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7.決断のとき
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今でこそ和気あいあいな風吹のチームも、発足した当初はぎくしゃくしていた。
そもそもA子もB子もC子も、最初は「落ちこぼれ」というレッテルを貼られ、配属されてきたのだ。周囲との衝突が絶えなかったり、または逆に「積極性に欠ける」として戦力外とされていたり、彼女たちには散々な評価が下されていた。人事部は、主任に昇格したばかりの風吹に、そんな部下たちを押しつけたのである。
しかし風吹は、だからといって腐らなかった。A子たち三人が実力を発揮できない理由を、経験として知っていたからだ。
現在はだいぶ改善されたものの、土木・建築の分野は男社会である。風吹の勤める会社にも、そんな風潮は色濃く残っていた。
例えば花型の営業部で役職持ちは全員が男性だとか、女性はたいして案件を任せてもらえず、サポートばかりさせられていたとか――。
悪しき慣例は枚挙に暇がない。
そのような土壌へ足を踏み入れた、新しい世代であるA子B子C子たちを、男性上司たちはうまく扱えなかった。必要以上に厳しくし過ぎたり、逆に閑職に回したりしたのだ。
不当にそんな目に遭えば、誰だってやる気も出ないし、成長も見込めない。同僚や上司との信頼関係だって結べないだろう。
だから風吹が主任になってA子たちにしたことは、ただ「普通に扱った」だけ。責任のある仕事を任せ、必要に応じて手助けし、やり遂げるまでを見守った。
上司として当たり前のこの行動に、A子たちはいたく感激し、奮起した。
元々は能力にも恵まれた女性たちだったのだ。A子たちは今までの悪評を呆気なく覆し、どんどん躍進していった。
しかし真の難物は、A子たちのあとに配属されてきたのである。
――D太のことだ。
業界では東大に匹敵するほどの権威である某大学院に学んだD太は、鳴り物入りで入社してきた。だが彼の人間性には、大きな問題があったのだ。
D太は確かに天才だった。新人とは思えぬほど、仕事もできた。この道何十年の専門家と同等か、それ以上の知識もあった。
しかしそのせいで自分以外の人間が愚劣極まりなく見えるのか、D太は誰の指示も命令も聞こうとしなかった。
上司や先輩に宥められようが叱られようが諭されようが、逆に論破してしまう始末である。
最初は逸材と期待されていたが、そのような素行のせいで各部署をたらい回しにされ、様々な上司の下に就いたがいずれも匙を投げられ――。
こうしてD太は、吹き溜まりと思われていた風吹のチームに、とうとう投げ込まれたのであった。
D太が来てから、せっかく落ち着いていた風吹のチームは、荒れに荒れた。
D太はもちろんかつての上司たちにしてきたのと同じように、風吹の言うことなど聞かなかったし、同僚であるA子たちのことも遥か下に見て、まともに会話すらしなかった。
風吹もA子たちも折りに触れてD太に立ち向かったが、彼の意見や主張は正論で隙がなく、いつだってやり込められてしまった。
A子もB子もC子も当時は今よりもよく怒り、よく泣き、風吹は彼女たちを何度慰めたかしれない。
D太をまた別の部署に移して欲しいと上に掛け合ったりもしたが、人事部はなぜか風吹に対してだけは、厳しいお達しを寄越すのだった。
『部下を使いこなしてこそ上司だろう。リーダーとしての資質を試されていると思いなさい』
つまりこれもまた女性にだけつらく当たる、社風の一環だったのだろう。
――なにもかも、私が不甲斐ないからだ……。
泣きついてくるA子たち部下を励ましながら、風吹は自己嫌悪と反省の毎日を過ごした。
そのうえ周りの部署からは、D太を制御できないことを理由に、管理能力の欠如を非難されたのだ。――自分たちだってD太にはお手上げだったくせに、そのことは棚に上げて、である。
