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第6話  恐怖の記憶

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 翌朝からのC子の捜索は、人数を増やし、さらに警察犬まで導入した大規模なものであったのにも関わらず、何の手がかりも得られなかった。A夫とB輔は捜索隊に加わり、事情聴取に応じたりしているうちに、気がつくと二日目も暮れようとしていた。二人はその晩も寺に泊まった。

 寺で夕食をご馳走になった後、D住職は「君たちに見せたいものがある」と言いながら一枚のCD-ROMを持ってきた。
「これは昨年のビル火災のおり、火元のオークション会場に備えつけられていた監視カメラの映像をダビングしたものだ。拙僧があらためて説明するまでもなく、諸君もすでに気づいているとは思うが、今回の件のみならず、あの九十六人の死者を出した大惨事も当寺の鎧と深く関わっておる」
「あ、じつは僕たちもぜひ見ていただきたいものがあるんです」A夫はそういいながらバッグからビデオカメラを取り出した。
「あの収蔵庫の中で起こった一部始終が記録されています……本来なら警察に渡すべきなんでしょうが、なんだかそのまま返してもらえなくなるような気がして、提出しませんでした」
 住職はフムと興味深そうな視線をカメラに向けたが、すぐに振り返っていった、「それはぜひ見せてもらいたいが、まずはこちらにしよう。その方が時系列で分かりやすいからね」
 住職は室内に置かれているテレビの電源を入れると、再生装置を起動させてCDトレイを開き、CD-ROMをセットした。彼はそこでいったん手を止めると、A夫たちの方を振り向いていった、「最初にことわっておくが、このCDにはじつに怖ろしい映像が収録されておる。じつは拙僧も、そのあまりのおぞましさに今まで一度しか目にしておらん。今回君たちが曰くつきの鎧であることを承知で寺の収蔵庫に忍び込んだからにはそれなりの胆力があるとは思うが、ただの興味本位で見てしまうと必ず後悔するほどの代物だ。――どうだ、それでも見たいかね、自信がないというなら無理にはすすめんよ」
 A夫とB輔の喉が同時にゴクリと鳴った。彼らは心霊同盟の結成以来、さまざまの怪異な現象を体験してきており、たいがいのことには動じないつもりであった。しかし、昨夜の一件があってからというものは、そんな自信はあとかたもなく消し飛んでしまっていた。
「だいじょうぶです、見せてください」A夫は自らを励ますような口調でそう言い、B輔も同調して何度もうなずいた。ここで逃げてしまったら真実を知る機会を失い、C子の消息も永久にわからなくなってしまうような気がしたのだ。
 住職は「そうか」というと再生スイッチを押した。

――ほどなく現れた映像は、会議室とおぼしき広い室内空間を映し出していた。監視カメラのそれゆえテレビのドキュメンタリー映像ほど鮮明ではないが、古美術品のオークション会場ということは判った。書画、陶磁器、宝飾品、仏像、年代物の家具、刀剣といった品物が続々とお披露目ひろめされると、それにバイヤーたちが群がってりが始まる。購入希望者が多いものはあっという間に金額がつり上がる。外国語のかけ声も多く聞かれ、海外からの参加者も少なからずいるようだ。いかにも高価そうにみえるものもあるが、手のひらに収まりそうな小さな香炉や、古ぼけた掛け軸に数百万、数千万といった値段がつき、競り落とした人物は惜しげもなくバッグから札束を取り出すと、嬉々として品物を受けとっている――およそ素人には理解できない世界である。

 そのうち会場内に大きな段ボール箱が二人がかりで運び込まれた。
「問題の映像はここからだよ」住職がそうささやくと、A夫たちの拳を握る手に力が入った。
 段ボールが開かれ、梱包材が取りのけられると、中から現れたのは、
「あっ、あれだ」
「あの鎧櫃よろいびつだ」
 映像は不鮮明だったが、全体の形や、正面の半分消えかかった「前」の金文字には見おぼえがあった。件の鎧櫃に間違いない。ただし、ふた御札おふだとおぼしき長方形の紙が貼られているのが目についた。これは昨夜、A夫たちが現物を見た時点では存在しなかったものである。
 会場のざわめきが一瞬静まりかえり、一同の注意が鎧櫃に注がれる。やがて主催者とおぼしきスーツ姿の男性が講釈をはじめた。
『これは戦国末期のものと思われる鎧櫃です。ご覧のとおり封印したままで蓋は開けておりませんが、中には間違いなく当時の甲冑一式が納められておりますので、ご安心ください』
 彼はそう言って一枚のパネルを示す。そこには空港のX線手荷物検査を思わせるような鎧櫃のレントゲン写真が貼りつけられており、兜や胴が折りたたんで収納されている状態が見てとれた。
 主催者は、ここで開封することもできるが、封印したままの状態にこそ価値があるとする方もおられるだろうから、このままで購入を希望される方はおりませんかと声をかける。――高価な買い物であり、やはり直接この目で確かめたいとする意見が大勢を占めたのか、けっきょく鎧櫃の蓋は開けられることになった。
『それ、御札だろう、開けたらまずいんじゃないの』そんな声も聞かれたが無視されたようである。

