冷たい雨

小田恒子(こたつ猫)

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 街路樹が色付いて路面に落葉を始めると、色鮮やかな落ち葉の中でも汚れていなさそうな葉を選りすぐって数枚拾った。
 もし梓紗が起きていたら、これを見せてあげたいな……。
 流石に無菌室の中にそれらは持ち込めないけれど、少しでも季節を感じさせてあげたい、その一心だった。

 銀杏の葉と紅葉の葉を数枚手に取ると、僕は病院へと向かった。
 いつもの様に緩和病棟へと真っ直ぐ向かい、無菌室の面会室へと入った。
 いつもなら、ガラス越しのベッドの上に梓紗が横たわっている。けれどこの日は、ベッドの上で上半身を起こして梓紗が本を読んでいた。
 僕は驚いて思わすガラスをノックすると、その音に気付いた梓紗が顔を上げた。そして、ガラス窓に映る僕の顔を見ると、枕元に置かれている受話器に手を伸ばしたので、僕も側に設置されている受話器に手を伸ばした。

『遼、来てくれてありがとう』

 受話器越しに聞こえる梓紗の声は、まだ少しだけ気怠そうだ。でもここ最近僕が病院に訪れた時に梓紗はずっと眠ってばかりだったので、久しぶりに声が聞けて、それだけでも嬉しい。

「体調はどう?」

 気の利いた事が言えない僕は、無難な言葉しか頭に浮かばなかった。それでも梓紗は微笑んでくれている。

『うーん、熱がどうしても下がらなくてねぇ……。平熱に戻らない事には、ここからは出られないって看護婦さんにも先生にも言われたよ』

 少し拗ねた様な口調が、何だかとても可愛く感じる。パジャマではなく病院で用意された療衣服と言う物だろうか、浴衣みたいな感じで前合わせの服だ。それを着用しているが為に、梓紗が今以上に病人に見えてしまう。せめて自宅にいた時の様にパジャマ姿だったらまだそこまで思わないのに……。

「そっか……。抗生剤は点滴なんだろう? 今は投与されてないけど、どうなの?」

 僕が面会室に入って目にした光景の違和感はそこだ。梓紗の側に、点滴が置かれていないのだ。微熱が下がらないと言う割に、点滴を投与されていないのは一体どういう事なのだろう。

『点滴はね、今日は朝からさっきまで輸血してたから今日は中断してるの。
 それに今日は、抗生剤は点滴じゃなくてお薬の方で服用してるから大丈夫だよ』

 梓紗の声に一先ずは安堵したものの、本当に大丈夫なのだろうか。
 
『それより、無事にテスト終わった? 先週、テスト期間中なのにお見舞いに来てくれていたんでしょう? ずっと寝てて気が付かなかったからごめんね』

 いつもと同じように饒舌な梓紗の声に、僕の胸はいっぱいになって言葉が何一つ出てこない。
 気を遣わせたくないのに、梓紗に気を遣わせてしまっている。このままでは駄目だ。

「いいよ、こうして起き上がれるようになったから、今こうして話をする事が出来るから。
 それはそうと、今日は梓紗にお土産があるんだ」

 僕の声に、梓紗は嬉しそうな声を上げた。

『お土産? 一体何だろう。遼、どこかに出掛けたの?』

「そんな、テストもあったのに、出掛ける時間的余裕なんてどこにあるんだよ。ちょっと待ってて」

 僕はそう言うと、ポケットの中に忍ばせていた落ち葉を取り出した。
 しわしわにならない様に、ハンカチに挟んでいたのをそっと手に取ると、ガラス越しに梓紗に見える様にガラス窓に押し当てた。

『わあ、もう紅葉してるんだね。綺麗……』

「写真でも撮影して持って来る方がいいのかも知れないけど、デジカメ持ってなくて。
 これをそっち部屋に持ち込むにはまず無理だろうけど、一応季節を感じるものをと思って……」

 無菌室に入るには、念入りに消毒をしなければならないと聞いている。これらをそんな事していたら、せっかく綺麗に色付いている葉が色褪せてしまうに違いない。
 それだとここに持って来た意味がない。それならば、手に触れる事は出来なくても、せめて目で見る位で季節を感じて欲しい。

『お母さんや里沙ちゃんに言って、押し花にして貰おうかな。押し花だったら後々まで綺麗に残るかな?』

「どうなんだろう。押し花とか僕はよく分からないんだけど……。あれって色も綺麗に残るものなの?」

『うん、多分。少しは色褪せはあると思うけど、それなりに綺麗に出来ると思う。作った事はないけど』

「そっか……。じゃあ僕も作ってみようかな?」

『ぇ? 遼が? 仕上がり楽しみにしてるね』

 落ち葉のお土産で少し話が盛り上がっていたところに、看護婦さんがやって来た。

『梓紗ちゃん、検温の時間だよ。彼氏が来てくれて盛り上がってるところごめんね』

 無菌室の中に現れた看護婦さんは、髪の毛が室内に落ちない様に頭もビニールキャップで覆ってマスクを装着して、白衣の上に割烹着の様な服を着用している。手にも医療用のゴム手袋を装着していた。
 出来るだけ皮膚の露出を避けて、この部屋に菌を持ち込まない様に、梓紗に菌が付かない様に細心の注意を払っているのだろう。
 看護婦さんのそんな姿を見て、いかに今までの元気な姿が貴重な物だったのかを思い知った。
 下手したら梓紗はこのままこの部屋から出る事は出来ない。
 久保田先生の言葉が重くのしかかる。

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