オーバードライブ・ユア・ソング

津田ぴぴ子

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本編

第四十七話

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「首痛くなってきた」
「だろうね」
陽が首を左右に動かすと、ぱきぱきと嫌な音が鳴る。
織と別れてから十数分ほど経ったが、惺がいなくなった場所からはそう離れていない。前に進むだけでなく、左右に広がる森の奥などにも目を凝らした方がいいのでは、と言う初の提案を採用した形になる。
奥の方を目を細めて見ていた初が、ふと不安げに後ろを振り返った。
「……織先輩、遅いよね」
「だよなあ」
陽も初と同じように、後ろを振り向いた。この山自体がどういう構造になっているかも分からないのに、彼を一人にしてしまったのは失敗だったかもしれない。胸の奥にざわざわと広がる不安に従った陽は、戻ろう、と言った。それに初も頷いて、来た道を戻る。

惺がいなくなったと思われる場所まで戻って来ては見たものの、周囲を見渡しても木以外何も見えない。雨は先程よりも少し酷くなりつつある。大声で呼んでもみたが、やはり返事は無かった。
「学校に戻る?」
「先生に言うしかないよ、怒られてもしょうがないじゃん」
恐怖心に押し負けそうになっていたのは、陽も初も同じだった。教師に怒られるのが怖くないわけでは無かったが、織と惺に何かあったらと思うと、そちらの方がずっと怖い。
初と顔を見合わせて頷いて、学校の方に踵を返した、その時。
「陽、」
名前を呼ばれた気がして、陽は立ち止まって辺りを見回す。
左手の森の中に、晴が立っているのが見えた。こちらを見て手を振っていた彼は、陽が自分を見つけたことに気が付くと、手招きをするように動きを変える。
「兄ちゃん、」
陽は初に、自分は晴を追い掛けること、初は学校に戻って教師に知らせてほしいことを告げた。初は少しの間一緒に行こうと抵抗したが、陽の意志が覆らないことを悟ると、わかった、と小さく呟いて走って行った。その背中が見えなくならないうちに、陽は獣道を外れて、木々の中に飛び込む。
晴を呼びながら、森の中を走った。濡れた地面が足に絡みついて、数度転びそうになる。全力で走っているつもりなのに、決して晴には追い付けない。そのもどかしさに、涙が出てくる。

晴は、いつの間にかどこかに消えていた。ぜえぜえと肩で息をしながら周囲を見渡すと、数十メートル先の木々の隙間に池が見える。その辺りから、織のものらしき声が聞こえた。何を言っているかは分からないが、ここまで聞こえるということはそこそこ大きな音量で叫んでいるのだ。陽は迷わず池の方向に走って、織を呼んだ。
池に近付くにつれて木も少なくなっていって、声も景色も鮮明になる。
何とも言い難い色に淀んだ池のほとりで、織が惺を抱き抱えるようにして地面に膝をついている。その腕の中の惺からは完全に力が抜けていて、ぐったりと織に身を預けているようだった。
その正面に、赤黒くぶくぶくに膨れた人間のようなものが立っている。それは、何人もの子供の嬌声や絶叫をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた声を上げていた。見るからにこの世のものではないそれを晴くんと呼んで、織はこう懇願している。
「お願い、惺を連れて行かないで、晴くん」
繰り返す織の声に、陽は血が出そうなほど強く唇を噛み締めた。走りながらポケットの中に手を入れて、ずっしりと重いお守り袋を右手に握る。
大声で織と惺を呼んで、右腕を振り上げた。
「──そいつは兄ちゃんじゃない!」
陽の声と共に、赤い小さなお守り袋は真っ直ぐに、織と惺の正面に立っていたものに飛んでいった。そしてそれが赤黒くじゅくじゅくと腐敗した身体に当たったかと思うと、そこが大きく抉れて向こう側の風景が見える。
それは、蜘蛛の子を散らすように霧散して、消えた。
「織ちゃん先輩!さとちゃん先輩!」
「……陽ちゃん、…」
「大丈夫!?」
陽は織と惺の前に屈み込んで、二人を交互に見た。織は青ざめた表情で頷いて、惺の華奢な肩を抱えた腕に力を込める。どうやら二人とも怪我は無いらしい。
「陽!」
初の泣きそうな声がしたかと思うと、その音源を探る暇も無く初が走ってくる。それは、陽が来たのとは全く違う方向だった。こちらに駆け寄る彼の後ろから、澄んだ声がする。
「ああ、やっぱりここだったね」
木の影から抜けた島村の整った顔が、木漏れ日に照らされている。いつの間にか雨は止んでいた。どうしてここに、と口を開きかける陽を手だけで制すると、島村はいつもと変わらない調子で詳しいことは後、と言った。
「もうすぐ先生が来るよ。怒られたく無かったら、さっさとここを出よう」
抜け道を知ってるんだ、と続けて、彼はさっさと池の反対側へ歩いていく。初が織を立たせて、惺を背負うのが横目に見えた。本当に軽いな、と初が呟いたのが聞こえる。
結局、晴は見つからなかった。
陽は何度も背後を振り返ったが、晴の姿はどこにも無い。