 主催者が鎧櫃の鐶を外して上に持ち上げると、経年のためか御札は中ほどから簡単に破れて蓋が開いた。
「ワイルドだな」B輔が呟く。昨晩自分がドアの御札を剥がした際の慎重さと比べているのだろう。
 白手袋をはめた手で最初に取り出されたのは例の流線形デザインの兜であった。期せずして感嘆の声が上がる。続けて胴、籠手、臑当と順々に取り出されると、いつしか周囲は黒山の人だかりとなっていた。
『これは見事だ』
『これ、ほんとうに何百年も前のものなの? あんまりキレイすぎない?』
『しまった、こんな掘り出し物があるんだったら、もっと金を用意してくるんだった』
 主催者が声を張り上げる『さあ、それでは、百万円からはじめます』
『五百万』
『八百万』
『一千万』瞬時に金額は八桁に到達した。
『千五百万』
『三千万」
『四千三百万』すでに家が一軒建つほどの値段がついているが、その勢いは止まらなかった。
『五千万』
『さあ、五千万、あとはありませんか』
『六千万』
『七千万』
『七千……七百万』
『八千万』
『八千万、ほかには』
『八千五百万』
 このまま行けば一億円の大台に乗るのではと思われたその時であった。
――競りを見物していたひとりの中年男性が、何か用事を思い出したかのように取り巻きの輪から抜け出した。彼は頭をメトロノームのように左右に振りながらフラフラ歩いて行き、刀剣類が出品されている棚から一口ひとふりの古刀を手に取った。
 鞘を払い、しばらく刀の目利きをしているような風情でその場にたたずんでいたが、やにわに背を向けて立っていた客のひとりに刃を振りおろして叫んだ。
功名こうみょうあかしぞ!』
 斬られた相手の首が落ち、ゴトンという音とともに床へ転がった。切り口からは噴水のように血がほとばしり、首を失った胴体は足をもつれさせて倒れた。
 怖ろしい悲鳴が湧き上がり、会場はたちまちパニックに陥った。人々が算を乱して逃げまどう中、数名がまたもや頭を左右に振りながら出品物の刀を手に取り、さやを払い、手近の人々の首をねた。いずれも口々に『功名の証ぞ』と呼ばわりながら――活況を呈していたオークション会場は、いまや阿鼻叫喚の地獄と化した。

「ぐうっ、げえっ」
 A夫がたまらず嘔吐おうとした。じっさいの刀による殺傷は、時代劇の殺陣たてにあるようなスピーディで芝居がかったものではない。もっと陰惨でもたもたした、そしてそれだけにいっそう残酷な所業である。B輔は自衛隊で災害現場の後始末に従事した経験もあり、ある程度耐性ができていたのか吐くまでには至らなかったものの、その顔色は青ざめ、額には脂汗がにじんでいた。

『火事だ!』混乱の中、そんな叫びが聞こえ、やがて画面全体が煙に包まれはじめたころ、返り血を浴び、衣紋の乱れた男が画面の中央に立ち止まってこちらを見上げた。――その手には刀身全体が赤黒く染まった血刀をひっさげている。発狂して殺人鬼と化したうちの一人であった。こちらから視線をそらさないその眼はもはや人間のものではなく、A夫たちは目が合っているのは相手が監視カメラを正面から見つめているせいだと判っていながらも、まるで当の殺人鬼が自分たちの存在に気づき、いまにも画面から飛び出してきそうな錯覚におそわれた。
 狂人はつかを逆手に持ち替え、ゆっくりと刀を持ち上げると刃を自分の首の後ろにあてがった。そして刀身の物打ち部分に左手をかけると大音声だいおんじょうで『こうみょうのぉあかしぞぉぉ!』、同時に刀がぐいと前方に押し出され、切断されて転がり落ちる男の首――その目は画面から消えるまでA夫たちを睨みつけていた――そしてその間にも火災の煙は濃密になる一方で、ほどなく何も見えなくなった。



 






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