あなたの隣へ一歩ずつ。

なつか

文字の大きさ
上 下
5 / 17

四歩目.部屋に入れてくれますか?

しおりを挟む
 翌日の土曜日。今日は午前中の練習だから、朝から学校へ向かう。
 途中、瀬良のマンションの横を通り過ぎるとき、もう起きてるかな、などと考えてみる。
 
 体育館についたけど、まだ誰もいなかった。
 今、七時前だけど、練習は八時から。だから当たり前か。一人で準備をして、練習を始めた。
 
 走るとこすれる床の音。手にボールが当たる音。そして、それが床にぶつかる音。
 静かな体育館に響く音はどれも心地よくて、雑念が消えていく感じがする。

 でも、消えたはずのそれは、ちょっとしたことであっという間に戻ってくる。

「おはよう、早いな」
 昨日ぶりに聞いた声の主は、いつもと変わらず“部長の顔”をしていた。
「おはようございます」
 俺も努めて普段通りにふるまうけど、やっぱり気まずさは拭えない。
 昨日のことを切り出した方がいいのか、それともこのまま黙っていた方がいいのか、正解がわからない。
 でも、明らかに二人の邪魔をしたのは俺の方だ。覚悟を決めて話を切り出すことにした。

「相原さん、昨日はすみませんでした」
 昨日の話をされると思っていなかったのか、相原は一瞬驚いた顔をしてから、すぐに笑顔を作った。
「いや、俺もちょっと感情的になってたし。むしろ止めてくれてありがとな」
 こういう返答ができるから、全国レベルの部活で“部長”に選ばれるんだろう。
 いわゆる人格者ってやつ。
 相原の答えに本来ならほっとしてもいいはずなのに、なぜか俺はモヤモヤとしてしまう。

「そういえば、いつの間に火月……瀬良と仲良くなったの?」
 名前、言い直すのか。何を言われてもモヤっとするのはなぜだろう。
 そして、答えに困る。

 前に絡まれてるところを助けてもらって。
 ――先輩方に絡まれていた話を蒸し返すのは何となく面倒だから嫌だ。

 ゲームに誘ってもらって。
 ――『一緒に行きたい』って言われると嫌だ。

 家が近くて。
 ――瀬良の今の家を知っているとも限らないし、一緒に帰るのを邪魔されたくない。
 
 どうしよう、全部嫌だな。最適解が見つからない。

 そもそも、俺は瀬良と仲がいいのだろうか。
 部室に呼んでくれたし、一緒に帰ってるんだから、きっと嫌われてはいないだろうけど……。
 黙ったまま答えずにいる俺を相原は不思議そうに見ているが、グルグルと考えが回って、答えがまとまらない

「もしかして、付き合ってる?」
「は?」
 相原の予想外の言葉に間の抜けた言葉が出た。なんでその発想になったんだろうか。
 男子校だから? いや、まぁ俺は好きだけど。

「何にも言わないから答えにくいのかと思って」
「あぁ……、そういうのではなくて。逆に仲いいのかな? って考えてたんです」
「どういうこと?」
「そのままの意味です」
 昨日、無理やり連れ去るようなことをしたのに、『仲がいいのかわからない』って言われてもそりゃ困るよな。

 俺に『付き合っているのか』って聞くくらいだから、相原と瀬良が“そういう関係”ということはないのだろう。
 でも、深読みすれば、“瀬良が男と付き合っていることを想定できる”ってことなのかもしれない。
 またモヤモヤとした気持ちが沸き上がる。

「相原さんは、瀬良さんと幼馴染って言ってましよね」
「あぁ、実家が隣同士だったから。一つ年下だし、ずっとかわいい弟って感じだったんだけど……」
 『だけど』何なんだろう。今は違うってことか? それとも、瀬良はそう思っていなかった、ってことだろうか。
 これ以上モヤモヤさせないでほしい。

「付き合ってたとかですか?」
 思わず、意趣返しのようなことを聞いてしまった。
 こういうところが生意気だって言われる原因なんだろう。
「いやいや、ないない」
 相原は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻して、手を振りながら否定する。
 でも、答えるまでに、ちょっと間があった気がする。
 
 他の部員たちもちらほら見せ始めたから、モヤモヤを抱えたまま、相原との腹の探り合いのような会話は終了となった。


 部活が終わったのは夕方五時。なんか今日は疲れた。
 話しかけてくる部活のメンバーに返事をするのも正直めんどくさい。
「高槻、なんか食ってかない?」
「いや、やめとく。なんか今日は疲れた」
「そういえば、今日荒れてたよね。なんかあった?」
「えっ荒れてた? 自覚なかった」
 確かに心に溜まったモヤモヤをボールにぶつけるように打っていたが、人からもそう見えるほどだったかと反省する。
「ちょっと根詰めすぎなんじゃない? 明日はオフだし、ゆっくりしなよ」
「そうだな。ありがと」

 バレーをしてて疲れたなんて思ったことはないし、練習も嫌だと思ったことなんてない。
 でも、モヤモヤしながらやってても、やっぱり楽しめない。
 このすっきりしない気持ちはどうしたらいいんだろう……。
 考えながら自転車をこぎ進めると、あっという間に瀬良のマンションの前まで来ていた。

