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隠蔽工作

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 王に呼ばれたライルが部屋に行くと、そこにはルクナ公爵の姿もあった。
「陛下、お呼びでしょうか?」
「ああ。実はお前に話しておきたいことがある」
王の言葉と真剣な表情にライルの背筋が伸びた。
「ライル、あなたは信頼に足る男。私や陛下を決して裏切らないと信じていますよ?」
振り向いた公爵が美しく冷たい笑みを浮かべて言う。ライルは何を今さらとふわりと微笑んでうなずいた。
「もちろんです。私が陛下や公爵様を裏切ることなどあり得ません」
ライルの言葉に公爵はにこりと笑い、王も表情を和らげた。
「実はユリアのことなのだが…」
そう切り出して王はユリアのことを話した。妊娠の可能性があること。狙われる危険があるためこのことは内密にすること。体調が悪いままでは変に思われるので一旦家に帰したいこと。その際兄であるギルバートも共に帰したいこと。それらを話すとライルは真剣な表情でうなずいた。
「わかりました。このことは他言いたしません。私がギルバートに手紙を出しましょう。ギルバートからユステフ伯爵に話を通してもらい、その後でギルバートを呼び寄せましょう」
「呼び寄せる理由は?」
ライルの言葉にうなずきながら公爵が尋ねる。ライルは少し考えると「公爵様のお名前を借ります」と言った。
「親衛隊からギルバートの他に数名、信頼できる者を呼び寄せます。口実は公爵様からの指導を受けるため。今までも公爵様に直々に指導していただいたことはありますから、怪しまれることはないかと。数日実際指導していただいて、頃合いを見てユステフ伯爵から奥方が体調を崩したと手紙を出してもらうのです。そうすればユリア様とギルバートが共に家に帰っても怪しまれません」
「なるほど。それならばいいかもしれない。叔母上、いかがでしょう?」
「かまいません。私も実際に稽古をつけてやれますし、問題ありません」
にこりと笑う公爵にライルは苦笑しながら「ありがとうございます」と言った。
「ではこのことをユリアに伝えます。ライルはギルバートのほうを頼む」
「承知いたしました。しかし、今回ギルバートを護衛から外したのは正解でしたね」
一礼したライルが思い出したようにクスッと笑う。王が首をかしげるとライルは本当は護衛にギルバートも連れてくるつもりだったと言った。
「ユリア様も兄と会えたら嬉しいのではないかと思ったのですが、ギルバートが断ってきました。自分がユリア様のそばにいると妃の地位を利用して兄を贔屓したと周りに言われかねないと。妃と騎士としては極力関わらないほうがいいのだと言っていました」
「なるほど。頭のいい男だとは思っていましたが、思った以上に頭が切れるようですね。陛下、良い人材だと思いますよ」
「そうですね。ユステフ伯爵は穏やかな人だが、父親に似ずになかなかの策士のようだ」
以前話をしたときのことを思い出して王はにこりと笑った。

 王の部屋を辞したライルはすぐにギルバートに伝書鳩を飛ばした。鷹のほうが早かったが、鷹が人目につくと面倒だと鳩にした。それとは別に、親衛隊から数名を指名して離宮にくるようにと知らせを出した。理由は公爵直々に稽古をつけてもらうため。今までも公爵に稽古をつけてもらったことはあるため、これは特に怪しまれることはないだろうとライルは考えていた。
「早ければ明後日には来るかな」
離宮と城はそれほど離れていないが、手続きやら準備やらで時間を取られる。最短で明後日、ユステフ伯爵から知らせがくるのに早くてもそれから1日。どうにかユリアの体調不良を暑気あたりで誤魔化せそうだとライルは息を吐いた。

 その日の夕方、王はユリアの部屋を訪れた。
「ユリア、体調はどうだ?」
「陛下、申し訳ありません」
寝室で王を向かえたユリアはベッドで体を起こすと頭を下げた。いつもはほんのりピンク色の頬が今日は血の気がひいて白かった。
「無理に起きなくていい。それに、謝ることではないだろう?」
歩み寄った王はにこりと笑うとユリアをベッドに寝かせてそっと髪を撫でた。
「キース様たちやルクナ公爵様たちをお出迎えできず、お茶会も欠席してしまいました」
「気にすることはないよ。体調が悪いのに無理をすることはない」
不安そうなユリアの手を握って王が微笑む。ユリアは少し驚きながらも小さく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうと言わなければならない」
王の言葉にユリアが不思議そうな顔をする。王は苦笑するとユリアの腹に目を向けた。
「私はずっと子どもを授かることはないのだと思っていた。必ずできないわけではないと言われてはいたけれどね。でも、ユリアが妊娠したかもしれないと聞いて、とても驚いたし、とても嬉しかった。私も我が子を抱くことができるのかもしれないと、とても嬉しかったんだ」
「陛下、まだ確定ではありませんよ?」
どこか泣きそうな顔をしている王にユリアが困ったように言う。王はそれにうなずくとにこりと笑った。
「もちろんわかっているよ。たとえ今妊娠していなくても、可能性があると私に示してくれた。こんなに嬉しいことはないよ」
そう言って抱き締めてくる王の背中にユリアはそっと手をまわした。
「陛下の子ども、妊娠していたら素敵だと思います」
「はっきりするまで色々と不安があるだろうが、ひとりで抱え込まずに話してほしい。私でも王妃でも妃でも。ユリアの侍女はメイといったかな?彼女でもいいよ。今、ユリアの妊娠の可能性を知っているのはメイとヒギンズ、王妃と妃たち、そしてライルと叔母上だけだ」
「はっきりするまで秘密にしないといけませんか?」
不安そうな顔で尋ねるユリアに王は真剣な表情でうなずいた。
「そうだ。今言った人以外に知られてはならない。貴族たちに知れるとユリアの身が危険になる可能性がある」
「はい…」
王の言葉にユリアの表情が曇る。王はそんなユリアをそっと抱き締めた。
「今は暑気あたりということにしているが、それでいつまでも部屋にこもっているわけにもいかない。だから、ユリアは一旦実家に帰ってもらう」
「え?家に、ですか?」
「そうだ。といっても、避暑が終わるくらいまでだけどね。母君が急病ということにして、見舞いを名目に戻ってもらう。それにはユリアの兄のギルバートも付き添う」
「お兄様もですか?なぜ?」
ユリアが不思議そうに尋ねると、王はにこりと笑った。
「母君が急病なら娘だけでなく息子も戻らなければ。ギルバートにはライルが知らせているはずだ。そして、親衛隊からギルバートを含めて数人をここに呼び寄せた。叔母上に稽古をつけてもらうという名目でね」
「なんだか大事になってしまって…」
申し訳なさそうな顔をするユリアに王は微笑んで首を振った。
「気にしなくていいよ。叔母上は稽古をつけられると嬉しそうだしね。ユリアも久しぶりに家族に会ってゆっくりしておいで?」
「はい。ありがとうございます」
小さく微笑んでうなずくユリアに王はチュッとキスをした。
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