島村の後ろを歩いていると、やがて体育館の裏に出た。島村があまりにも堂々と校庭を歩くので、見つかってしまわないかと問い掛けると、彼は心配ないよと笑ってみせる。
二、三年生の昇降口から校内に入った。一年生の下駄箱に、四人分のサンダルを取りに行く。その間教師とは擦れ違わなかったし、話し声も聞こえなかった。
島村は四人を保健室の前に導いて、そのドアを開ける。
そこには、時藤と篠の姿があった。
時藤は陽たちを見とめると、座っていたベッドから下りて駆け寄ってくる。篠は普段養護教諭が座っているキャスター付きの椅子に腰掛けて、右手を上げた。彼は初に背負われている惺を見ると一瞬表情を曇らせたが、彼をベッドに寝かせて一頻り呼吸などの問題が無いことを確認すると、安堵したように胸を撫で下ろした。
篠を見た瞬間、怒られる、と目を瞑った陽だったが、その不安は的中すること無く通り過ぎていく。
「どうして篠先生がここに」
呆然とする初の言葉に、篠がそれはこっちの台詞だと返す。確かにそうだ。時計はすでに十四時半を指していて、今日の完全下校を二時間近く過ぎている。その言い訳に初が四苦八苦していると、島村が助け舟を出すように口を開いた。
「うちの助っ人ってことで、書類書き換えておいてよ。そのくらいできるでしょ?」
「簡単に言ってくれるよお……」
時藤も言っていたが、オカルト研究部は何週間も前から今日の居残りを申し出ていたと言う。その理由は単純で、部室の大掃除をしたいからと、それだけだった。大量にある資料や怪談本の類を整理し、足の踏み場もない部室を片付けること。どう聞いても怪しすぎる理由だが、島村が生徒指導の増田を上手いこと言いくるめて、今日の居残りが許可された。
「まあ、ちょっとだけ心理学的な技法も使ったけど、概ね素直に納得してくれたよ。……あいつの単純なところは本当に長所だね。全然羨ましくないけど」
そう愉快そうに笑った島村は、陽の方をちらりと見る。
「それはそうと御子柴くん」
「はい……?」
「あの山が立ち入り禁止って校則、もう無効になってるから、安心していいよ」
「へ?」
まるで陽の心中を見透かしたかのような島村の言葉に、間が抜けた声が出てしまう。
知濃山に立ち入ってはいけないと言う校則は、どうもここ最近になって撤廃されたらしい。と言うのも、あの獣道は運動部の走り込みに打って付けだった。これまでも練習場所に困った運動部がこそこそと獣道を走っていた事例があったそうで、池周辺に近付かなければ山に入っても良い、と言う風に書き換えられたと言う。
看板とロープに関しては、単純に撤去するのを忘れていたようだ。
本当に仕事が雑だなと、陽はがっくりと肩を落とした。これまでの自分の心労を返してほしいと、心の底から教師たちに悪態をつく。
「今日の職員会議だって、あの山の使い道の話だったんでしょ?」
「お前本当、そういうの、どこから聞いてくるんだよ……」
観念したように、篠がぽつぽつと話し出した。
今日の職員会議は、知濃山を切り開いて武道場、合宿所を新設する旨の説明で始まった。地域住民の反対はあるが、結局利便性には敵わない。あの獣道も整備する予定なのだと言う。
一頻り会議を終えると、教師たちは連れ立って山の中へ入っていった。建設場所や費用の打ち合わせも入っているために、外部の人間も数人含まれているらしい。
俺は留守番、と言って、篠はへらりと笑った。
篠の話が終わると、島村は再び陽に向かって微笑みかける。
「御子柴くんの探しものも、ちゃんと見つかるんじゃないかな」
「それって──」
どういうことですか、と陽が続けようとした時、廊下をばたばたと走る音がする。保健室の扉が勢い良く開かれて、音楽を担当する女性教師が篠を呼んだ。大層慌てている。彼女は陽たちを見て一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに我に返ったように篠を保健室の外へ手招いた。
「篠先生、すぐお戻りになってください!大変なんです!」
「どうかしました?そんなに慌てて」
何だか、妙に外が騒がしかった。ざわざわと色々な人間の怒号と悲鳴、動揺に満ちた声が聞こえる。警察、と言う増田の叫びが、より大きく響いた。廊下で篠と話しているらしい女性教師の声がする。
「今、山の中で、うちの制服を着た白骨死体が何人も出て──」
ああ、と陽は声にならない息を吐き出した。瞬く間に視界が滲んで、ぼろぼろと涙が溢れる。どれだけ噛み締めても、唇の震えは止まらない。
篠と女性教師の足音が遠ざかっていく。
島村は窓枠に肘をついて、外の喧騒を眺めていた。
「惺、」
不意に飛び込んできた織の声に、陽と初はベッドに駆け寄った。うっすらと目を開けた惺は視線だけで周囲を見渡すと、ゆっくりと上体を起こす。
「……晴先輩の、夢、見た」
「夢?」
「晴先輩、笑って、おまえはだめだよって、言われて、…そしたら……オリ先輩の、声が、して」
その骨の浮いた手を握った織の手指に、惺の目から涙が落ちてくるのが見えた。段々と細切れになるその声は、殆ど言葉になっていない。
陽は惺の腕にしがみつくようにしてカーディガンに顔を埋めると、彼を呼んだ。
「あのね、さとちゃん先輩。……兄ちゃん、見つかったって」
「……、そっか」
本当は、頭の隅では分かっていた。
晴がもう生きていないこと。
それは陽だけでは無く、惺も織も、両親もそうだったのだろう。それをどうしても認めたくなくて、皆がその事実に蓋をしていた。ずっと近くにいたのに見えない振りをして、晴を遠くにやってしまっていた。
しかしもう、それも出来ない。

早々に到着したパトカーのサイレンが、陽と惺の嗚咽を覆い隠した。
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