかが人間一匹のことで、超上級悪魔様とやり合うつもりはないわ。――了解しました。大蔵田 景のことは、諦めましょう」

 こうして、人ならざる者たちの交渉は、あっさり決着がついたのだった。




「目指せ! 婚活無双」は、滞りなく終了した。

「この一ヶ月のことを活かして、皆さん、素敵な男性をゲットしてくださいね」

 瓜生の締めの挨拶に、参加者たちは力強く一斉に「はい!」と応じた。
 身支度を終えた人々が帰り始めるタイミングで、瓜生は稲荷と団三を呼んだ。

「稲荷さん、団三さん。お二人は少し残ってくださる?」

 おそらく昨日渡した怪しい薬についてや、意中の相手へのアタックがうまくいったかどうか首尾を聞くのだろう。
 しかし瓜生は、景には声をかけなかった。

 ――私はいいのかな?

 景はおずおずと瓜生の顔色を伺ったが、瓜生は景に一瞥もくれなかった。いつの間にか戻っていたティンカー・ベルが、カバンの中から景の服を引っ張る。

「いいから、帰るぞ」
「う、うん……」

 すっきりしない気分のまま、景はティンカー・ベルと共に帰った。




「目指せ! 婚活無双」、最後の面談が始まる。
 昨日と同じく教室の中央に瓜生は陣取り、その前に稲荷と団三が並んで座った。

「さて、そうだった? ――なんて、聞くまでもないわね」

 稲荷と団三の顔を見比べ、瓜生は苦笑した。
 二人の表情は対照的だった。稲荷は今にも泣き出しそうだったし、一方の団三は喜色満面である。
 先に口を開いたのは、団三のほうだった。

「先生! あの薬、すごい! おかげで私、彼と――!」

 瓜生は手を突き出し、団三の話を阻んだ。

「はいはい、良かったわね。団三さんはもういいわ。お疲れさま。早く帰って、彼氏さんと会ったらどう? 今が一番楽しいときですものね」

 にこやかではあるが、瓜生の団三に対する接し方は、どことなく冷たかった。教え子が自分の導きによって幸せを掴んだのだから、もう少し喜んでやっても良さそうなものなのに。
 しかし団三は手に入れたばかりの恋に夢中なのか、講師の変化に気づかず、いそいそと控え室から出て行った。そんな仲間を、稲荷は恨めしそうに見詰めている。

「さてと」

 団三が退室してしまうと、瓜生は稲荷に向き直った。その途端、稲荷は堰を切ったように、わーっと大声で泣き始めた。

「先生、ひどい! あの薬はなんなんです!?」
「落ち着いて。なにがあったのかしら?」

 取り乱している稲荷を前に、瓜生は自らのペースを乱すことなく、冷静に問い質した。

「ずっ、ずっと好きだった男性のお茶に、せ、先生からもらったおまじないの薬を入れて、飲ませたら……。その人、いきなり私の目の前で、で、電話をし始めて……女の人を呼び出したらしくて……」
「女の人? どういう関係の女性なの?」
「せ、せ、セフレっていうんですか? そっ、そんな相手に、あの人、電話して! 汚らわしい! 私に、『ヤッてるとこ、見てく?』なんて言って! わ、私がいるのに! 『お前みたいな性格の悪いブスを抱く気にはならないけど、観客としてなら役に立つ』なんて、笑って……っ!」

 瓜生が渡した強精剤は、確かに効いたらしい。
 が、稲荷が恋心を抱いた相手は、発情しても稲荷にはその気にならず、代わりの女を呼びつけたのだという。
 稲荷も口では好きな男にセックスフレンドなんてものがいたことを責めているが、実際は彼が自分を選んでくれなかったことにショックを受けているようだ。

「あー」

 瓜生は天を仰いだ。笑ってはいけないが、滑稽である。
 稲荷の人間性に問題があることは分かっていた。仕事だから平等に接していたが、本来であれば口をきくのも嫌なタイプの女だ。
 だが、そんなことは関係ない。
 性格が悪かろうが良かろうが、頭が悪かろうが良かろうが、容姿が悪かろうが良かろうが。
 瓜生が着目し、選定対象とする箇所は、一点のみだ。

「ねえ、稲荷さん。泣かないで」

 この世の終わりとばかりに、おいおい泣き崩れている稲荷の肩に、瓜生は手を置いた。この様を景が見たならば、驚いたかもしれない。誰かに触れられることを、触れることを嫌っていたあの瓜生が、こんな真似を、と。
 結局、景は誤解したままだった。瓜生は人と接触すること全てを、嫌っているのではない。ごく一部、ある特性を持つ者には、寛容であるのだ。

「逆に考えるのよ。その男の下劣な人間性が分かって、良かったじゃない。ええ、ええ、本当に、あなたが汚される前で、幸運だったわ」
「え……?」

 泣き濡れた目で自分を見上げる稲荷に、瓜生は微笑み返した。

 ――本当に嘆かわしい世の中だわ。

 今回の集いには、たった三人しか、「聖母」になる資格を持つ女はいなかった。
 なんて乱れているのだろう。
 人間の女は全く分かっていない。男を、穢れを受け入れたその瞬間、女の価値は下がるというのに。

「おめでとう、稲荷さん。あなたは見事、最終試験に合格しました。愛だの恋だのといった愚かで邪悪な誘惑に負けず、処女を貫き通した」

 理想は、情欲の炎が燃え盛る場でも自分を見失わず、乙女のままでいること。ほいほい股を開く女には、用はない。――稲荷の場合はそれ以前に、男の側から拒まれたのだから、これには当てはまらないが。
 しかし贅沢は言っていられないから、今回はよしとしよう。
 最大の獲物は既に悪魔のお手つきになっていて、逃すしかなかったのだから。

「先生……?」

 師と仰ぐ人物の姿に、稲荷は泣くのを忘れ、見入っている。
 瓜生は美しい。特に今この時、彼女は人間よりももっと、次元の高い生きもののようで――。

「さあ、天国に連れて行ってあげましょう」

 稲荷は、瓜生の背後にまばゆい光を見た気がした。その瞬間、彼女は悟った。

 そうか、自分を救ってくれるのは、あんな男ではなく。
 一ヶ月間に及ぶ講義でもなく。

 ただ、この人だったのだ。




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