冷たい雨

小田恒子(こたつ猫)

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「もし体調が悪かったら無理しなくていいよ。しんどかったら昨日みたいに先にメールしてくれたらいいから」

 僕の言葉に梓紗は素直に頷いた。そして小声で呟いた。

「昨日のメール、嬉しかった……。私も、遼の事、好きだよ」

 本当に聞こえるか聞こえないか分からない位の小声だったけれど、確かに僕の耳に梓紗の声が届いた。
 僕は咄嗟に梓紗の手を引くと、自分の胸に抱き留めた。
 本当に折れそうな位細くて小さい体の梓紗が、急に何処かに行ってしまうのではないかと不安が過る。何故こんなに不安になるのかが自分でも分からないけれど、こうして抱き締めていれば不安は取り除かれるだろうか。

「遼……?」

 僕の腕の中で、梓紗は戸惑いを隠せないでいる。僕の不安が伝わってしまったのだろうか。
 僕が梓紗への抱擁を解くまで、梓紗は僕の腕の中でそのままじっとしていた。

「ごめん、何か急に、梓紗が何処かに行ってしまいそうな気がして……。
 そんな事ないのに、おかしいよね、こんな風に思うなんて」

 僕が梓紗の耳元でそっと呟くと、梓紗は顔を上げた。
 その表情は、慈愛に満ち溢れていた。

「何でそんな風に思ったんだろうね? 私はここにいるよ」

 梓紗の笑顔に僕はいつも癒される。元気を貰う。

「だよね、ごめん、変な事言って。じゃあ、帰るから梓紗も体調整えて明日は学校……」

「うん、絶対行く」

 僕に最後まで喋らせない様に梓紗は僕の語尾に言葉を被せた。今はその言葉を信じるしかない。
 僕は梓紗の笑顔に頷いて、瀬戸家の玄関を後にした。

 この日の定例のメールでのやり取りは、時間を短縮して終わらせる事となった。例によって梓紗が時間前にフライングのメールを送信しており、体調が余り思わしくない事、でもリアルタイムで少しだけやり取りしたいとメッセージをくれていたからだ。

『今日は家に来てくれてありがとう。お母さんもはしゃいでて、何か恥ずかしい。
 あれから少し熱が出ちゃって、解熱剤飲んだら睡魔がやってきそうです。
 でも少しだけメールでのやり取りをしたいので、途中で返事がなかったら寝落ちしたと思って下さい』

 こんな風にメッセージを貰うと心配になるけれど、二、三回メールのやり取りをして梓紗を早く休ませてあげようと言う気になる。
 体力が落ちている時に液晶画面を長時間見ていると視力低下にも繋がりそうだ。

【こんばんは、無理しなくていいよ。
 今日は梓紗のお母さんにもあの時のお詫びがきちんと出来て良かったと思ってる。
 明日は体育祭の練習もあるし外は暑いから、早く寝て体力温存しておいて】

 僕はメールにこう打ち込んで送信した。
 次のメールが届いたら、おやすみなさいと打ち込んで梓紗には寝て貰おう。そう思っていた。
 パソコンの前に座ってしばらく様子を見ていたけれど、一向に返事は届かない。
 もしかしたら寝落ちしたのだろうか……? 梓紗からのフライングメールの送信時間は僕が自宅に帰宅して少ししたくらいの十九時過ぎだった。それならそれでいい。少しでも身体を休めて熱を下げて、明日元気に登校してくれれば、そう思っていた。

 翌日、梓紗は約束を守る事なく学校を欠席していた。
 メールも、僕が送信したままで返事はなかった。
 欠席理由は昨日聞いた通りの夏バテとの事だったけれど、先生が朝のホームルームで欠席理由を伝えた時の加藤さんの表情が一瞬変わった事に僕は気付かなかった。

 梓紗のいない教室で、いつも通りの生活を送り、当然ながら体育祭の練習も行われる。クラス委員としての役割も、梓紗の分まで僕は頑張った。
 放課後の準備も終わり、僕は梓紗の家に向かおうと自転車の駐輪場に向かうと、そこには加藤さんの姿があった。

 もしかして、一緒にお見舞いに行ってくれるのだろうか。それならここで待たずに教室で待っていてくれたらよかったのにと思ったけれど、僕はホームルームが終わったら鞄を持って生徒会室に直行していたので教室には立ち寄らずにここに出て来た。加藤さんもここで待つしかなかっただろう。

「もしかして、僕を待ってくれてた?」

 軽いノリで聞いてみた。駐輪場で待つ加藤さんの表情が思いの外深刻そうで硬かった。何か思い悩む事でもあるのかと気になり、その緊張が解れたらいいと思っての事だった。
 何やら考え事をしていたのか、僕の声に加藤さんの身体が大きく跳ねた。長時間待たせてしまっていたかも知れない状況と驚かせてしまった事と二重の申し訳なさで、僕は思わず謝ってしまった。

「ご、ごめんっ、まさかここまで驚くと思わなかった」

 僕の謝罪に、加藤さんは小刻みに首を横に振ってそんな事ないと言う意思表示を見せるものの、やはりかなり驚かせてしまっていたらしく動揺が隠せないでいる。

「いやっ、私こそっ。何かごめんね、こんな風に待ち伏せみたいな真似しちゃってて。
 先に声をかけとけば良かったのにそこまで気が回らなくて、ほんとごめん」

 いつも以上に早口になっている加藤さんの様子に、僕は何だか違和感を覚えた。
 いつもの加藤さんらしくない、何だか冷静さを欠いている。それに、人目を盗んでこうやって僕に話をしようとしているのは、きっと梓紗の事に違いない。
 加藤さんは一体何を僕に話をしようとしているのだろう。


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