ロイレシア戦記:赤の章

方正

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第五話

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 フィオと交渉してから2か月が過ぎた。
 父上から任命されてから、各貴族や各騎士団元帥と交渉する日々に追われていた。
 寒さ厳しい冬を開けて、雪は解け始めた。
 次第に暖かくなってくる。自室のテーブルの上には北方の地図を広げて、その上に騎馬兵を模した人形や木の柵を置いていく。
 主戦場になりそうなところは、既に私の軍隊を配備して拠点の設置を始めさせている。
 後は兵士達を集めて少しづつ相手を後退させて、ガルバード大要塞前の密林まで奪い取る。
 その先に展開する策は複数あるが、まずは密林前の平原を制圧が先。
 先日交渉した貴族からの武器の購入リストを手に取る。
 使用人が用意した温かい紅茶と甘い切り株のようなお菓子、バウムクーヘンが置かれていた。
 フォークで小さく切ってから口に運ぶ。疲れていたせいか、思わず頬が緩んでしまう。
「兄様達のお手伝いで、戦争の準備や一部の軍隊の指揮を任されたことはありますが、こんなに大変なんて思いませんでした」
兵士の頭数は各騎士団元帥や、武闘派の貴族から了承をもらう事が出来た。
 兵士の交渉はすんなりと進める事が出来たが、物資の供給と武器の調達は中々上手くいかない
 束ねられたリストを広げる。鉄砲に剣や槍に弓矢等の消耗品供給方法だらけ。
 私が短期決戦を選んだ理由の裏目的は消耗品の購入金額を下げたいから。戦争が続けば続けるほど国力が衰えていく。
 やり繰りする方法を思考しているとき、扉を3回ノックされた。
「どうぞ、入ってもらっても構いません」
声を掛けると扉が開いた。黒いローブで全身を覆っていたが、フードを片手で頭から剥ぎ取る。
 顔が傷だらけで少しだけ骨格が変形しているせいで、目が魚の様に少しだけ出ている中年の男。
 黒いローブの中から丸められて、黒い紐で広がらない様に結んで止められている茶色い紙を私に差し出す。
 私の諜報員で敵地と周囲の村を視察させている。もちろん、この男以外にも複数人いる。
 紐を解いてから内容を確認した。中身はライトランス帝国軍が占領した土地で村を複数作っているという内容だった。
 私はすぐさま地図に赤のインクを付けてからペンで丸い印で記す。
 そして、書き記した紙を握ってから私の魔法で燃やして灰にする。
「ありがとうございます。そのまま活動を続けてください」
そう言って男は、不気味に笑って一礼をした。フードを被ると部屋を出て行った。
 知らせてくれた村の情報は有効活用させてもらいましょう。
「姫様。先ほどの者は?」
ヴァンが入れ違いで入ってくる。格好はいつもの白と銀の装飾が施されている鎧を着て、背中にクレイモアを背負っている。
 私は静かに紅茶を飲んでから、ソーサーの上に置く。
「諜報員です。詳細は教える事はまだできません」
両手で抱えていた書類の束を私の机の上に置いた。署名と赤い蝋で紋章が張り付けられている。
 簡単に確認すると主に出兵する兵士の数についての内容だった。
 兵士は貸し出すが、補給や給与はこちらで持つという事。
 次は騎兵の装備について。馬の供給はするが、指揮系統は相手貴族が持つという。
 戦いで手柄と名誉が欲しいのでしょうか。
 途中で反旗を返されても面倒ですから、仕方ないです。
 大きくため息を付いて、紅茶を啜る。貴族たちのご機嫌を取るように進めるには本当に疲れる。
「ご苦労様です。私の代理として、よくここまで尽くしてくれました」
「いえ、それよりも陣地構築位置の偵察兵から報告がありました」
ティーカップを空にしてから、ヴァンの方へ視線を向ける。
 北方はまだ雪で動けないはず。まだ雪解けの季節が始まったばかり。
 少しだけ沈黙してから報告を続ける。
「密偵を複数名捕えたという事で、王城に移送中です。しかし、ライトランス帝国の密偵ではなくどこの国かは不明との事です」
国籍不明の密偵。恐らくはライトランス帝国の敵国か同盟国か。
 下手に考えても仕方ない。
 数日後には到着するという事なので、後は尋問官の仕事だ。私の出来る事をしよう。
 今回は初戦が大事。確実に騎兵を打ち倒す事になる。
