出来損ないのローレライは愛を唄う

野中にんぎょ

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お揃いの香りの唇

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 リカ。
 あの声が、今も耳裏に張り付いている。リカは耳元に触れ、頬を緩めた。
「リカ、どうしたの。機嫌がいいわね」
 リカはリルリルを振り返り、「ねーちゃんこそ」と祖母の遺品を取り出している姉の隣に並んだ。かつて、地上の魔女とつながりがあった頃、彼女らは海の女王に敬意を表して様々な贈り物をくれた。宝石の散りばめられた王冠に、金のゴブレット、青磁色の陶器……。リルリルはその中からとびきり輝く首飾りを取り出し、リカの首元にあてた。
「リカは肌が白いから、きらびやかな飾りが似合うわ」
「ちょっと派手じゃない?」
「派手なくらいじゃないと、王の間では霞んでしまうわ」
 出来の良い姉、悪い弟。誰が見たってリルリルとリカはそう見える。
「王子が会いたいのは、ねーちゃんだよ。おれに飾りは必要ない」
 首飾りを払うと、リルリルは「またそんなこと言って」と、眉根を寄せた。
「用事もあるし、もう帰るよ」
「あら、そう? ゼゼ様との謁見には遅れないようにね。一族の汚名を晴らす、またとないチャンスよ。……リカは時々、とんでもなく突飛なことをしでかすから、それが心配だわ」
 突飛なこと。笑顔のラウが思い浮かび、思わず噴き出す。リルリルは振り返り、「笑い事じゃないわよ。くれぐれも失礼のないようにね」と、リカに釘を刺した。
 おれ、ニンゲンと友だちになったんだ!
 そう言ったら、姉はどんな反応をするだろうか。
「リカ!」
 小舟の上で海鳥を描いていたラウがこちらに手を振る。海鳥は人魚の訪れに気付き、星空へ羽ばたいていった。
「来てくれたんだ! 会えて嬉しいよ!」
 立ち上がったラウに尾ひれで水をかけると、彼は歯を見せて笑った。水をかけられて喜ぶなんて、へんなやつ。
「ここに来ると、いつもいるな。ニンゲンって暇なの?」
「ふふ。暇ってわけじゃないけど、夜はできるだけここにいられるようにしてる。君は、いつも夜に現れるから」
 夏が訪れても、この国の夜は肌寒い。
 小舟に近寄ると、ラウはランプの灯を消し、リカに近づいた。
「絵を描いてたんだろ? 明かり、消さなくてもいいのに」
「ううん。最近、兵がこの辺りを巡回していて。君とおれが友だちだってことは、絶対に守り抜かなきゃならない秘密だから、念のため」
 ラウはへりに手を置き、しゃがみ込んだ。眼差しが至近距離で通じ、心臓が深く脈打った。
 ラウの瞳はきらきらと無防備に輝いていて、リカはたまらず視線を逸らした。おれ、こいつと、友だちになったのか。なんだか胸の奥がむずむずする。
「ねえ。人魚の歌は誰が歌っても同じなの?」
 コンプレックスに触れられ、リカはむくれた。
「同じなわけあるか。鱗の色が違うように、歌声にだって差がある」
「へえ。なら、リカは歌が上手な人魚なんだね」
 どうしてそうなるんだよっ。リカは眉を吊り上げつつ、呆気に取られた。やっぱり、こいつ、なんかヘン。リカの機嫌が下降していることに気付いてか、ラウは「だって、」と語気を強めた。
「出会った時には包み込まれるような優しい歌声で、この間は悲しくて悔しくてやりきれないって歌声だった。声ひとつで心の様子を表現できる歌い手なんてそういないよ」
「それはニンゲンの価値観だろ? おれたち人魚は歌で想いを表現したりしない。歌は道具なんだよ。異性の気を引くための、身を守るための、力を誇示するための。……人魚の歌で嵐が起きて船が沈んだって伝承があるだろ? あれは、強い魔力を持つ人魚が歌で嵐を呼んだってこと」
「嵐? 歌で? あの時、リカも嵐を呼んでたの?」
 無垢に問われ、押し黙る。嵐を呼ぶつもりだった。嵐で、この海も空もぐちゃぐちゃになってしまえばいいと、そう思っていた。
 けれど、嵐は来なかった。リカは嵐を呼ぶほどの魔力を持っていない。かつて海の女王だった祖母とは違って。
「おまえ、運が良かったな。出会ったのがおれみたいな出来損ないの人魚じゃなかったら、とっくに海の藻屑になってるぜ」
「出来損ないって……」
「“子守歌”を歌う人魚なんて、出来損ないに決まってるだろ」
 捨て鉢に言って、リカは小舟のそばを離れた。ラウは言葉を紡ぐのを躊躇い、けれど立ち上がってリカを目で追った。そのさまが、必死で。リカはそれ以上ラウから離れるのをやめた。なんだか、子どもをいじめてるみたいでモヤモヤする。