 瀬良さんは何階に住んでるんだろう。
 俺は、自電車を漕ぐ足を止め、マンションを見上げる。
 なんかストーカーみたいだな…、やめよう。
 そう思ってもう一度自転車のペダルに足を乗せると、スマホが鳴った。

「えっなんで……」
 画面に表示された名前は『瀬良 火月』。
 瀬良からの電話だった。俺は急いで電話に出る。

「は、はい、どうしたんですか」

〈部活終わったんだな。上、見て〉

 そう言われ、スマホを耳にあてたまま上を見ると、三階のベランダに見覚えのあるピンク色の頭が見えた。
 さっき見上げた時はいなかったはずなのに、なんで……。

〈もうあと帰るだけ? なんか用事ある?〉

「いえ、帰るだけです」
 スマホから耳に直接流し込まれる瀬良の声に、胸が高鳴る。
 俺は今、どんな顔をしているんだろう。

〈なら上がって来いよ。うちでゲームしようぜ〉

「えっいいんですか?!」
 突然の瀬良からの誘いに、飛び上がってしまいそうになる。
 嬉しい、嬉しい!

 瀬良から教えてもらった部屋の番号を押してオートロックを開け、そわそわしながらエレベーターで三階に向かう。
 もし俺が犬だったら、今きっとすごい勢いでしっぽを振っている。
 エレベーターが三階についたことを知らせ、ドアが開くと、そこには瀬良が立っていた。
 わざわざエレベーターホールまで迎えに出て来てくれたようだ。

「よっ!」
 両手をズボンのポケットに入れながら、ニーっと八重歯をのぞかせながら笑う瀬良に、思わず飛びつきそうになる。
 でも、ギリギリのところで堪えた。危なかった。

「お疲れ様です……!」
「ははっ、部活お疲れ」
 テンパりすぎて、部活の先輩に向けるような挨拶をしてしまった。もう、どうしたらいいのかわからないくらい、嬉しくてしょうがない。
 
 瀬良に連れられて入ったリビングには、部屋の真ん中にソファとローテーブルがあり、その正面にはテレビが置かれている。反対側には何台ものモニターが並んだ大きな机にゲーミングチェアがあった。

「広いですね」
 聞けば、風呂、トイレ別の1LDKだという。やっぱり高校生の一人暮らしにしては豪華だ。
 実は瀬良はいいところのお坊ちゃんだったりするのだろうか。
 そんな思いが顔に出ていたらしく、瀬良はクスッと笑った。

「すごいそわそわしてる」
「すいません。一人暮らしの人の家に来たのとか初めてで……」
 浮かれすぎて、ついキョロキョロしてしまっていた。恥ずかしい。
「あぁそうなんだ。まぁ高校生だと少ないかもね。そこ、座んなよ」
 俺は促されるままソファに腰を掛けるが、どうしても落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「なにやる?」
「瀬良さんのおすすめでいいですよ。あっでも難しいのはできませんよ」
「ん――じゃあこれかな~」
 瀬良が選んだのは、今度大会に出ると言っていたのとは別の格闘ゲーム。
 俺もタイトルくらいは知っているけど、一度もやったことがない。
「絶対勝てないと思うんですけど」
「ハンデつけてやるよ。でも、それで負けたら罰ゲームな」
 瀬良はニヤリと笑って、ゲームを始めた。

 でも初心者とプロくらいの差があるんだ。まぁ勝てるわけがない。
「また負けた~。」
「こんなにハンデつけてるんだぞ? それで全敗って弱すぎだろ」
「初めてやったんだからしょうがないじゃないですか」
「あっ初めてだったの。でもまぁ約束は約束だからな。罰ゲーム何にしようかなー」
 何をさせるつもりなんだろう?
 全然読めないけど、瀬良のルンルンと上機嫌な様子がかわいいから、何でもできそうな気がする。

「あっ料理ってできる?」
「えっ? 特殊なものじゃなければできますけど」
「マジか! 明日は部活オフって言ってたよな。お昼ご飯作りに来て」
 それは罰ゲームなのか? むしろ俺からしたらご褒美に近い。
 予想外もいいところだ。というか、彼女に頼むような内容だな……。

「彼女に頼むような内容ですね」
 心の中で思っただけのつもりが、声に出てしまっていた。
 またやってしまった。最近失言が多い。

「確かに。でも残念ながらそういうことしてくれる彼女がいないから、お前に頼んでるんだよ」
 しまった、という顔をした俺に気を使ったのか、それとも何も思わなかったのか。
 瀬良はいつものように八重歯をのぞかせながらニカッと笑う。
 この顔、本当に好きだ。

「瀬良さん、料理しないんですか?」
「うん、全然。カップ麺作るくらい」
「なるほど……。ってことは調理道具とか調味料もないのでは……?」
「鍋ならあるよ? 湯沸かすのに使う」
 これは予想以上に大変そうだ。でも、明日も家に来れるんだ。断るという選択肢はない。
「わかりました。じゃーまず朝、買い出しから行きましょうか」
「りょーかい」
 ついでに一緒に出かける約束まで突っ込んでみたけど、あっさり了承してくれた。
 嬉しくて顔がにやける。
 明日の待ち合わせの予定を決めて、もう一度ゲームをして、初めてのお宅訪問は終わった。
しおりを挟む

処理中です...