こうして風吹のストレスは、ぐんぐん加速度的に溜まっていった。
そして――ある日ぷっつりと、我慢の糸が切れたのだ。
このときの風吹は、結婚まで考えていた恋人と別れたばかりで、少々不安定だったのかもしれない。
いや、逆だろうか。なくすものはもうないと、度胸が座ってしまったのかもしれない。
席を立ったD太のあとを、風吹は追った。そして彼が給湯室でコーヒーを淹れているところへ、忽然と姿を現したのだ。
「うわっ! びっくりした! 黙って後ろに立たないでくださいよ!」
「……………………」
風吹は驚きに目を瞠るD太に構わず、二畳ほどしかない狭い給湯室へ踏み込むと、距離を詰めた。
「な、なんですか? い、言いたいことがあるなら、こんなところじゃなくて……!」
「……………………」
「ちょ、ちょっと……!」
無言の迫力に押されて、D太は後ずさる。
怒りが募れば募るほど口数が減り、そして無表情になる。――風吹はそういうタイプの女性だった。
奥に据えられた冷蔵庫に、D太の背中がつく。
行き止まりだ。もう逃げられない。
――このときのことを思い出しても、風吹は自分でもなにを考えていたのか分からなかった。
D太にただ文句を投げつけたかったのか。
一発、いや百発ほど殴ってやりたかったのか。
いっそ、刺し殺してやりたかったのか。
――ともかくチームの和を乱すD太が、憎かったことは確かだ。
ヒステリックな衝動のまま追い詰め、風吹はD太の頬の真横に、乱暴に手を突いた。
冷蔵庫の扉が、大きな音を立てる。壁ドンならぬ、冷ドンである。
「ひっ……! ぼ、暴力をふるうつもりですか!? ハラスメント! なにハラだ、これ!? あ、普通にパワハラか!?」
「……………」
高い踵の靴を履いた風吹とD太に身長差はなく、目と目の勝負となった。
風吹の頭の片隅に、なぜか唐突に実家の犬の姿が浮かぶ。
――あの子もこうやって躾けたっけ……。
そう、上下関係を叩き込むならば、目を逸らしてはいけない。
「……くっ」
先に横を向いたのは、D太だった。風吹は勝ったと思った。と同時に、平常心が戻ってくる。
なにを馬鹿なことをやっているのだろう。自身に呆れながら、改めてD太に向き直れば、気まずそうに睫毛を伏せ、なにかに耐えるように唇を噛み締めている。幼く、また怯えているようにも見えて、責めるのが可哀想になってしまった。
「あのさ、君。せっかく可愛い顔をしてるんだから、ツンツンし過ぎるのやめなよ。みんなをやり込めてるときの、自分のドヤ顔見たことある? ひどいもんだよ。君はきっと、笑っていたほうが素敵だよ」
上司と部下の会話として相応しくない内容だとは分かっていたが、それが風吹の率直な気持ちだった。
「なっ」
からかわれていると思ったのか、D太は睨もうとする。だが風吹がその視線を余裕綽々で受け止めると、彼はまた目を逸らしてしまった。
これで二勝目。風吹はもうD太に、恐れを感じなくなっていた。
――もしかしたら私も前評判に踊らされて、この子を悪い意味で特別扱いしてたかもしれないなあ。
「これからは私も君に遠慮しないから、よろしくね」
一人で勝手に心を晴れやかにすると、風吹は給湯室から外へ出た。
――しかし。
「セクハラーーーー! 今のセクハラですからねーーーー! しゅにーーーーん! うったえてやるーーーーー!」
剣呑な叫び声が追いかけてきたので、風吹はその場から走って逃げた。
そのようなことがあってから、幸いなことに訴えられはしなかったが、二人きりになるとD太からは「セクハラ上司」と責められるようになった。
しかしどんな心境の変化があったのか、以降D太の態度は明らかに変わったのだ。口が悪いのはそのままだが、風吹の指示に従うようになったし、A子たち同僚に協力したり、助言まで務めるようになった。
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