「おれはリカのこと……、出来損ないだなんて思わない。おれは好きだよ、リカの歌。初めて聴いた時……、胸がギュッとなったんだ。大切なものが入ったオルゴールを開けた時みたいに……」
 胸の奥に、そっと触れる言葉たち。目元がじんわりと熱くなって、リカはそれを誤魔化すように、「なんだよ、おるごーるって」と、悪態をついた。
「箱の蓋を開けると、自動的にメロディーが流れるんだ。昔、兄さんがくれたオルゴールがあるから、今度持って来るよ」
 天国の兄さん。そのフレーズを思い起こし、口を噤む。なぜか、今朝見た祖母の遺品が脳裏を過り、喉の奥がせり上がった。
「リカ。誰がなんと言おうと、おれはリカの歌が好きだよ」
「……別に。好きとか、嫌いとか、歌に関係ないと思うけど」
「君たちにとって、歌うことは本能的な行為なんだね」
 捻くれた返しをしても、綿雲に包まれたようになってしまう。頬が熱くなってきて、リカは面を伏せた。海面には、頬を赤らめた人魚が映っている。おれ、なんでこんな顔……。
「また、歌ってくれる?」
「やだよ。人魚がニンゲンに頼まれて歌うなんて、なんかヘンだし」
 ラウは困ったように笑って、リネンジャケットの懐から何かを取り出した。
 それは、手のひらに収まるほどの小さなケースだった。つややかな黒の表面には白く光る花の模様が刻まれていて、リカはその美しさに吸い寄せられた。
「きれい……」
「彫刻を施した貝を漆器に埋め込んであるんだ。螺鈿という技術だよ」
「貝? これが?」
「そう。きれいでしょ? 光の加減で、虹色に輝く。ほら、こんなふうに……」
 月影の下でケースを動かせば、それは虹色にきらめいた。ラウが留め具を開くと、鼻先に華やかな香りが膨らんだ。
 花だ。
 リカは紫色の花びらを見て、胸をときめかせた。
 ケースの中に詰められた花びらは、微細な結晶を纏って、時を忘れたようになっていた。
「これ知ってる。花だ。そうだろ?」
「うん。スミレっていう花を砂糖漬けにしたものだよ」
 ラウは花びらを一枚摘まみ、リカに差し出した。
「食べてみて」
 人魚は普段、何も口にしない。けれどリカは好奇心に負け、花びらの香りを嗅いだ。
 春の野を思わせる晴れやかな香り。こんなにも小さな花から、こんなにも豊かな香りがするなんて。
「う、」
 花びらを嘗め、リカは舌を引っ込めた。初めて感じる味。舌先で味わっただけなのに、その味はリカの脳裏を点滅させた。
「スミレの砂糖漬けだよ。甘いでしょう? 紅茶やホットショー……飲み物に入れて、香りの変化を楽しむんだ」
「こんなもの、海にはない。びっくりした」
 花にこんな味を纏わせて、その上、そんな贅沢な手順を踏むなんて。人魚の自分には理解できない。リカは眉を寄せ、花びらをラウの指ごと食んだ。ラウは瞳を見開いたけれど、そのうち、面映ゆそうに笑った。
「気に入った? 気に入ったなら、君にあげるよ」
「そんなにたくさんはいらない。でも、時々ちょうだい」
「あ……、そっか、そうだよね。いつでも言って、ここに来るときは持ってくるようにするから。そうだ、今度は、ほんものの花を持って来るよ。リカの瞳の色に似た、きれいな花が庭に咲いるんだ」
 おれの瞳の色? リカはラウに近づき、彼の瞳の中にいる自分を覗き込んだ。けれど、瞳の色までは分からない。
「リ、リカ。ちょっと、近いかも」
 花が咲き乱れるようにして、ラウの面が上気した。ふと、鼻先にあの香りが霞めた。
「ラウも、あれ、食べた?」
「え?」
「スミレの砂糖漬け。ラウの唇、おれの唇と同じ匂いがする」
 ラウは眉を震わせ、顔を覆った。
「た、食べた。味を確かめたかったんだ。気を悪くさせたなら、ごめん」
「なんで謝るんだよ。前から思ってたけど、ラウってちょっとヘン」
 唇を尖らせて言えば、ラルはおずおずと手を下ろし、「三回目」と呟いた。
「三回目?」
「リカが、おれの名前を呼んでくれた……」
「そりゃ呼ぶだろ。知ってるんだから。なあ、もうひとつちょうだい」
 縁に両手をつき口を開けると、ラウはじたばたしながらケースを開け、リカに花びらを差し出した。口を開けたまま視線で強請ると、ラウの指先がリカの唇に触れた。
「ん……」
 甘みが押し寄せ口を閉じる。合わさった唇から、ラウの指先が抜けた。
「ごちそうさま。おれ、もう帰らなきゃ。明日は寝坊できないから」
「うん……」
 ラウは立ち上がり、離れていくリカを深く見つめた。じりじりと焦げ付くような視線だった。
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