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神様は人の子を見る・7、羨望

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 しばらく滞在すると言う白羽はあの子が神社にくるときは送り迎えをするようになった。あの子は申し訳なさそうにしていたが、白羽の人懐こい態度に断りきれずにいるようだった。今回ばかりは図々しいほどの白羽の馴れ馴れしさに感謝した。
 そんなある日、朝からあの子がそわそわしているのは見ていてわかった。だが、まさか白羽にひとりで帰ると言って走って行ってしまうとは思わなかった。
『白羽…』
何かに追われても振り向くなとだけ言ってあの子を見送った白羽を睨む。白羽は肩をすくめると背の羽根を羽ばたかせてふわりと舞い上がった。
『そう怖い顔をするな。あの子とてひとりでやりたいこともあるだろうさ。私が常に一緒にいたのでは気を遣って寄り道もできんだろう?』
『それは、そうだが…』
『安心しろ。気付かれぬように見守るさ』
そう言って白羽は空を飛んで行った。今までは空を自由に飛ぶ姿を見てもなんとも思わなかったのに、今はすぐさまあの子のところへ飛んでいける白羽が羨ましかった。
 あの子が危険な目にあっても、我はすぐには動けない。我はこの神社に縛られている。そのことに不満はないが、すぐにあの子のところへ行ける力がほしかった。

 その日、戻ってきた白羽から、あの子が妖に襲われたと聞いた。生まれたばかりの妖があの子に染み付いた我の気配に誘われたのだろうと言う白羽に、我の表情は知らずに険しくなっていた。
『そんな顔をしなくとも大丈夫さ。あの子には私の羽根を渡した。守護の結界くらいにはなる』
『あの子は、我を厭うだろうか?』
思わずもれた声は思いの外弱々しいものだった。それを聞いた白羽は一瞬驚いた顔をしたあと笑いだした。
『あの子はおぬしのせいだなどとは思っていなさそうだったぞ?いらぬ心配をして気を乱せば場が乱れるぞ?』
『…わかっている』
指摘されてついそっぽを向く。我の感情が乱れればこの場が乱れ、結界も乱れる。場の乱れは妖を呼ぶ。それはあってはならないことだった。
『外でのあの子のことは任せておけ。心配ならおぬしも守護のお守りでも持たせてやればいいだろう』
『そうだな。考えておく』
白羽の言葉にうなずいて我は星が瞬く空を見上げた。

 数日後、珍しく早く帰り支度をしている愛し子に声をかけると、今日は母親の誕生日なのだと嬉しそうに話してくれた。愛し子の母親は確か去年の祭りに一緒にきていたなと思い出し、枝振りのよい寒椿を一枝手折った。それに息を吹き掛け加護を授ける。
『それほど強い加護ではないが、そなたの母の健康を祈ろう』
そう言って渡すと、愛し子は嬉しそうに笑って礼を言ってくれた。
 いつものように白羽が帰り道についていく。鳥居の上からそれを見送り、なんとなくそのまま鳥居に座って景色を眺めた。
 ふと、気配を感じて上を見ると、いつのまにか白羽が戻ってきていた。それほど時間が経ったのかと驚いていると、白羽は白い箱を差し出した。
『これはなんだ?』
『ケーキという洋菓子らしい。誕生日に食べるのだそうだ。栗でできているからおぬしでも食べやすかろうとあの子が言っていた。私とおぬしの分だそうだ』
そう言って白羽が箱を開ける。中に入っていたのはあまり見たことのない菓子だった。
『洋菓子とは珍しいな』
『おぬしへの供物は大福やら饅頭やらが多いからな』
笑いながらひとつ取り出した白羽がかぶりつく。白羽は目を丸くすると『美味いな』と笑った。
『今の菓子は美味いんだな。甘すぎなくて私にはちょうどいい』
そう言ってパクパク食べる白羽に苦笑しながら我も手に取り口に運ぶ。初めて見るそれを口に入れると、優しい甘さが広がった。
『なるほど、美味いな。それに、あの子が我らのために選んでくれたことがわかる』
『そうだな。あの子の優しさも甘さになってさらに美味い』
そう言って笑みを深める白羽に我も自然と笑みを浮かべてうなずいた。

 雪が溶け、春の足音が聞こえ始めた頃、あの子が母親が結婚するのだと教えてくれた。母親はひとりでずっとあの子を育ててきたらしい。自分はもう大丈夫だから、母親に幸せになってほしいというあの子の表情はとても優しかった。
 結婚式をあげる予定はないと言っていたが、宮司が気を利かせて簡単な式をあげることになった。母親の隣に立つ男は誠実そうで、この男ならば大丈夫だろうと我も安心した。宮司が祝詞をあげるのを我と白羽が見守る。母親たちの少し後ろに立つあの子は緊張した面持ちだった。
 母親の結婚式がすんだら引っ越しをして独り暮らしをするのだとあの子は言っていた。新婚の両親に気を遣わせたくはないからと、宮司の姉がやっているアパートとかいう集合住宅に移り住むらしい。引っ越しは入籍の数日あとと聞いていたが、引っ越しをしたであろう日の夕方、そろそろ暗くなろうというときに愛し子はふらりと神社にやってきた。どうしたのかと話を聞くと、ずっと一緒に暮らしてきた母親の再婚や独り暮らしと環境が変わったことを寂しく感じているようだった。
 人の子にとって母親とは特別なものなのだろうと思う。子は女の腹の中で育つ。文字通り血肉を分け与えられるのだ。特別でないというほうがおかしいだろう。そう言うとあの子はどこかすっきりした様子でうなずいていた。夜は妖たちの力が増す。あまり出歩かないように言うと、あの子は素直にうなずいて帰っていった。
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