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そんな事は聞いてません。 1

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 最寄り駅に到着すると、私の右手を取り、電車を降りた。
 この人、こんな事した事なんて一度もなかったのに……。
 改札を出て駅を出ると、まるで今の私の心境を重ねるかの如く、外は小雨が降っていた。
 今日の天気予報では雨の予報は出ていなかったので、折りたたみ傘も用意していない。

「本格的に降り出す前に送って行く。家はどこ?」

 まさかの申し出に驚いて言葉が出ない。
 私が固まって何も言えないのを見て、先輩は私の手を握ったまま困った様に笑う。

「送り狼にはならないから、今日は。昔みたいに送るだけだから心配するな」

 それでも私は言葉が出ない。先輩の顔が、まともに見られない。

「……十二年前、突然俺の目の前から消えて……。
 守野に聞いても何も教えてくれなくて……。里美、あの時何があった……?」

 俯いたままの私に問いかける先輩の声は、少しだけ震えている気がした。
 言える訳がない。
 直接言われた訳ではないけど、この耳ではっきりと聞いた『里美だけは無理』の言葉。
 嫌がられてまで先輩の傍に居たくなかった。
 いつまで経っても、私が返事をしない事には先輩も手を離す気はないらしい。
 それならば……。

「父の転勤で、徳島に引っ越しました。
 松山に残る選択肢もありましたが、高校を卒業するまでは家族一緒に過ごそうと思ったので、ついて行きました」

 私の身に起こった事のみを伝えた。先輩の発言の事を敢えて伝えるつもりはない。

「本当にそれだけ? あの当時、何か嫌がらせがあったとかではなくて?」

 先輩の問いに、頷いて応えた。
 あの当時、私は本当に守られていた。越智先輩にも、彩奈先輩にも。

「はい。嫌がらせはなかったです。
 当時は先輩や彩奈先輩には大変お世話になりました。……彩奈先輩はお元気ですか?」

 転校してから、さつきとは内緒で連絡を取り合っていたけれど、先輩達の事にはお互い何一つ触れる事がなかった。
 さつきも何も言わなかったなら、連絡を取り合っていた事も内緒にしていてくれたのだろう。
 さつきに深く感謝した。

「彩奈は去年結婚して、今は福岡にいるよ。
 あいつも旦那が転勤族で、子供が出来たら松山に定住して旦那を単身赴任させるって言ってたぞ」

 懐かしい先輩の話を聞き、十二年前の記憶の中の彩奈先輩の笑顔が蘇る。

「俺は大学でこっちに出てからずっとだから、松山には年に数回しか戻ってないんだ。里美は、松山へは……?」

「……大学で松山に戻って、祖父母の家でお世話になりました。
 就職でこちらに出てきてからは、殆ど戻る暇がなくて……。
 父もあれから異動で何度か引っ越しましたから、実家の場所も変わるし、戻ると混乱するので戻ってません。
 ……あの、今のうちに帰ります」

 小雨が霧雨に変わった様だ。今のうちに帰りたい。先輩から、離れたい。
 会釈して、握られた手を引き抜こうとすると、逆に力を入れられてしまった。

「送る。時間も遅いし夜道を一人にさせたくない。何もしないから、送らせてくれ」

 先輩が、私に頭を下げた。
 やめて、そんな姿を見たいんじゃない。

「……わかりました。……とりあえず、手を離して貰えますか」

 私は再度握られた右手を引き抜こうとするも、先輩のギュッと握った左手が動かない。

「嫌だ。家に着くまでは離さない」

 どうやら意地でも離さないらしい。
 私は気付かれない様に小さな溜息をつくと、こっちですと小さな声で呟き、歩き出した。

 先輩も私の隣を歩く。握られた手はそのままに。
 一体どういうつもりだろう。
 先輩の言動は私のキャパを完全に超えている。今日はもう何も考えずに眠ってしまおう。
 私は自分の住むマンションへ向かった。

 女性の一人暮らしだから、防犯面で少しでも安心出来る、人通りの多い、街路灯がある、駅から近い場所を探して選んだ。
 駅前通りから一本裏に入るこの場所は、交通量の多い駅前と比べて静かだ。
 駅に近い好立地だからかコンビニも近く、大型スーパーやドラッグストアもある。
 家賃もそれなりだけど、安心を買うと思えば安いものだろう。
 両親も、こちらに出て来る時に駅からも近くて分かりやすいので気に入っている。
 一Kと間取りは狭いけれど、バストイレは別だし一人暮らしで荷物も増やさない様にして来たので、比較的スッキリしている筈。
 駅から徒歩五分もかかるかかからないかのこのマンション、エントランスで別れる筈だったが、先輩は部屋の前までついてきた。

「部屋に入るまで心配だから」

 と、訳わからない。仕方なく、エレベーターで5階のボタンを押し、一緒に上がった。
 五〇二号室の前で、部屋の鍵を取り出したいからとようやく手を離されると、バックの中から鍵を取り出した。
 鍵を開けてドアを開けると、先輩はようやく安心したのか……。

「無理矢理くっついて来てごめんな。ゆっくり休めよ、おやすみ」

 頭の上に手をポンと乗せ、エレベーターへと引き返した。
 そんな先輩の背中を見送ると、先輩は私に早く中に入れと声をかけて、エレベータの中へ消えて行った。
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