「ヴァン。小競り合いの方はどうなっていますか?」
ヴァンは顎に手を当ててから、言葉を口から発する。
「平原で第五騎士団の数部隊を既に展開させておりますが、密林前の平原で停滞しております」
展開前からある程度の前哨戦は予想していたが、停滞するとは。
 新しく紅茶を注いだ。一杯目より少しだけぬるくなっている。
 他にもいろいろ前線の情報を聞いてから、ヴァンには退室させた。
 暖炉の燃える音だけが静かに鳴り響く。嫌でもあの時を思い出してしまう。
 首からぶら下がっている宝石。怪しく光るレットベリルを両手で握りしめた。
「母上。私は……」
あの時はこんな静かな部屋だった。母上と一緒に部屋で過ごしていた時に奇襲を受けた。
 私の手を引いてから外を連れ出してくれる。母上もそれなりに剣術の使いでだったが複数名同時の戦闘は耐えきれなかった。
 最後は私に飛んできた石弓を庇った。最後に私にこのネックレスをかけてくれたところで命尽きてしまう。
 涙を流して、必死で走った。密林を走って、走って、走って。
 追いつかれたところを助けてくれたのはまだ一兵卒のヴァンだった。
 それ以来、私の近衛兵としてどこに行くにも一緒になる。
 最後に私に対して母上が言ってくれた言葉は明白に覚えている。
―――ヴァイオレット。きっとあなたを理解してくれる友が必ず現れますから。
「友……私にはまだ表れていませんね」
既に8年の時が過ぎている。父上の側室と出来た子供という事で、苦労も屈辱も十分に受けた。
 市民からの支持は十分に受け取る事が出来ている。赤バラの皇女様なんて今でも照れ臭い。
 宝石から手を放して、右手をそっと上げて手のひらに火の玉を作る。
 魔法を操る事は王家の血筋であることの証明。
 一時期は王家の血を呪ったこともある。初代の国王は私と同じ炎を仕えたという事らしい。
 他にもいろいろあったが、主にこのことで三男のレイウス兄様と特に関係が悪化した。
 火の玉をかき消して、窓から外を見て城下町を眺めると、人々が忙しなく動いている。
 昔みたいにヴァンを連れて、城下町を散策できたらいいのに。
「姫様、失礼いたします」
使用人が入ってきた。後ろには髭の生えたタキシードを着た中年の男が立っていた。
 フェンリア共和国の外交官だ。この国もライトランス帝国の抗争が数年続いている。
 ルイ兄様が遠征軍を率いてから撃退に成功した。
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
私は握手をしてから、ソファーで向き合って座る。
 使用人が新しいお茶を用意してから、扉の付近に立っている。話しても覚えない様に教育されている。
 男性は紅茶を口に運ぶと、匂いを嗅いでから口の中に流し込んだ。
「ヴァイオレット様。先日の結果なのですが、申し訳ございません、戦後処理で参戦する事は出来ないとの事です」
私は静かに目を閉じた。戦争に勝利したとしても、国勢は良くないという事だ。
 兵糧と武器を輸入出来ないかと思ったが、別の補給を手配しないといけない。
「わかりました。残念ですが、そちらの国の事情があるでしょうから」
しばらく雑談してから、使用人の先導で中年の男は立ち去った。また軍備に対して見直しをしないといけない。
 再び静かになる部屋。
 椅子に深く座って背中に体重をかけた。ぎしりと軋む音が立った。
 天井には木の模様が波打っている。
 暖炉の炎がいろいろな物の影を大きくいる。昼過ぎだというのに暗い部屋。
 引き続き、書類を片付けていく。
 商談をして、貴族や外交官と会談して。同じ毎日に飽き飽きしてしまう。
 剣術や弓術で身体を動かしたくなる。
「疲れました。フィオが承諾してくれた事は嬉しかったのですが」
少し時間は空いてしまったものの、フィオは私の将軍として戦ってくれることを承諾してくれた。
 盤面を動かす強力な駒は一つ揃った。
 再び広げている地図を見る。チェスの駒を配置していく。私がキングで平原の南側一番下付近にある小高い丘。
 フィオはクイーンの駒、私の陣営の前に配置した。
 次々に駒を置いていく。歩兵はポーンで重騎兵はルーク、騎兵はナイト。
 本格的な開戦まで、残り1か月。今は黙々と準備するしかないのだから。
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